10月30日、前日宿泊した和白から香椎で西鉄~JRと乗り継いで、東郷駅に到着する。これから路線バスで九州西国霊場の第31番・鎮国寺に向かうが、同じエリアには宗像大社もある。宗像大社は、世界文化遺産「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の一つであり、東郷駅のホームにも「世界文化遺産」の文字が見える。
東郷駅8時34分発の神湊波止場行きに乗る。観光客らしい姿も目立つ。宗像大社へ向かう人もいるだろうが、終点の神湊からは大島行きのフェリーに接続してるようだ。大島には沖ノ島を遥拝する宗像大社の中津宮があり、そちらを目指すのか、駅の観光ポスターでフェリーの時刻を確認する人もいた。
路線バスは住宅地から釣川沿いの田園地帯を走り、10分あまりで宗像大社前に到着。鎮国寺もここが最寄りのバス停なので下車する。まずは当初の目的地である鎮国寺に向かい、宗像大社はその後に参拝することにしよう。鎮国寺は釣川の対岸の高台の上にあるが、宗像大社に接しているだけに、かつては神仏習合の歴史があったのかな。実際に行ってみると果たしてそうだったと知る。
改修工事中の橋を渡った後、案内板に従って山門に出る。ここから100段あまりの石段を上がり、境内の一角に出る。ちょうど朝の時間帯、寺の皆さんが掃除の最中である。
境内で目についたのがこの像。武丸正助の像とある。宗像の農民で、親孝行で勤勉実直な人物だったという。地元に伝わる話として、こういうものがあるそうだ。ある日、正助が外に出ようとすると、雨が降ると思った父親から下駄を履いていくよう言われた。しかしその一方、晴れると思った母親からは草履を履いていくよう言われた。そこで親孝行の正助は、両親の言いつけを守るために、片足に下駄を、片足に草履を履いて出た。それが親孝行の話として広まり、後に時の福岡藩からは褒美として田んぼをいただき、税も免除されたという。現在も宗像における歴史上の人物として親しまれているそうだ。
・・・うーん、現在の価値観でいうなれば、これは果たして親孝行なのかな?と思う(私がひねくれているだけなのだが)。話としてはとんちが効いたものだとは思うが、実際に正助がその格好で私の前に現れたなら、「お前アホちゃうか?」と(口に出すかどうかは別として)思うことだろう。今だったら、両親それぞれのアドバイス(お節介?)はあるにしても、最後は自分で判断することが求められるのだろう。
話を寺に戻す。鎮国寺が開かれたのは弘法大師が唐から帰国した時とされる。唐に渡る途中に暴風雨に遭遇した際、弘法大師が海の守護神である宗像三神などに祈ったところ、不動明王が現れて剣で波を左右に振り払い、暴風雨を鎮めたため、無事に渡ることができたという。波切不動の話として知られるところである。そして帰国後に宗像大社に参詣し、近くの岩窟にて修行を行ったところ、「この地こそ鎮護国家の根本道場にふさわしいところ」というお告げを聞いた。そこでお堂を建てたのが鎮国寺の始まりという。また、宗像三神の本地仏として大日如来、釈迦如来、薬師如来を祀った。
境内の中央に本堂らしい大きなお堂があるが、こちらは不動明王を祀る護摩堂である。本堂はその奥の小ぶりな建物である。納経所は護摩堂にあるので後で訪ねるとして、まずは本堂に向かう。
本堂は江戸時代、福岡黒田藩による再建という。自由に上がってお参りできる。中には5体の仏像が祀られていることから五仏堂とも呼ばれている。中央に大日如来が鎮座し、その両脇に釈迦如来、薬師如来が祀られている。これら3体は弘法大師の作と伝えられている。そしてこちらから見て一番右にあるのが伝教大師作と伝わる如意輪観音で、九州西国霊場の本尊である。一番左にある定朝作の阿弥陀如来とも合わせた超強力な布陣である。
この如意輪観音が祀られていることから九州西国霊場の一つになったわけだが、弘法大師ではなく伝教大師作というのが、真言宗のこの寺にあって微妙な立ち位置だと思う。なお、鎮国寺は私が現在序盤を回っている九州八十八ヶ所百八霊場の第88番・結願の寺であり、奥の院は第108番の札所である。そのため、いつになるかは全く見通せていないが、いずれもう一度この寺にて手を合わせ、九州八十八ヶ所百八霊場の結願を喜ぶことになる。
奥の院へ続く参道がある。せっかくなので行ってみよう。先ほどの開けた境内から一転した石段の山道で、両脇には四国八十八ヶ所の本尊が並ぶ。奥の院までどのくらいあるだろうか。
そのまま山頂までだったら大変だなと思うが、5分ほどでお堂が見えてきた。こちらが弘法大師が修行したという岩窟で、現在はその岩窟は内陣として、石造の不動明王像が祀られているとある。
扉が開いているが中は暗がりではっきり見えない。電灯が引かれていないという。外で手を合わせようとした時、中から「どうぞおあがりください」という声がしてびっくりする。一瞬、弘法大師が声をかけたのかと思ったがもちろんそんなことはなく、寺の方か、篤信の方か、一人の男性が不動明王を前にじっと座っている。瞑想中に私がお邪魔した形かな。席を勧められて私もしばらく座ってみたものの、あまり居心地がよいものではない。そこそこに引き上げる。そんなことでは修行にもならないな・・。
境内に戻り、最後に護摩堂に上がる。こちらは戦後の建物で、法要や祈祷はこちらで行われるため、外陣も畳敷きの広間となっている。改めてこちらでもお勤めとする。
護摩堂内の納経所で九州西国霊場の朱印を求めると、「場所わかりました?」と訊かれる。ここ護摩堂ではなく、隣の小ぢんまりした本堂の、そして右端に如意輪観音が祀られているので、それを知らずに朱印を求める人もいるのだろう。
待つ間に朱印のサンプルを見ると、「天空海関」と墨書された限定朱印があるのを見つける。ただその時は、「天空海(あくあ)が何でまた福岡の寺で朱印になっているのか?」と思った。「天空海(あくあ)」とは大相撲・立浪部屋所属の関取。ただ出身は茨城県のはず。この時は(アホな話だが)九州場所が近く、この近くに立浪部屋の宿舎でもあるのかなと思っていたが、立浪部屋つながりなら豊昇龍や明生のほうが人気あるよな。
後でこの文字について確認したが、書かれていたのは「天空海『闊』」という言葉だった。「あくあぜき」ではなく、「てんくう・かいかつ」と読む。大空と海が果てしなく広がる、またそのように度量が大きく、何のわだかまりもないことを例えた言葉だそうだ。・・私もアホな連想をしたものだ(寺の人に訊かなくてよかった)。なお、「天空海」のしこ名の由来は、地元茨城の水族館「アクアワールド」と、茨城の空、海の景色からだという。キラキラネームとも揶揄されるが雄大なしこ名で、ちょうど九州場所も始まっており、この「天空海関」にも頑張ってほしいものだ。
これで参詣を終える。境内では売店やワゴン販売の開店準備が進み、機械でシャボン玉も吹かれている。福岡県内の7つの寺で「しゃぼん玉お寺めぐり」というのが行われていて、これまで九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで「かえる寺」の如意輪寺や「こがえる寺」の正法寺で出会ったが、鎮国寺もその一つだったとは。
これで鎮国寺を後にして、石段を下りる。次はかつて鎮国寺と神仏習合の関係だった宗像大社に参拝する・・・。