10月16日、京都から今出川に移動する。前回8月の神仏霊場めぐりは、今出川駅すぐのところにある大聖寺が最後だった。室町幕府3代将軍足利義満の「花の御所」があったところである。今回、今出川から出発することで前回の続きも楽しむことができる。再び、同志社大学の今出川キャンパスを見ながらの移動である。
室町小学校から西に進む。先ほどの「花の御所」が室町通に面していたことから足利将軍家のことを「室町殿」と呼ぶようになり、それが歴史用語として今に伝わっている。そうした名前のついた小学校というのも、子どもたちはどう感じているかは知らないが京都の歴史の深さを感じさせる。
いたるところに地蔵が並ぶ。それぞれの町内に一つは祀られているそうで、京都市内だけでも数千体はあるそうで、身近な存在である。
この辺りは昔からの路地が残る感じだが、同志社大学に近いためかワンルームマンションも目立つ。細い道をそのまま進むと、「百々橋の礎石」というのに出る。応仁の乱にて、この橋を挟んで細川氏の東軍と山名氏の西軍が戦いを繰り広げたという。その当時は木の橋だったが近世に石橋に掛け替えられ、戦後には小川も埋め立てられた。現在は跡地として、小川が流れていたイメージが残されている。
その百々橋の跡に隣接しているのが宝鏡寺である。ただどうやら工事が行われているようだ。中に入ることはできるのかな。
門前には「宝鏡寺門跡」「旧百々御所」と刻まれた柱石がある。宝鏡寺が開かれたのは室町時代、光厳天皇の皇女の華林宮恵厳が、手に小さな鏡を持った聖観音を天皇から下賜され、それを本尊としたのが始まりという。江戸時代になり、後水尾天皇の皇女の久厳尼が寺に入り、紫衣を許されて以降、代々の皇女が門跡として入る寺となり、土地の名前から「百々御所」と呼ばれるようになったという。
門のくぐり戸が開いていて、特に立入禁止の表示もないようなのでそのまま入る。ちょうど作業も行われていたが、特に何か言われることはなかった。
宝鏡寺は人形の寺として有名だそうで、代々の門跡が父である天皇から季節ごとに人形が贈られ、現在も多く所蔵していることからそう呼ばれるようになった。その後時代が下り、人形供養の寺として各地から多くの人形を受け付けているという。その人形供養は年1回、10月14日というからつい先日のことだ。
また、春と秋には人形展として、所蔵している人形や庭園を公開するという。逆に言えば、寺の中を拝観できるのはその期間限定である。ちなみに秋の人形展は11月の土日祝日のみということで、また期間を外してしまう・・・(工事中の足場の下には「拝観謝絶」の札もあった)。
寺の扉もしまっており、朱印はどうするか。とりあえず庫裏のインターフォンを鳴らそうとすると、寺の方がちょうど外から戻られたところで、「朱印ですか?」と声をかけてくれる。受付を開けてくれるというのでしばらく待つ。普段から受付は開けていて朱印の対応もするが、私が来る時間が早かっただけかな。
ちなみに、宝鏡寺の周りには茶道の表千家、裏千家それぞれに関するスポットもあり、知る人ぞ知る一角のようだ。今回、宝鏡寺に関しては門跡寺院や境内を見ることなく、朱印だけいただいたようなものだが、京都にはまだまだ限られた世界があるものだと垣間見ることができてよかった。