まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第20回中国四十九薬師めぐり~安倍家墓所と元乃隅稲成神社

2022年11月21日 | 中国四十九薬師

11月3日、中国四十九薬師めぐりとしては目的地の第32番・向徳寺を訪ねて帰宅するが、ここまで来たのだから同じ地域にある元乃隅稲成神社に立ち寄ることにする。

・・ただその前に、今年の7月に大和西大寺駅前で銃撃され死亡した安倍晋三元首相の地元はこの辺りだったなというのが頭に浮かぶ。もっとも、「安倍三代」という書籍にもあるように、安倍元首相は別に長門市で生まれたわけではなく、あくまで祖父・寛、父・晋太郎の地盤を受け継いだのだが、安倍家のルーツがこの地であることは確かで、晋三もことあるごとに墓参りをしていたという。

元乃隅稲成神社に行く前に、安倍家の墓所を訪ねようと思う。銃撃事件があったからかどうかは知らないが、墓所の場所はグーグルマップにも掲載されている。それを頼りに細道をたどる。

墓所は共同墓地という感じでもなく、わざわざ参道が設けられている。そして一段上がったところに「安倍家之墓」と刻まれた墓石があり、多くの花が手向けられている。

その手前の墓誌に、安倍寛、安倍晋太郎の戒名、俗名、そして命日、功績がある。いずれ晋三もここに納骨され、墓誌に名前が刻まれることだろう。

墓石の手前に記帳所がある。昔からここにお参りに来る人もいたようだが、7月の銃撃事件後にはその署名の数も増えているように見える。元首相への感謝の言葉も添えられており、地元山口県だけでなく他県からの来訪も目立つ。私が来た時も他県ナンバーのクルマが停まっており、手を合わせる人がいた。

安倍政治に対しては様々評価が分かれるところだし、私も決して支持をしていたわけではないのだが、少なくとも首相としての存在感はあったし、何かしら事を成そうという姿勢はあったように思う。それに比べて現在の岸田政権と来たら・・・就任当初は地元ということもあり期待したのだが、1年経過して「こんなはずではなかった」という思いが強くなるばかりである・・。

さて、改めて元乃隅稲成神社に向かう。しかし、私のクルマのカーナビにはスポットとして掲載されていない。クルマ自体が中古ということもあるが、元乃隅稲成神社がアメリカのCNNにて「日本の最も美しい場所31選」として紹介されたのが2015年のことで、そこから参拝者が急増したところだ。スマホで住所を確認し、それを入力して大体の見当をつけて向かうことにする。

それでも、後付けで設置した案内板があったり、それらしきドライブのクルマ、さらには団体客を乗せた観光バスに出会う。バスの後ろをついて行けば着きそうだ。

ところが、途中で離合が難しいところがあり、そこに観光バスが突っ込むものだから渋滞が発生する。まあでも、元々細道だけだったのが途中何ヶ所かに新たに離合できるところが設けられただけでもよしとしなければならないのだろう。

そして神社が近づいたところで駐車場への順番待ち。誘導員も出て交通整理に当たっている。観光シーズンなら1~2時間待ちは当たり前だそうだが、この日は10分ほど待ったところで駐車場に入る。最近広げたような感じで、適当なところに駐車スペースを見つける。

元乃隅稲成神社には前回の広島勤務時に一度来たように思う。だから20年より前のことで、その時の写真も残っておらず記憶もあいまいなのだが、鳥居の上に賽銭箱があり、そこに硬貨を投げて見事に入ればご利益がある・・というので知られていたと思う。岩場に鳥居が続く印象はそれほどなかったかな。

神社が建てられたのは1955年のこと。地元の網元の枕元に白狐が現れ、自分をこの地に祀るようお告げがあったという。その後、商売繁盛、大漁、海上安全の御利益があるとして地域の人々の信仰を集めていたが、先に書いたような出来事により一気に注目され、こうして各地から参拝者が絶えず訪れることになった。神社そのものが現世利益となったことである。ただし、神社自体は個人の所有ということで、宗教法人に登録されているわけではないようだ。

この鳥居も参拝者の増加により今のところに移されたそうだ。私も賽銭を投げてみるが、日ごろの運動不足のためか全然肩が上がらずあさっての方向へ飛んでいく。その一方で、バスケットボールのゴールを決めるがごとく簡単にひょいと続けて入れる男性がいて、驚きの声があがる。

新しい社殿もできて、狐の石像も出迎える。

そして、海岸へ続く123基の鳥居である。この先に「龍宮の潮吹」というスポットがある。断崖に荒波がぶつかると、その勢いで海水が吹き上がる現象を潮吹きと呼ぶとのことで、この鳥居の並びは龍宮に向かう龍の姿に見えなくもない。

鳥居をくぐって岩場に出る。

そして、この先の竜宮の潮吹を間近に見る岩場に進む。先端に立つと海面まで思ったより高さがあり、身をすくめる。東尋坊のようなスポットとは言わないが、足を滑らせて落ちようものなら助からないだろう。身を乗り出すように下をのぞいている男性がいて、少し離れたところからパートナーらしき女性が「やめて!」と真剣な表情で叫んでいる。

ちょうど海に向かって地蔵か観音か、風化して顔の形がよくわからないが仏も祀られている。稲成神社よりも前からあったものだろうか。白狐が網元の夢枕に出たのが稲荷神社建立のきっかけというが、むしろこちらの祠のほうが、ここが昔から普通に海の安全や豊漁を願う場であったことを物語っているように思う。

この日は天候、波ともに穏やかで、龍宮が潮を吹く光景はみられなかったが、この数年で一気に有名スポットとなった神社参りもできてよかった。今回ずっと回り、北長門の海岸の美しさをあちらこちらで感じることができた。

地元の直産品や山口土産を扱う土産物店もできており、近くの東後畑棚田でとれた新米を購入して神社を後にする。この時間もまだまだ駐車場待ちの車列ができていた。

このまま国道191号線まで出て、黄波戸を過ぎる。対岸には青海島が見える。山口県まで来たのだからこの島にも久しぶりに渡ってみたいのだが、中国四十九薬師めぐりでは残念ながら立ち寄らずコマを進めることになりそうだ。

長門市駅近くの正明市で国道316号線に入る。ちなみに正明市とは長門市の開業当時の駅名であるが、元々は美祢線の延伸によりできた駅である。帰りは国道316号線で美祢線沿いに走り、美祢インターから中国自動車道に乗ることにする。

途中、安倍元首相、プーチン大統領の日ロ首脳会談が行われた長門湯本温泉を過ぎる。大谷山荘だったかな。あの当時、成果はともかくとしてロシアともいろいろ会談が行われ、諸問題に対して何とかならないか模索はしていたと思う。ただ現状を見ると・・(いや、これ以上はやめておこう)。

この区間は特に難所というところはなく順調に美祢市に入り、中国道に乗る。クルマ移動ということもあり、入ってすぐの美東サービスエリアにて土産物の購入である。鹿や猪といったジビエ加工品もあり、珍しいので買って帰る。その後いただいたが、ソーセージなども結構美味かった。

中国四十九薬師めぐりだが、これで山口県は萩にある第33番・円政寺のみとなった。順番で行けば萩への観光を兼ねて次に訪ねるところだが、実は後日、ここを飛ばして先に島根県に入り、第34番、第35番と回った。それは、冬に入る前の11月下旬に先に行っておこうというのと、その地ならではのイベントに絡めてのことである。記事になるのはかなり後のことだが、こちらはこちらで少しずつ進めることである・・・。

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