まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第13回九州西国霊場めぐり~元寇防塁から糸島半島を目指す

2022年11月08日 | 九州西国霊場

九州北部を回る九州西国霊場は、第28番・常安寺を回って佐賀県を終了し、残りは筑前エリアにある5ヶ所となった。ようやく終わりが見えてきたところである。1泊2日をフルに使えば一気に回ることもできそうだが、そこは同じエリアの他の観光とも組み合わせたいところである。もう2回(ひょっとしたら3回)に分割して訪ねることになるだろう。

札所番号順で行けば、福岡市の西隣の糸島市から始まり、いったん福岡市の南部を経過して今度は東の宗像市に行く。そして博多駅近くの祇園を経由して、最後は太宰府天満宮近くの観世音寺で満願となる。今回はそのうち福岡西部の2ヶ所(千如寺、正覚寺)、そして宗像の鎮国寺を目的地とする。

今回出かけたのは10月29日~30日。この日はちょうど日本シリーズの第6戦、第7戦の予定日である。ある人から「九州に行く日程が取れるなら神宮球場に行けばよいではないか」とも言われたが、さすがに東京は遠い・・・。

それぞれの札所へのアクセスだが、千如寺へはコミュニティバスも出ているがダイヤ的に参詣には使えず、正覚寺もバス停からかなり歩くようだ。また、千如寺の北にある糸島半島じたいも訪ねたことがなく、せっかくの機会なので玄界灘の景色も見てみたい。

ということで初日(29日)はレンタカー利用として、福岡の西側を回り一泊。宿泊地をどこにするかいろいろ迷った末、博多から宗像よりに進んだ和白にあるホテルAZを予約した。そして2日目(30日)は鉄道と路線バスを使って鎮国寺と、すぐ近くの宗像大社に参詣。その後の時間次第でいくつかのスポットに立ち寄り、博多から新幹線で広島に戻ることにする。

この間に日本シリーズは27日に第5戦まで終わって2勝2敗1分のタイ。最短でも30日の第7戦まで行われることが決まったが、第7戦で決まるかもしれないし、第8戦以降にもつれるかもしれない。こちらも気になりながらの九州行きとなった・・。

さて10月29日、広島6時47分発の「こだま781号」で出発。「バリ得こだま」を使って小倉、博多まで行く際の定番列車である。この日も晴天に恵まれ、順調に九州入りする。

九州西国霊場めぐりは前回唐津から筑肥線~福岡地下鉄で博多まで移動しており、今回はその沿線の営業所でレンタカーを利用することにした。地下鉄のホームに下りる階段にあるのは麻生グループの看板。2022年は麻生グループ150周年とある。炭鉱の採掘から始まり、事業を多角的に広げて現在に至る(政治業というのもその一つかな・・・というのはさておき)。ともかく、福岡に来たと実感する。

そのまま地下鉄に乗り、市街中心部を抜け、筑肥線との境界駅で地上に出てきた姪浜で下車。駅前には波とウサギを描いたオブジェが建つ。「ウサギの恩返し」という、地元に伝わる話をデザインしたとある。

姪浜の地名は、神功皇后が三韓征伐の帰りにこの地に立ち寄り、装束である「あこめ」(下着のことらしい)を洗って干したことから「あこめの浜」と呼ばれ、それが後に転じて「めいの浜」となったという。大正時代には炭鉱も開かれたところで、現在の筑肥線も元々は石炭運搬のために敷かれたそうだ。戦後、炭鉱が閉山して以降は福岡のベッドタウンとして開発が進められており、現在も人口が増加している地区である。

向かったのは、駅の南側にあるニッポンレンタカー。1日利用でキャンペーン価格4400円、そしてエリア内乗り捨て無料である。この日はぐるりと回り、最後は西鉄の香椎宮前駅にある営業所まで向かうプランである。このところ、特に九州ではレンタカーの世話になることが増えているが、時間が限られる中、また公共交通機関での参詣が不便なところが続いているので致し方ない。タクシーに乗ることを思えば・・。この日乗るのは三菱のミラージュ。

まずは博多湾から玄界灘にかけての景色を見ようと思う。この一帯は元寇の時、日本の防衛の最前線となったところで、弘安の役を前にして主に九州の御家人を動員して石塁が築かれた。その長さは20キロあまりということで、元、高麗の船も容易には近づけなかったという。現在もその一部が「元寇防塁」として保存、復元されているというので行ってみることにした。

姪浜から西に3キロほどのところに、生の松原というところがある。その名の通り松原が広がり、海水浴場もあるのだが、ここにも元寇防塁がある。元寇の様子を描いたものとして「蒙古襲来絵詞」というのがあるが、それを描かせた竹崎季長が馬に乗って石塁の前を進む場面がある(画像は、福岡市博物館でのデジタル展示のもの)。その背後の石塁は生の松原とされ、現在復元されている。

・・ただ、県道から細い道を入って松原の前まで来たのはいいが、クルマを停めるところがない。しばらく周囲を回り、いったんルートを外れたりもしたが結局駐車場が見当たらず、断念してそのまま進む。出だしで時間を取られたようだ。

しばらく筑肥線と並走し、今宿駅から右手に分かれて今津湾沿いを行く。

次に向かったのは今津地区で、こちらにも元寇防塁が残されているという。ただ、標識は出ているものの、途中から道が細くなり、最後は海の手前の松原にはばまれてクルマを進めることができない。またバックして戻る。ちょっと怒られるかもしれないが、今津小学校の横にJAの広い駐車場がある。やむを得ずその一角に停めさせてもらい、200メートルほど歩いて松原の中に入る。

「史跡元寇防塁」の石碑が建つ。ちょうどこの今津あたりが元寇防塁の西の端だという。石碑の近くの道に沿って柵で囲われた一角があり、石が頭をのぞかせている。これが防塁の姿である。元寇の弘安の役があったのは今から750年ほど前のことで、その後の年月の中で砂に埋もれたものだという。

少し行くと、発掘後に復元整備された一角がある。ちょうど石塁を上から見下ろす感じだが、高さは3メートルほど。ちょうど建物1階分といったところだが、これがあるのとないのとでは上陸にも大きな影響があるだろう。防御を固めたうえで、弘安の役では逆に日本側が元の船を襲撃することもあり、

 

松原を抜けて浜辺に出る。750年の間にこれだけ陸地が広がったというべきか。

今津湾に吹き込む風を受ける。右手の毘沙門山の向こうには能古島、正面奥が志賀島である。ちょうど博多湾の入口に当たるところで、こうした海辺の景色が見られるとは思わなかった。

さらに先に進む。ちょうど海沿いには海釣り公園をはじめ、レストランやバーベキュー場もあり、いずれも賑わっている。糸島半島というところは福岡から手軽に訪ねることができるレジャー地として人気のようだ。

その中、歩道をジョギングする人がちらほら目立つ。そうした楽しみ方もあるのかなと追い越すうち、「11月13日 福岡マラソン開催のため車両通行止」の看板があちこちに出てきた。それに出場する人たちなのだろう。あれ、福岡国際マラソンって確か昨年限りで終わったのではなかったかなと思う。・・後でわかったが、今コース上を走っている「福岡マラソン」とは「福岡国際マラソン」とは全く別物で、福岡市と糸島市を結ぶ市民参加型のマラソンだという。海べりを走るのも気持ちよさそうで、レース当日が好天になるといいな(福岡国際マラソンについても、運営主体を変えるなどして2022年も引き続き開催とのこと)。

半島の東海岸を抜け、博多湾から玄界灘に出る。そろそろ糸島市に入るところで、途中気になっていたポイントに立ち寄ることにする・・・。

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