まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第37番「香泉寺」(次は日南シリーズ)

2023年08月16日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

7月17日の九州八十八ヶ所百八霊場めぐり。この日だけで6ヶ所目となる第37番・香泉寺に向かう。広島から遠いエリアということもあり、この機に日向路を一気に南下した形である。本当は時間をかけてもっとさまざまなスポットを訪ねるべきなのだろうが・・。

先に訪ねた第38番・長久寺からカーナビをセットする。宮崎市の中心部に近いところに向かう。ただ、寺の近くに来て「目的地周辺です、音声案内を終了します」とのカーナビの音声に、はたと困った。確かに寺はこの辺りのようだが、入口がわからない。寺の本堂らしき建物は見えるのだが・・。

結局、ルール違反かもしれないがいったんスーパーの駐車場に停め、そこから歩くことにした。・・と思ったら、駐車場のすぐ横が香泉寺の入口だった。おまけに看板も出ていた。確か先ほどこの前を通ったはずだが、カーナビの音声案内に引っ張られて気づかなかったようだ。

ちなみに香泉寺、一応クルマが入れるだけの通路幅はあるが、中は行き止まりである。コンパクトカーといえども、中に入ると方向転換が難しかっただろうから、まあ、スーパーに停めさせてもらったのはちょっと目をつぶっていただいて・・(一応、参詣後わずかばかりの買い物させてもらいました)。

さてこの香泉寺だが、九州八十八ヶ所百八霊場の公式サイトを見ても、寺の開基についてははっきりしたことがわからないという。明治後期に高野山から全国に布教して回っていた龍雲和尚が、近くのお堂に祀られていた弘法大師像を現在地に移して現在の香泉寺を建立したそうだ。大正時代以降は地元の人たちから高野山、お大師さんとして親しまれたとある。

小ぢんまりした境内だが、子安大師像を囲むように石仏が並ぶ。四国八十八ヶ所の写し霊場である。

また、寺では「おとなの寺子屋」として、写経体験や勤行体験、阿字観の瞑想も随時行っているそうだ。日向の国というと、私の頭の中ではやはり古事記の神話から続く神道が中心というイメージが強く、薩摩・大隅とともに明治の神仏分離、廃仏毀釈が徹底的に行われたところなのだが、時代が経てばこの地でも改めて真言宗、弘法大師信仰を根付かせた僧侶や地域の人たちも多いものだと、実際に来てみての感想である。

本堂の扉が閉まっており、外でのお勤めとする。そして、隣接する客殿玄関に、御用の方はこちらへというのでインターフォンを鳴らすと、住職らしき方が出てきて、「表を開けるのでお参りください」と通される。そして改めてのお勤めである。

預けた納経帳とともに、お茶とお菓子のお接待をいただく。これで宮崎市内の2ヶ所を回ったことで「次は日南ですね」と言われる。この先は第39番・潮満寺、第40番・西明寺と、JR日南線の沿線である。いずれも最寄りの駅から歩いて行けそうなので、次は公共交通機関利用シリーズとしようか。

住職との話の中で、ふと「宮崎県は神道のイメージが強いですね」ということを発した。住職はそれは現実のこととして、鵜戸神宮のパンフレットを差し出した。これまで訪ねたことがなく、日南線は経由しないのでバス利用となるが、この九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで参拝しようと思っていたところ。鵜戸神宮はそれこそ神話の頃からの由緒ある神社だが、神仏習合の歴史があり、かつての別当寺は天台宗、後には真言宗の僧侶が務めていたそうだ。住職は「このことは鵜戸神宮の歴史にも書かれているのだし、真言宗の側がもっとアピールしなきゃいけないんですけどね・・」という。

次の日南線シリーズをどう回るか。香泉寺を訪ねてからちょうど1ヶ月後にこの記事をまとめているが、一応、公共交通機関利用での行程案を作ったところで、各種チケットの手配をしたところである。何やかんやで、1泊2日でも行こうと思えば行けるものである・・。

これで延岡を朝出発して、宮崎まで無事に来ることができた。このままトヨタレンタカー宮崎店に向かう。返却時間には十分余裕があった。返却手続き後、サービスとして乗って来たクルマにてそのまま宮崎駅まで送っていただく。徒歩でも数分とあるが、荷物もあるし、暑い中なのでこれはありがたかった。

久しぶりの宮崎駅。これから16時39分発の特急「にちりんシーガイア14号」で、日豊線を長駆することに・・・。

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