大和西大寺から近鉄奈良線にて富雄に到着する。次に目指す霊山寺は西国四十九薬師めぐりで一度訪ねたことがある。駅前にてしばらく待ち、若草台行きのバスに乗る。
10分ほどで霊山寺のバス停に到着する。この先の南側の一帯は霊山寺の敷地である。もちろん、寺の境内が中心なのだが、広大な霊園やバラ庭園も有している。今は閉鎖されたそうだが、ゴルフ練習場も運営していたとのこと。
まずは入口で入山料を納める。実は境内に入浴施設「薬師湯」があり、お参りの後に入浴しようと思い申し出ると、「またその時に受付させていただきます」とのこと。ともかく、先にお参りとしよう。
参道で出迎える朱塗りの鳥居をくぐる。これは大弁財天堂の入口を示すものだという。前回、西国四十九薬師めぐりで訪ねた時に奥の院の弁財天堂まで行ったが、1キロ以上坂を上り、最後は下った記憶がある。
霊山寺が開かれたのは、伝承によれば飛鳥時代。小野妹子の子である小野富人が壬申の乱の後に登美山に隠居したが、熊野本宮大社に参詣した時に薬師如来を感得したこともあり、登美山に薬師如来を祀った。また後に、聖武天皇の皇女・阿倍内親王(のちの孝謙天皇)が病に伏した時、登美山に行基をつかわして薬師如来に祈願したところ平癒した。これを受けて聖武天皇は行基に命じて登美山に大きなお堂を建立させた。この時来日していた天竺の菩提僊那は、登美山の地勢が故郷の霊鷲山(りょうじゅせん)に似ているとして、このお堂を「霊山寺(りょうせんじ)」と名付けた。
現在の本堂は鎌倉時代の建築で、国宝に指定されている。中に入り、外陣にてお勤めとする。
本堂の横に菩提僊那の銅像がある。内陣に祀られている像をモデルにインドの総領事館から今年寄贈されたものという。インド独立75周年、日本との国交樹立70周年記念という。
江戸時代まではそれなりの規模の寺だったが、明治の廃仏毀釈によりいったん衰退する。その後昭和になり、弁財天を感得した円照尼により、本尊薬師如来とともに奥の院の弁財天を信仰の中心に据えた。
境内の一角に大弁財天堂を建立し、その眷属である大龍神を祀る。さらに控えるのは七福神の弁財天除く6神。弁財天は黄金堂、大龍神は白金堂に、それぞれガラスで囲われている。古くからの歴史と現世利益が混同しているようだが、さまざまな面の経営も行うことで、現在も多くの人が訪れるところとなってる。
納経所はこちらの一角にあり、手書きの朱印をいただく。墨書はあくまで古来からの本尊の薬師如来である。
これから行く薬師湯もその一つである。改めて入口の受付に向かい、別途入浴料を支払ってロッカーのカギを受け取る。天然温泉ではないのだが、さまざまな薬草のエキスを使った薬草風呂である。登美山に薬師如来を小野富人は、病人を癒すために薬草を栽培して薬風呂を設けたと言われ、それにあやかってのことである。
朝から暑い中札所めぐりをしてきただけに、ここまでで汗だくだった。それを見越して、薬師湯に浸かって汗を落とせるようなルート設定としていた。ここで着替えもでき、脱衣所で涼むこともできた。
バスで富雄駅に戻る。時刻は15時半頃で、ちょうどよい時間である。というのが、今回あえて奈良近辺シリーズ、そして最後に霊山寺を参詣し、入浴して富雄駅に戻るように組んだのは、同じ駅前に位置するある店への訪問のためだった・・・。