法華寺を参詣後、平城京跡の北側を通って大和西大寺駅に到着する。
大和西大寺駅前で思い出されるのが、2022年7月に起きた安倍元首相の銃撃事件。元職とはいえ、首相経験者が銃撃されたということで日本国中に衝撃が走ったことである。当時、大和西大寺駅前では整備工事が行われていたが、現在は車道が完成し、現場近くの歩道には花壇が設けられた。今回、あれから1年が経過して現場がどうなっているのか見ようと来てみた。
当初は事件があったことを示す碑の建立が検討されたが、「事件を思い出したくない」という地元の人たちからの意見もあり見送りとなった。その代わりに花壇を設けることで落ち着いたようで一応の目印になった。季節の花が咲く中で、お供えらしい花束も手向けられている。なお、ここから5キロほど離れた霊苑に、自民党奈良県連の有志により追悼碑が建てられている。
元首相を銃撃した犯人の裁判はこれからだが、事件の大きな動機として、犯人の母親が某宗教団体にのめりこんで多額の献金を行い家庭が崩壊したとして、宗教団体に恨みがあり、その団体とつながりがある政治家として安倍元首相を狙ったという。
一時は政治と宗教をめぐる話題が世間を賑わせていて、「宗教2世」という方もテレビを賑わせていたが、その後どうなったのだろうか。宗教への傾倒については人それぞれだし、それにお金が絡むと結構センシティブなことになる。私も先般依頼葬儀や法要ということで携わることがあったが、小さな家族葬のつもりが気付けば費用も膨大なものになったし、寺院の都度のお布施の相場というのも高いものだなと実感したところである(まあ、某宗教団体から求められる献金に比べれば額はごくごく些細なのだが・・)。
・・・と言いつつその一方で、私なんぞは複数の札所めぐりにいつもいつも多額の旅費と飲み代を費やして回っているのも、傍から見れば宗教に入れあげていると思われているのかな・・。
さてこれから目指す西大寺だが、参詣は初めてである。駅名にもなるくらいだから駅の近くにあるのかなというくらいの知識で、後は大きな茶碗を回し飲みする「大茶盛」が開かれるのをローカルニュースで目にするくらいのイメージだった。駅からすぐのところに外塀が続くのが見え、東門から境内に入る。境内はさらに奥に続いており、これだけの規模がある寺院だとは知らなかった。
西大寺が開かれたのは奈良時代、孝謙上皇(のちの称徳天皇)が恵美押勝の乱の平定を祈願し、四天王像を祀ったのが始まりという。上皇に近い弓削銅鏡の影響もあったという。寺の名前も、東大寺に対抗しての西大寺である。しかし平安時代以降は衰え、鎌倉時代に真言律宗を開いた叡尊により再興された。その後も室町~戦国時代に火災で焼け落ちるなどして、現在につながる姿になったのは江戸時代に幕府から寺領を認められて以降のことである。
境内も拝観順路が決まっているようで、現在は駅に近い東門だけが開放されていて、正面にあたる南門は柵で仕切られていてくぐれない。その順路でまず訪ねるのは四王堂である。入口で四王堂、本堂、愛染堂セットの拝観券を求める。従来はそれぞれのお堂で単体、セットそれぞれの拝観券を出していたが、やはりそれぞれきちんと拝んでほしいという寺の意向で、セット券方式にしたという。拝観順路を決めたのもそうしたところからのようだ。
現在の四王堂は江戸時代前期の再建だが、元々は孝謙上皇が発願した四天王像が祀られていたことからこの名前がつく。現在祀られている四天王は鎌倉~室町時代の作だが、その四天王に踏まれている邪鬼が奈良時代当初の姿を伝えているという。
中央に建つのは十一面観音像。長谷寺式に分類され、高いところから見守ってくれているように見える。平安時代の作で、元々は京都の法勝寺に祀られていたという。
堂内を一周する。数々の仏像に交じり、弓削道鏡の坐像もある。等身大の像ということで、「せんとくん」をデザインした籔内佐斗司氏の作品である。道鏡は何かと評価が分かれる僧侶であるが、道鏡が生まれたとされる現在の八尾から寄贈されたものだという。少なくとも、地元の人たちとしては才能ある名僧として推すところである。
続いて本堂に向かう。その前に石段があるのはかつての東塔の跡という。本堂は江戸時代後期の建立で、当時としては大規模なお堂であった。中に入ると中央に釈迦如来像が祀られ、西大寺、そして神仏霊場めぐりの本尊ということでその前の広間にてお勤めとする。両脇には薬師如来、文殊菩薩、善財童子などが並ぶ。巨大な茶碗を用いた「大茶盛」が催されるのもこの本堂で、廊下にはそこで使われたという茶碗も展示されていた。確かに、これを持ち上げるのは一苦労だろう。
先ほどの四王堂もそうだったが、本堂の壁面には灯籠がずらりと並ぶ。その数300基という。奉納者の名前を見ると一般の信徒、中には中国大陸からというのもあるし、真言律宗の系列寺院もある。その一角には「近畿日本鉄道」と書かれた灯籠が何基も固まって奉納されている。さすがだ。日々の安全運転を祈願していることだろう。
最後に愛染堂に向かう。京都御所にあった近衛家の建物を寄進する形で江戸時代に移築されたもので、愛染明王の坐像や、中興の祖である叡尊の像が祀られている。、
愛染堂の裏手にはハスが植えられた鉢が並ぶ。ちょうど花を開かせつつあるところで、青空によく映えている。
これで公開されている3つのお堂を回ったが、西大寺はかつての火災などで規模が縮小されたとはいえ、この先も境内が広がっている。かつては寺内町もあったそうだ。どうしても大仏がある東大寺と比べると知名度は低いが、かつての南都七大寺の歴史は今に受け継がれている。