まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~日向灘の眺望を楽しむ

2023年08月08日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

日向の国に来たのはいいが、この宮崎県、これまでじっくり回るというのはほとんどなかったところである。延岡から宮崎に向かうのだが、途中の日向市に立ち寄ることにする。

今回、日向市のホームページを見て立ち寄ることにしたのは細島半島、その先にある日向岬。まず通るのは細島港である。北側の工業港と南側の漁港に分かれるが、昔から開かれた港であり、南九州と瀬戸内海を往来する船の中継地点として栄えた。明国やポルトガルの船も立ち寄ったともいい、江戸時代には参勤交代の大名も行き交ったそうだ。またかつて、日向市行きの長距離フェリーも運航されていたが(JR時刻表の巻末で見たような)、そのフェリーが発着していたのはこの細島港である。

こうして振り返りの記事を書くうち、そういえばかつて近鉄バファローズの日向キャンプというのがあったなというのも思い出す。

漁港エリアを抜け、小さな海水浴場のある海岸沿いを行く。

この先は岬に続く丘。坂道を上ったところに観光案内所兼売店と駐車場がある。景観スポットということでクルマが結構停まっている。レンタカーも目立つ。

一角に、日向を代表する歌人・若山牧水の歌碑がある。「樹は妙に 草うるはしき 青の国 日向は夏の 香にかをるかな」。正に今、青の国、夏の香にいる。

この先は遊歩道を行くが、その途中にあるのが細島灯台。昔から細島は日向の海の要衝ということを書いたが、明治時代に近代的な港の整備が行われたのに合わせて建設された灯台である。

そして広がる日向灘。「太平洋」を眺めるのも久しぶりである。西日本の札所めぐりで海を見る機会もあるのだが、このところ瀬戸内海や日本海、東シナ海などが続いていた。前日は豊後水道をフェリーで渡ったが、豊後水道はまだ瀬戸内海の延長のイメージがあり、いわゆる「黒潮」という意味だと今回が久しぶりである。

せっかくなので岬の先端まで行ってみるが、その前に現れたのは「馬ヶ背」という奇勝である。日本最大級という柱状節理は高さ70メートルほどある。その上に岬があるのだが、岩肌の色や形が馬の背中に似ていることからその名がついたという。

遊歩道からその柱状節理を見ることができるのだが・・・遠くを見る分にはまだしも、近くで見下ろすとその高さに身をすくめてしまう。そうしたスポットだが、「スケルッチャ!」なる展望台がある。その名の通り、足元がガラス張りで透けて見える。安全なのはわかっているが、真下が見えるとビビってしまう。この時親子連れが居合わせたのだが、小さい子どもは真下の景色を見た瞬間に泣き出し、「いやだ帰る!」と親の足を必死につかんでいた。

遊歩道をもう少し進み、日向岬の先端に出た。ちょうど、灯台から見えていた陸地である。この先は危険防止のため柵が設けられている。正面の水平線、その先は果てしない。

こうした景勝地だが公共交通機関は通っていない。今回レンタカーだからこそ訪ねることができたと言える。この先も、公共交通機関で回りたいと思いつつ、現実にはレンタカー、あるいは広島から軽自動車で訪ねる札所が多いのだろうな・・。

もう1ヶ所、今度は細島半島の南の付け根にあるスポットに行ってみる。伊勢ケ浜という、相撲部屋のような海岸に着く。

ここで訪ねたのが大御(おおみ)神社。案内に「日向のお伊勢さま」とあったので訪ねてみた次第である。やはり日向の国というと神話の印象が強いので。天照大神の孫であるニニギノミコトが高天原に降り立ち、後に神武天皇が東征して熊野から大和に入り、橿原にて初代天皇となる・・という正統派の流れである。

社殿は伊勢神宮と同じ神明造り。正面は高千穂を向いているそうで、背後には太平洋の波が広がる。こういうスポットがあったとは知らなかった。

神社創建の時期は定かではないが、高千穂の地に降り立ったニニギノミコトが当地を訪ねた際、さざれ石が広がる大海原を見て、天照大神を祀り平和を祈念したのが始まりとされる。後に神武天皇が東征した際、この地に立ち寄り、武運長久と航海安全を天照大神に祈願したという。以後、日向を治めた歴代の武将、大名をはじめ、土地の人たちからも篤い信仰を集めた。

最近では、ラグビーの日本代表がワールドカップ前に宮崎で合宿を行った際、大御神社に必勝を祈願した。そのおかげかどうか、2015年大会では南アフリカを破る金星、そして2019年大会では予選リーグを突破したことから、縁起がよい神社としても知られているそうだ。今年はワールドカップ開催年で、宮崎でも合宿が行われたそうだが、大御神社にも必勝祈願に訪れたのかな。

大御神社の奥にもう一つ、鵜戸神社というのがあるので行ってみる。鵜戸といえば日南の鵜戸神宮が有名で、これまで行ったことがないのでこの九州八十八ヶ所百八霊場めぐりではぜひ訪ねたいところだが、ここに同じ名前の神社があるとは。

岩伝いに進み、最後は細い階段を下りる。フナムシが無数にうごめくその向こうに海の景色。ここじたい、隠れ家のような佇まいである。

振り返ると洞窟があり、その奥に鳥居と祠が見える。石が転がる中、洞窟の中に入って奥に向かう。そこで海のほうに向きなおると、岩の間に光が差し込むのが見える。これが「昇り龍」の形に見えるとして、龍神信仰スポットしての歴史を持つ。また、天照大神を祀る神社の脇の洞窟ということで、天岩戸に比されることもあるそうだ。

日向というとなだらかな海岸線が続くのかなというイメージがあったが、こうして訪ねてみると、特に北部は先ほどの日向岬の馬ヶ背といい、リアス式海岸からの複雑な地形に加え、柱状節理が織りなす景色が多い印象を持った。

満足した一時を過ごした後、再び国道10号線に戻り、市街地から少し離れた第34番・中野寺に向かおう・・・。

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第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第33番「永願寺」(札所めぐりはレンタカーに限る??)

2023年08月07日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

7月17日、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの当日である。この日は延岡からレンタカーを利用して日向路を南下する。

リミットは決まっていて、宮崎16時39分発の特急「にちりんシーガイア14号」博多行きに乗る。この列車で小倉まで行き、新幹線に乗り継ぐと広島には22時11分に着く。そこまで極端に遅い時間ではないと言える。しかし、もう1本後の宮崎17時31分発の「にちりん16号」だと、途中の停車駅が多いタイプということもあり、小倉には22時27分。これだと最終の新幹線に間に合わない。

・・ということで、宮崎から乗り遅れてはしゃれにならない。翌日は連休明けの通常勤務だ。レンタカーを返却して駅に移動する時間も考えれば、どんなに遅くとも16時までにはレンタカー店に着く必要がある。実質8時間、同じ県内なので大丈夫と思うが・・。

延岡にある札所2ヶ所は前回雨の中訪ねており、今回はこの先、第33番・永願寺(門川町)、第34番・中野寺(日向市)、第35番・行真寺(都農町)、第36番・貫川寺(都農町)、そして宮崎市に入った第37番・香泉寺、第38番・長久寺である。寺だけを回るなら十分時間はありそうだが、私にとって延岡~宮崎間は日豊線で通っただけで、目的地として訪ねるのはほぼ初めてである。他に何ヶ所かスポットを回ると、宮崎でのレンタカー返却時間のぎりぎりになるかもしれない。その場合は、宮崎市内の2ヶ所を次に回すとして、都農の2ヶ所までは押さえておきたい。

朝食後、延岡アーバンホテルを出発し、五ヶ瀬川を渡る。向かうのはこの先、日豊線の線路に近いトヨタレンタカーである。8時からの営業開始直後から利用し、宮崎まで持ち時間8時間でワンウェイ利用とする。トヨタレンタカーの場合、県内だとワンウェイ利用でも追加料金なしで利用できるイメージがあったが、さすがに宮崎までは距離があることから追加料金がかかるとのこと。だからというわけではないが、前日の宿泊で獲得した1000円分の旅行割クーポンはレンタカー料金の一部に充当する。

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりにおいてはレンタカーの利用割合が高いが、札所の場所と現地の交通事情ゆえ致し方ない。先に挙げた今回対象の札所のうち、明らかに公共交通機関だけでアクセスしやすいのは最初に向かう永願寺だけで、後はバスの時刻を調べれば宮崎市内の2ヶ所が該当するくらいと思われる。

乗るのはコンパクトカーのヤリス。

まず延岡の市街地を抜ける。道順の関係で旭化成の工場に突き当った後、国道10号線に出る。宮崎県北部の中心都市、また旭化成の城下町ということもあってか、国道沿いに来ると全国チェーンのさまざまな店舗が並ぶ。普段の生活には十分である。

この先宮崎まで東九州道が通っているが、札所めぐりの各所は国道10号線の下道のほうが近い。日豊線の線路とも並走する。

土々呂と書いて「ととろ」と読ませる駅名がある。宮崎駿監督アニメのキャラクター「となりのトトロ」と同じ音ということで、この地を訪ねるその筋の人もいるそうだ。もっとも、土々呂はこの辺りの地名というだけで、アニメとは関係ない。地名の由来には諸説あるが、海の入り江に近く、波が「とどろく」ことからつけられたのではないかと言われている。ということで、「ととろ」という地名はここだけでなく各地にあるそうだ。

ならば逆に、キャラクターの「トトロ」の名前の由来は何やねんと気になる。それによると、「トトロ」とは「所沢にいるとなりのオバケ」が短くなったもので、宮崎駿監督の知人の女の子が「ところざわ」を舌が回らず「トトロザワ」と言ったことから決まったという。言葉の成り立ちにもいろいろあって面白い。

門川町に入り、左手に門川湾がちらりと見える。ここで国道10号線を右折し、門川駅近くの踏切を渡る。丘の上に寺らしき建物が見え、永願寺の看板が現れる。麓が駐車場のようだが、そのまま坂道を上がることができそうなのでそのまま行ってみる。特にこちらに停めても問題なさそうだ。

コンクリート造りの本堂の裏から回り、いったん正面を過ぎて山門に出る。ちょうど、先ほど通った国道10号線、並走する日豊線、そして門川湾を見渡すことができる。境内じたいは小ぶりだが、ほっとする眺めである。

永願寺が開かれたのは平安時代前期、この地を治めていた草野大膳弘利が創建したとされる。元々は同じ門川でも山の中に位置し、修験道の修行の場として結構な規模を有していたそうだ。戦国時代、豊後の大友宗麟が日向を攻めた時には永願寺の僧たちが境内への乱入を阻止したという。

現在地に移されたのは明治になってからで、修験道の禁止、神仏分離によるものという。かつての場所は現在奥の院として残されており、行基作と伝えられる本尊の薬師如来もそこに祀られているそうだ。これらは後から知ったことだが、ならば奥の院にも行くべきだったのかなと思う。

本堂の扉が開いており中に入る。さすがに屋内は蒸し暑く、扇風機をつけさせてもらってお勤めとする。

本堂の隅にテーブルがあり、朱印の印鑑が置かれているのでセルフにて朱印をいただく。あ、御影をいただかなかったが、そういえばその場には見当たらなかったなあ・・。まあ、ここまででも何ヶ所か抜けているので全て揃えることにはこだわっていないので、別にいいか。

この先日向市に入るが、次の第34番・中野寺は海岸線からは遠いところにある。ならばその前に、せっかく来たのだからどこか日向灘を眺めるスポットに行ってみたい。そう思って前日、日向市のおすすめスポットを検索してみた。その中で見つけたのが、日向岬のある細島半島。先端の景色もよいし、海に面した神社もあるという。地図を見ると、先にこちらを経由した後に中野寺に向かうのがスムーズなようだ。

この日は申し分ない天候だが、その分暑い。途中のコンビニでは大きいサイズのペットボトルに加え、冷凍ボトルも購入する。暑いのはどうしようもないが、レンタカーでエアコンを効かせている間は快適である。炎天下、列車やバスが来るのを待つことを思えば、費用はかさんでもレンタカーのほうがいいのかな。移動もできるし・・・。

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8月6日の前日、広島・平和への祈り

2023年08月06日 | まち歩き

現在、7月に行った九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの記事を書いている最中だが、いったん中断して8月6日、広島原爆の日である。

8月6日は日曜日の当番に当たっており事務所に出社。とはいえ私一人ということもあり、ネットで配信されていた平和記念式典のライブ中継を見る。8時15分、職場の近くでもサイレンが鳴り、1分間の黙祷を行った。2回目の広島勤務で、8月6日が日曜日というのは初めてなので、式典をじっくり見たのも久しぶりである(仕事中は普通に時間が流れるだけなので)。

今年はG7サミットが広島で開催され、核兵器保有国を含む各国首脳が原爆慰霊碑への献花、平和記念資料館の視察が行われた。一方でロシアとウクライナの戦争の中でロシアが核兵器の使用をちらつかせるなど、核兵器や平和についてクローズアップされている。その中で広島からのメッセージも、例年のような通り一辺倒(に感じられる)の内容ではなく、真摯に訴えるものだったという印象である。

・・とはいえ、現実の世界を動かすのは容易ではない。その中で、(経済や社会に関する政策は評価しないし支持しないが)被爆地広島出身の総理大臣という、他の方にはない強いポイントがある岸田総理、ここはあなたにしかできないことである。頑張ってください。

さて、8月6日は朝は平和記念式典、そして夜は元安川での灯籠流しが行われるなど(最近はマツダスタジアムで「ピースナイター」としてカープの試合も行われる)、祈りの1日となるが、その前日の5日の夕方、広島市内に出向いてみた。

自宅近くから路線バスに乗り、平和記念公園に到着。団体用の観光バスが何台も停まり、資料館の入口にも長蛇の列ができている。6日当日は式典もあり中には入れないため、前日に手を合わせようと訪ねてみた。このタイミングで、プライベートで平和記念公園を訪ねるのは初めてである。

翌日の式典に向けての準備が進められている。新型コロナウイルスが5類に移行したことを受けて、今年は4年ぶりに一般参列者を入れた従来の形での開催という。

慰霊碑には手を合わせようと多くの人が行列をなしている。また、あちこちでは語り部の人たちが子どもや学生に向けて原爆の話を行う光景が見られる。

慰霊碑を前にする。

そのまま、平和の灯の横を過ぎて原爆ドーム方面に向かう。こちらにも大勢の人たちがさまざまな思いをはせているところだ。

そのままドームに向けて歩く。新型コロナウイルスによる入国規制も解除されており、外国人観光客の姿も久しぶりに多く見かける。G7サミットを機に広島を訪ねてみようという人が増えたのかな。

原爆ドーム前から広電に乗り、広島駅に移動する。8月5日の広島は1年のうちでもっともホテルの稼働率が高いと言われている。前日に広島入りして、昼のうちに原爆ドーム、平和記念資料館などを見学。夜は・・犠牲者の霊を慰めつつ一献(中にはマツダスタジアムに行く人もいるだろう)、そして6日の早朝から記念式典に向けて再び平和記念公園に行く行程。

その5日の夜に広島駅に向かったのは、「夏の夜、祈りと平和の夕べ」という行事に参加するためである。例年8月5日夜に平和関連のさまざまな行事、イベントがある中で、広島市のホームページで見つけたものだ。場所は広島駅新幹線口近くの二葉の里にある7つの社寺で、平和の灯から採火したろうそくでライトアップされるほか、犠牲者の追悼、平和への祈りを奉げるもので、2012年度から行われているそうだ。こういう行事があると知ったのは初めてで、現在広島新四国八十八ヶ所も回っていることからどのようなものか行ってみることにした。

その7社寺とは西から順に饒津神社、明星院、鶴羽根神社、広島東照宮、尾長天満宮、國前寺、聖光寺と宗派はばらばらだが、これらは「広島二葉山山麓七福神」を構成しており、こうした横のつながりがある社寺と、地元の人たちの手によって実施されている。

当日はボランティアガイドの案内により、東コース、西コースのいずれかを回る無料ツアーも行われるとあったが、そこは自分のペースで回ることにしよう。

そろそろ日が暮れようかとする中、新幹線口を出てまず向かったのは鶴羽根神社。こちらでは先着50名参拝者が献灯できるというので、それはぜひともということで早めに行ってみた。しかしさすがに早すぎたようで、まだ準備中のようだ。もっとも、受付開始と同時に先着50名のろうそくがなくなるほどでもないようで、係の人からは「先に『にぎつさん』や明星院さんに行かれたら・・」と案内される。ということで、西から順にお参りとする。

まずは饒津神社。山陽線の車内から見え、京橋川沿いの交通量の多い交差点からすぐなので神社があることは知っていたが、お参りは初めてである。江戸時代中期、広島城の鬼門を守護するために、浅野氏の開祖である浅野長政の位牌堂を建立したのが始まりで、その後、浅野氏祖先追悼の社殿が建てられた。かつては高い建物がなかったこともあるが、境内からは広島城を望むことができ、正に鬼門を守る存在であった。

原爆の時には爆風のため本殿その他が破壊され、出火もあって境内も全焼した。その中で市中心部から大勢の人が避難してきたが、ここで亡くなった方も多かったそうである。入口に、被爆樹木であるマツの切り株が置かれている。

次に明星院。こちらは6月に広島新四国八十八ヶ所めぐりで訪ねたばかりである。饒津神社に隣接しており・・というか元々は一体だったのが明治の神仏分離で分けられたように見える。

ここも参道でろうそくが照らされている。山門には「平和の鐘」があり、夕方の時間だがここで1回鐘を撞く。

境内には僧侶の読経の音声が流れる。本堂の扉も開放されており、中に入って般若心経のお勤めとする。浅野氏ゆかりの寺院ということで、本堂の内陣には四十七士の木像が祀られているのだが、さすがにこの時間だと中は暗いので外からにとどめる。

本堂の手前にランタンが置かれている。平和の灯から採火したもので、寺のろうそくの灯はこれから採るのかな。

そして鶴羽根神社に戻る。先着順のろうそくも準備ができており、「お待たせしました」と言われて受け取り境内に進む。他にもぽつぽつと、ろうそくを手にする人たちがお参りする。

鶴羽根神社の歴史は浅野氏よりも古く、平安末期、源平の戦いに敗れた源頼政の室・菖蒲の前が安芸に落ち延びたが(広島新四国の一つ、観現寺や福成寺に関連する)、その菖蒲の前の遺志により応神天皇、神功皇后を祭神といてこの地に社殿が建てられた。元々は椎の木八幡宮と呼ばれていた。その後、火災や戦乱で荒廃したが江戸時代に浅野氏により再興された。鶴羽根神社という名になったのは明治からで、二葉山が鶴が羽根を広げた姿に似ているとしてつけられたという。

鶴羽根神社も原爆の際に社殿が倒壊したが、石の鳥居や燈籠、手水舎などはそのまま残り、また被爆樹木も受け継がれている。

拝殿の前には風鈴も掲げられ、風に吹かれて鳴り響く。ろうそくと合わせて、これも被爆者の鎮魂かなと思いつつ、献灯台にろうそくをお供えし、手を合わせる。

辺りも暗くなってきた。その分、ろうそくの灯りがよりはっきりしてきた。広島高速5号線の工事中の高架をくぐり、広島東照宮に着く。ここで4ヶ所目である。

社殿に続く石段にろうそくで「祈」の文字が映し出されている。

石段下には原爆犠牲者の慰霊碑が建つ。

その横には、被爆体験をつづったことで知られる詩人、作家の原民喜の追悼碑がある。原民喜は被爆直後、広島東照宮の境内にて一夜を過ごし、避難して来た人たちの様子を手帳に記した。その手帳をもとに後に代表作「夏の花」などの作品を残したが、手帳に自ら記した「コハ今後生キノビテコノ有様ヲツタヘヨト天ノ命ナランカ」が碑文として刻まれている。

「祈」の文字の横を抜けて境内に入ると、30人ほどの人が何か聞き入っている。東照宮の宮司による被爆体験の語りである。私が訪ねた時はちょうど話も後半になっていたのではないかな。まずは拝殿にお参りすると、「祓いたまえ、清めたまえ」と神官から幣でお祓いを受ける。

東照宮が建てられたのは江戸時代。日光に東照宮が建てられたのを機に幕府は諸大名にも東照宮の建立を勧めたが、広島藩の2代目・浅野光晟は、母が徳川家康の娘だったこともあり、東照宮の建立に積極的に手掛け、建立後は社領も与えて保護した。

原爆投下時、爆心地から2キロあまりの場所に位置する東照宮は熱風により出火し、本殿、拝殿が焼失した。当時、東照宮境内には練兵場があって通信兵が常駐しており、バケツリレーで消火にあたったため延焼は防がれ、御神体も運び出すことができた。本殿、拝殿は戦後に再建されたものだが、唐門とその横の翼廊などは被爆建物として現在もその姿をとどめている。

被爆直後は、先に書いた原民喜も含めて大勢の人が東照宮に避難して来た。当時は高い建物がなかったこともあり、二葉山に鎮座する東照宮を信仰のシンボルとして逃れてきた人も多かったそうだ。しかし、ここで命を落とした人も多数いたという。

先代の宮司(現在語っている宮司の父親)は当時中学生で八本松に疎開していたが、広島に戻って来て市内や東照宮での惨状を見て、助けを求める同い年くらいの女学生を助けることができなかったという。長年そのことを悔いつつ、被爆体験のことは娘(現在の宮司)にも語ろうとしなかったそうだが、原民喜の追悼碑が広島東照宮に建てられることになったのを機に、自身も宗教者として伝えなければならないという思いが生じたそうだ。そして自らさまざまな活動を行うようになり、この「夏の夜、祈りと平和の夕べ」でも語り部となって東照宮の歴史や被爆体験を伝えてきた。2017年に亡くなった後は、現在の宮司に受け継がれている。

最後にはこんな内容の言葉があった。戦後78年経って、被爆した人たちも亡くなったり高齢化している。ただ、残された人たちや次の世代の人たちが伝えなければならない。伝えなければ忘れてしまう。忘れてしまうと歴史が繰り返される(再び、核の悲劇が起こる)。

最後に、笙の演奏により童謡「ふるさと」が合唱された。

東照宮の唐門からはちょうど広島駅周辺のビル群が並ぶ。駅の向こう、マツダスタジアムではカープとジャイアンツの1戦が行われているところで、この日もカープが優勢に試合を進めているようだ。広島の土曜日の夜は賑やかに、平和に過ぎていくが、どこかで先人たちに思いを寄せる一時もあってよい・・という気になった。暗くなり、「祈」の文字が一層くっきりと見えた。

本来であれば残りの3社寺(尾長天満宮、國前寺、聖光手)にも行くところだろうが、東照宮まで来たことでもういいかなという気になった。日が暮れたとはいえ蒸し暑く、汗だくである。この後でどこか一献ということもなく、そのままJRと広電を乗り継いで帰宅した・・。

平和を願う気持ちはそれぞれにあり、その表現の仕方もさまざまだろう。8月6日、平和記念式典の最中に周辺で大声でデモをしている連中もいたのかな(しかも、場違いな内容のコール)。それと比べるわけではないが、本来の祈りの場である社寺において、夜の静まった時刻に心を鎮めて手を合わせる・・。この「夏の夜、祈りと平和の夕べ」の取り組みがこの先も続くことを願うばかりである・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~延岡にて一献

2023年08月06日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

7月16日、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの1日目といいつつも広島から四国に渡り、さらに豊後水道を渡って日向の国に入る移動日で終了。この日は延岡に宿泊する。

延岡駅に降り立つ。前回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりではレンタカーで延岡まで来て、雨の駅前に降り立ったが、今回は鉄道である。もう20年近く前のことだが、年末年始の旅行で大阪から寝台特急「彗星」に乗り、かつて延岡から出ていた高千穂鉄道に乗ったことがある。雪の影響で「彗星」も遅れたが、その分個室寝台で長く過ごすことができ、それからしばらくして廃止された列車の思い出ともなった。

その延岡駅だが、現在は複合施設「エンクロス」として運営されている。1階に地元物品販売コーナーやスターバックスが入り、2階がいわゆる「ツタヤ図書館」となっている。

図書館ではあるが本の貸し出しは行っておらず、館内での閲覧のみである。また、「蔦屋書店」も兼ねており、同じフロアでも販売と館内閲覧の棚が混在している。宮崎関連の書籍もあれば、この時は長崎の軍艦島関連も特別コーナーとして扱われていた。閲覧、販売とスタイルはさまざまだが、ここなら列車の待ち時間も退屈しないし、地元の人たちの憩いの場にもなっているようだ。ツタヤを運営するCCCについてはさまざまな声があるのだが・・。

駅前の一角に、「延岡市ゆかりの歴代オリンピック出場者」のコーナーがある。延岡市でアスリートといえば・・やはり旭化成だろう。この手のモニュメントには手形が並ぶことが多いのだが、陸上部が多いだけにほとんどが「足形」である。その中でやはり宗茂・宗猛兄弟はレジェンドである。

ごつい手形があるなと見ると、柔道の篠原信一。ああそうか、旭化成は柔道部も強豪だったな・・と、その横には田中幸雄とある。ミスター・ファイターズにして、プロアマ混合のシドニー五輪に出場している。プロ野球選手の出場が解禁されて最初の五輪だったが、当時はまだ五輪はアマチュア選手が中心という考えも根強く、プロ側も積極的に選手を出そうという感じでもなかった。結局パ・リーグ各球団から1名ずつ(田中幸雄、松坂大輔、中村紀洋、松中信彦、田口壮、黒木知宏)、セ・リーグからは2名(鈴木郁洋、河野昌人)が出場したが、やはりプロアマ混合の難しさもあってか、五輪で初めてメダルを逃してしまった。これを受けてか、次のアテネ大会以降は全員プロで編成され、そして「侍ジャパン」となっていく。

それはそうと、田中幸雄は都城高校ではなかったかとプロフィールを検索してみると、幼少期は延岡に住んでいたという。父親の勤務先が旭化成で・・・これで納得。

さてこの日の宿泊だが、駅前ではなく徒歩10分ほどの街の中心部に向かう。前回、市街地をレンタカーで通った時に、夜の一献を考えると駅から少し離れるが中心部のほうがよいかなと思った。また、翌日利用するレンタカー店にも近い。五ヶ瀬川と大瀬川という2つの川に挟まれた中洲にある「延岡アーバンホテル」にチェックインする。「中央通」交差点の角だから、立地としては一等地だろう。

窓からは南側の景色が見える。左手の煙突がある一角は旭化成の工場。奥には愛宕山が控えている。

夏の九州はまだまだ明るいが、延岡での一献としよう。事前にグルメサイトで調べたが、地方都市のためか日曜休業の店も結構多い。その中で、ホテルからすぐの「炉端焼き 源太」という店を見つけて事前に予約しておいた。昔ながらの大衆酒場という構えである。

入るとカウンターはすでに満席、座席も予約客が結構入って来る。飛び込みだったら満席で断念せざるを得なかったところで、予約しておいてよかった。

まずは生ビール。運んでくれた店員がその瞬間、「今日もお疲れ様でした、乾杯!」とグラスを合わせる。最初の1杯でのお決まりだという。お疲れ様でした。

メニュー、そして目の前には日向の海の幸がずらりと並び、迷ってしまう。こういう時、一人旅の限界を感じる。複数で行けばいろいろ頼んでそれぞれシェアすれば豊富に味わうこともできるのだが・・。

その中で最初にいただいたのは、地鶏もも焼。やはり人気メニューのようで、七輪で数名分を炭火で豪快にあぶり、次々に鉄板に盛り付ける。柚子胡椒をつけ、ビールによく合う。

刺身はいろいろ迷ったが、選んだのはカツオ。カツオといえばタタキのイメージが強いが、刺身も結構いけるのである。鹿児島産とあったから枕崎あたりから仕入れたと思うが、この先、枕崎や指宿にも九州八十八ヶ所百八霊場の札所がある。いずれその方面に行くのも楽しみである。

メニューの中で気になった「イワシおびき」が出る。この「おびき」とは「尾引き」というもので、宮崎の郷土料理である。イワシの刺身ではあるが、庖丁ではなく手でさばくのが特徴。背骨だけでなく小骨も一緒に取れるそうで、新鮮だからこそできるものだという。これも人気のようで、数も限られているためか、私が注文したので最後となった。

日向に来たのだから焼酎も飲もう。とはいえ芋焼酎は苦手。メニューを見て選んだのは、高千穂の米焼酎「露々」(グラスが「木挽」なのはご愛敬)。水割りにするとすごく飲みやすい。高千穂といえば神話の国。こちらの棚田で作られる米の評価は高く、まさに神の恵みを感じさせる。

そして日向ということで、昔から有名な麦焼酎「ひむかのくろうま」もいただく。水割りとはいえそれぞれ2合ずつ開けてしまった。結構調子に乗りすぎたかな・・。

高千穂の焼酎のアテとして、「湯がきみな」をいただく。ミナ貝、他にもさまざまな呼び方があるが、九州では広く採れる貝だそうで、他の貝との盛り合わせ。つまようじでほじくって中から身を取り出す。

ふと店内を見渡すと、壁に見覚えのあるサインが掛けられている。おお、吉田類氏ではないか。どうやらここ「源太」は「酒場放浪記」にも登場する店だったようだ。知らずに予約したのだが、いい店に入ったものだと思う。ちなみに、吉田類氏の隣のサインは、競泳の元日本代表の松田丈志氏。この人も延岡出身である(ならば先ほどの駅前のモニュメントに手形があるはずだが、見落としていた)。

そして来たのが「くまばち唐揚げ」。にんにくの丸揚げとの「スタミナセット」である。私の普段の生活でハチを食べるということはまずないのだが、山間の高千穂や椎葉あたりでは郷土料理の一つだという。信州の蜂の子料理は知られているが、いずれにしても海から離れた山奥にあって昔は貴重なたんぱく源だったことだろう。素揚げにされているためか、見た目ではハチとは感じられず、エビでも食っているかのような感触だった。

日向の海の幸、山の幸、神の恵みを存分にいただき(会計はそれなりにかかったが)、外に出るとさすがに暗くなっていた。コンビニの買い物をかねてしばらく中心部をぶらつくが、やはり日曜休業の店が多いせいかちょっとさびしさを感じる。

そして迎えた翌17日。札所めぐり当日のこの日も快晴である。ホテルにて朝食をいただき、8時の開店をめがけてレンタカー店に向かう・・・。

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第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~豊後水道を渡り「謎のまち」へ上陸

2023年08月04日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは広島から四国を経由し、これからいよいよ八幡浜から臼杵に向けて出航する。乗るのは11時45分発の宇和島運輸フェリーの便で、臼杵には14時10分の到着予定である。

乗船するのは「おおいた丸」。宇和島運輸フェリーの中では最も古い2004年の就航である。2等船室は桟敷席が基本で、後はデッキや売店前にベンチ、ソファーがある。この日は十分に余裕があり(船会社とすればもう少し乗ってほしいところだろうが)、桟敷の一角を独り占めする。クッション枕もあるし、コンセントも備え付けられている。

最上階のデッキに出てみる。潮風が吹くものの、夏の太陽が照り付けて暑い。他の季節、いや以前なら夏場であっても2時間くらいなら外の風に当たるのが船旅の気持ちよいところで・・・何ならデッキの上で缶ビールを飲むのが贅沢や!!・・・などと思っていたのだが、ここ数年、夏の暑さも異常なものになってきている。まして真っ昼間である。基本的には涼しい室内にいて、海を見たければその都度外に出ることにする。

船内には売店があり、のぞいてみると幕の内弁当があった。そして缶ビールもしっかり確保する。私の場合、旅に出るとガチガチにあれこれ入れ込んでしまうので昼食の時間が取れず、欠食になることが多いのだが、さすがにこの日くらいは昼を食べたかった。先ほどフェリーターミナルでも弁当が早々に売り切れていたのでこれはありがたい。掛け紙には豊後水道を挟んだ大分、愛媛の観光名所がイラストで描かれている。中身も、昔ながらの幕の内、駅弁である。もちろんビールもはずむし、松山で買ったチューハイも何とか溶け残ったグラス氷と一緒に豊後水道のお供にする。

しばらく八幡浜の入り江を行く。右手にはこの先佐田岬半島が続く。斜面を利用したみかん畑が広がる。この佐田岬半島、40キロにわたって続く。したがって航路の長い時間、半島の景色が続く。この先端の三崎から佐賀関までのフェリーも出ており、四国と九州を最短距離で結んでいる。

一方左手には宇和海が広がる。遠くに島も浮かぶが、方向によっては水平線だけが広がる。九州に渡るのにこうした景色を眺めるとは意外であり、旅の面白さである。

デッキに出てこうした景色を眺めたり、また客室の桟敷に寝転がったり、あれこれくつろぐ。昼間の2時間半というのはちょうどよい長さに感じで、開放的なぶん、鉄道の2時間半よりも疲れを感じない。他の乗船客も思い思いに過ごしている。

そろそろ佐田岬半島の先端が近づく。佐賀関に続く島々も見えるようになり、四国と九州の間は案外狭いものである。この辺りは豊予海峡と呼ばれ、地図で見比べるとちょうど瀬戸大橋が結ばれる児島~坂出とさほど変わらないくらいの距離に見える。ここにトンネルを掘って、大分~松山間に「九州・四国連絡新幹線」を通すという構想もあった(今もあるのかな)。もっとも、ここだけ新幹線を開通させても意味のないことで、前後の区間があることが前提である。

九州本土がだんだん大きくなり、14時10分、臼杵に入港する。こういう形での九州上陸というのも意外性あるが、そういえば、「水曜どうでしょう」の「サイコロの旅」でも、東京から最初のサイコロで松山が出て、次のサイコロで「謎のまち 臼杵」に渡っている。臼杵といえば城下町もあり、石仏もある。決して「謎」ではないのだが、北海道の方にすればなじみがない町であることは確かだろう。大泉洋さんの九州初上陸が臼杵というのも何だか妙だが、ある意味九州の玄関口ともいえるだろう。

臼杵駅から乗るのは14時40分発の「にちりん9号」で、これを逃すと2時間待ちとなる。臼杵港に来るのは初めてで、フェリー到着後30分で間に合うかなと気になっていた。フェリーターミナルにタクシーはいなかったが、地図によると駅との間は1キロほど。歩いても間に合いそうだ。

臼杵駅に来るのは初めてである。駅前には臼杵石仏のシンボルといえる大日如来像の模造もあり、訪れる人へのアピールである。

みどりの窓口であらかじめネット予約していた指定席券を発行する。駅そのものは昔ながらの建物だが、観光案内所も併設され、ホームの駅名標はあの「う+ハートマーク」で「うすき」である。謎のまち・・もとい石仏、城下町の玄関地としてのおもてなしである。町の中心から少し離れているとはいえ、もう少し駅前が賑わっているとよいのだが・・。

やって来たのは787系の4両編成。指定席もほぼ満席だが、あらかじめ海側の席を確保していた。後はこれで宿泊地の延岡に向かうだけである。

この先の海岸沿いのルートは前回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでたどったところに近い。あの時は雨模様だったがこの日は海の輝きを見ることができる。

佐伯に到着。ここから延岡までが県境の区間である。前回訪ねた宗太郎駅も列車で通過する。ちょうどこちら側からだと、訪問者がメッセージを書いた石が並ぶベンチが見えるはずだ。少しずつ山が深くなる・・。

・・・ところが気が付くと、周りの景色も開けた感じである。県境区間、佐伯から延岡までは1時間ノンストップで走るが、ちょうど眠気にモロに襲われたようだ。もっとも眠っていたのは私だけではないようで、指定席車両全体を見渡しても静かな様子であった。

16時09分、延岡到着。同じくここで下車する人も多い。今朝、自宅を出てからの動きは広電宮島線 ~ 広電市内線(路面電車) ~ スーパージェット ~ リムジンバス ~ 特急「宇和海」 ~ タクシー ~ フェリーの桟敷席 ~ 特急「にちりん」 と8つの乗り物を乗り継いで10時間かかった。延岡は遠い・・・(いや、遠回りしてるだけやん)。

1泊2日での九州八十八ヶ所百八霊場めぐりといいつつ、1日目は札所に行くことなく完全な移動日となった。この日は延岡に宿泊し、明日(7月17日)は朝から宮崎に向けて・・・。

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第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~松山で湯に浸かり、八幡浜へ

2023年08月03日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

広島から延岡に向かうのに瀬戸内海と豊後水道を渡るルートで行く九州八十八ヶ所百八霊場。まずは広島宇品港から「スーパージェット」で松山観光港に上陸し、道後温泉行きのリムジンバスでJR松山駅に到着した。

松山駅は現在高架化工事が進んでいる。完成は来年秋頃の予定で、その時にはこの味のある三角屋根の駅舎もリニューアルされるそうで、このデザインもなくなるのだろうか。

さて、松山では次に乗る10時18分発の特急「宇和海9号」まで1時間ほどある。さすがにこのインターバルでは道後温泉や松山城に行くには足りず、駅近辺で過ごすことになる。

そこで行く前に目をつけていたのが、松山駅前にある「喜助の湯」。松山や今治でアミューズメント産業を手がけているキスケが運営しているスーパー銭湯で、私が四国八十八ヶ所めぐりをした時、松山近辺のしりーうで何度か利用したことがある。まだ汗はそれほどかいていないが、久しぶりに松山に来たことだし、いったんさっぱりしようか。

スーパー銭湯といいつつも、湯は道後温泉郷から湧き出す天然温泉で、道後温泉本館などとは異なりさまざまなスタイルの浴槽が楽しめ、サウナも充実している。

この後は湯上りでしばし休憩する。一瞬、このまま松山でゆったりして広島に帰ってもいいかなとすら思ったが、そこは予定の列車に間に合うように出発する。

湯上りのビールはこの後の楽しみとして、構内のコンビニで飲み物と保冷剤代わりのグラス入り氷を仕入れ、改札口横のうどんコーナーにて宇和島名物のじゃこ天を購入する。これをかじりながら海を渡るのもよいだろう。

松山駅の特徴として長い1番ホームがあり、高松・岡山方面の「しおかぜ」・「いしづち」と、八幡浜・宇和島方面の「宇和海」がホームの左右に停車して、同じホームで乗り継ぐことができる。平面式で改札口が1ヶ所しかない駅ならではの構造である。さすがに高架化されたらこの方式はなくなり、同じホームの向かい側での乗り換えとなるだろうが。

これから乗る「宇和海9号」。3両という短い編成でもあり、それぞれの乗車口にはそれなりの列ができている。あらかじめ指定席を確保していたが、3両編成のうち、3号車の後ろ半分だけの設定で、青のシートカバーに「指定席」の文字がある。残りの自由席も含めてほぼ満席で、連休中だからか、この先に向けても結構需要があるものだと思う。

工事中の高架橋に沿い、次の市坪駅を通過する。駅横にあるのは坊っちゃんスタジアム。ちょうど夏の高校野球の愛媛大会の期間中で、スタンドの上には朝日新聞の旗が並ぶ。試合をやっているのかなと検索すると、この時は松山学院対大洲高校の対戦とあった。この後の結果は4対0で松山学院が勝利した模様(ちなみに、この夏の愛媛大会を制したのは川之江高校=21年ぶり=であった)。

伊予市に停車後、向井原から内子経由の路線に入る。一方下灘、伊予長浜経由の「愛ある伊予灘線」が離れていく。特急はすべて内子経由で、「愛ある伊予灘線」は完全なローカル区間なのだが、観光列車「伊予灘ものがたり」が走る路線として人気である。以前、四国八十八ヶ所めぐりで松山を訪ねた時、真ん中の1日が雨ということもあって札所めぐりを休み、代わりに「伊予灘ものがたり」に乗り、途中下灘にも停車して伊予大洲まで行ったことがある。元より雨なので伊予灘の景色は今一つだったが・・今のような天気なら瀬戸内海の眺めも最高だろう。今回のプランニングで、リニューアルされた「伊予灘ものがたり」に乗ることも一瞬考えたが満席だった。

高架橋、トンネルで一気に快走し、観光地の内子で若干の下車がある。

10時52分、伊予大洲に到着。するとここで指定席、自由席とも多くの客が席を立つ。伊予大洲も観光地だが、乗客の多くが席を立つところとまではいかないはずで意外に感じる。

ただそれもすぐに納得した。反対側のホームにその「伊予灘ものがたり」が停まっており、客室乗務員が「宇和海9号」に向けて手を振っている。どうやら乗客の多くが、松山から伊予大洲まで「宇和海9号」に乗り、伊予大洲10時57分発の「伊予灘ものがたり 双海編」に乗り換えるようである。「双海編」はこの先車内で昼食を楽しみつつ、下灘駅にも停車して13時01分に松山に戻るというプラン。私が以前乗った時はキハ47の2両編成だが、現在はキハ185を使った3両編成に「グレードアップ」されている。そのことも新たな人気につながっているようだ。いずれ乗ってみたいものである。

一気にガラガラとなった「宇和海9号」。肱川の向こうに大洲城の模擬天守を見て、もう少し走って11時04分、八幡浜に到着。

八幡浜~臼杵間は宇和島運輸フェリーと九四オレンジフェリーの2社が交互に運航しており、次の便は11時45分発の宇和島運輸フェリーである。駅からフェリーターミナルまで歩くと時間的に結構ギリギリだし、またこの暑さである。ここは駅から(私にはめったにないことだが)タクシーに乗ることに決めていた。

他にもフェリーに乗るらしい客が何組かいたが、停まっていた最後の1台に乗る。運転手は「まっすぐ行っても信号にひっかかるんで、裏道を行きますよ」と、1本入ったとおりをグネグネと走る。八幡浜には以前、別府からのフェリーで着いた時に街中のホテルに泊まったことがあり、見覚えのある通りも見える。

裏道のおかげか?他のタクシーより心持ち早くフェリーターミナルに着いた。まあ、早く着いたといってもほんの1~2分の差で、フェリーの時間には十分余裕があったし、急いで乗船手続きをしなければ席が確保できないほどの客がいるわけでもなかった。

フェリーターミナルは2022年に新築された建物である。現在宇和島運輸フェリーの窓口が開いており、用紙に記入して乗船券を購入する。売店があったが、弁当は限定販売ということで早くも売り切れ。まあ、先ほどの飲み物もあるし、何ならじゃこ天もあるので航海中も何とか持つだろう。

待合室の一角にドアが置かれている。映画「すずめの戸締まり」にちなんだものだという。映画を観ていないのでよく知らないのだが、各地の景色が映画の舞台のモデルとなっているそうで、愛媛県からも八幡浜、伊予大洲などが登場するという。

乗船案内があり、フェリーに向かう。これからおよそ2時間半の船旅である・・・。

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第11回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~九州に行くのに宇品港から松山へ

2023年08月02日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

またしても次なる巡拝へ。

5月の連休後半以来の九州八十八ヶ所百八霊場めぐり。7月16日~17日という日曜・祝日の1泊2日という限られた日程ではあるが、前回で宮崎県に入った延岡まで進んでおり、今回は延岡から南に向かい、門川町、日向市、都農町を経て宮崎まで進む予定である。宮崎市内の2ヶ所まで含めれば今回で6ヶ所訪ねることになり、札所も38番まで進む。さらにその先は日南、都城、えびのといった奥深いところが続く。

九州八十八ヶ所百八霊場を回り始めた時、交通の便という意味では最も遠い宮崎県をどうするかと思っていたが、いよいよその渦中に入ることになった。

まず考えられるルートとして、朝から新幹線と日豊線の特急を乗り継いで昼に延岡に着き、列車またはバスで門川町にある第33番・永願寺を参詣した後、延岡または日向市で宿泊。2日目はレンタカーにて日向灘沿いに南下し、夕方に宮崎に到着。そのまま特急「にちりんシーガイア」で長躯小倉まで移動し、新幹線で広島に戻るというものだ。永願寺だけ列車またはバスで訪ねるとしたのは日豊線の門川駅近くにあるからで、路線バスも並走しているのでここは公共交通機関に乗ってみようというもの。しかし、日向市、都農町となると国道10号線からは近いものの、列車やバスとなると厳しい。本来ならローカル列車にも乗りたいところだが、九州八十八ヶ所百八霊場の札所は公共交通機関だと不便なところが多く、今回もレンタカー利用となる。まあ、レンタカーの場合は他のスポットにも気軽に立ち寄れるメリットも大きい。

そんな中だが、新幹線と日豊線の往復というよりも、変化をつけてみようと思う。頭にあったのは、四国から豊後水道を渡って九州に上陸するというもの。そのきっかけは前回佐伯まで来た時にあり、宮脇俊三の紀行文で高知県の宿毛から佐伯行きのフェリーを利用したとあったのを思い出したこと。もっとも、宿毛~佐伯のフェリーは利用客の減少等により数年前から運航中止が続いている。

その代わりに目を付けたのが、愛媛県の八幡浜から臼杵を結ぶフェリー。八幡浜からは別府へのフェリーも出ており、以前別府から利用したことがあるが、もう少し南の臼杵に上陸するのも一風変わったルートで面白そうだ。そして、八幡浜に行くために広島の宇品港から瀬戸内海を横断し、松山から特急に乗る。それぞれのダイヤを見比べる中で、広島から松山までものんびりフェリーで移動できればよかったのだが、後の乗り継ぎを考えるとここは高速艇「スーパージェット」利用となる。

松山観光港から松山駅に移動して、特急「宇和海」で八幡浜まで移動し、フェリーで豊後水道を渡る。そして臼杵から特急「にちりん」に乗り継ぐ。宿泊は延岡に決めた。そして翌日は延岡からレンタカーで南下する。先に名前の出た門川町の永願寺も通り道だから翌日一緒に回る。結局延岡まで1日がかりで行くことになり、翌日に一気に札所を回るプランとなった・・。

前置きが長くなったが、7月16日の朝、広電にて宇品港に到着する。16日、17日ともに西日本は晴天が広がり、その分猛暑の予報も出ている。その中で岸壁に立つと多少は風があり、朝の時間ということで少しは涼しく感じる。

これから乗るのは広島7時30分発の松山行き「スーパージェット」。後の行程を考え、この便が最適とした。呉を経由しないこともあり、松山まで1時間10分で結ぶ。フェリーだと2時間40分だから半分の時間である。

スーパージェットに乗るのは初めて。せっかくなので、1階の普通席に800円プラスして2階のスーパーシートに座る。この距離で合計8800円とは高いようにも感じるが、鉄道利用なら瀬戸大橋経由でぐるりと回らなければならないし、高速バスに乗るとしても福山まで出る必要がある。結局、海を渡るのが最善といえる。

座席サイズなどは特急の普通車とグリーン車ほどの差はないが、ゆったりできる。スーパーシートに陣取ったのは私ともう一人だけで、後は普通席だがこちらも十分空席がある。朝の便だからだろうか。

まず左手には宇品島、そして広島サミットのメイン会場となったグランドプリンスホテル広島が見える。市民としては交通規制の影響もあったが、G7首脳が揃っての平和記念資料館訪問、ウクライナのゼレンスキー大統領の急遽参加などさまざまな話題があり、サミットじたいの評価はさまざまだろうが今年の広島におけるもっとも重大な出来事であった。

空いているのでいろいろ席を変えてみる。太陽が照りつけるとさすがに暑い。高速艇なので外に出て潮風を受ける・・とはいかないのが残念で、エアコンの風が当たりそうなところにも座ってみる。

呉を経由しないので、海上自衛隊の施設はよく見えず。

音戸の瀬戸を通過する。さすがのスーパージェットでもここでは減速せざるを得ない。

宇品を出た時は一部残っていた雲も晴れ、どの方向も青空である。そして前方に、同じ松山行きのフェリー「シーパセオ」の姿を捉える。宇品を6時45分に出航した便で、一時はこれに乗ることも考えた。結局その時間に宇品に出るのが厳しかったので断念したが・・。

愛媛県に入り、斎灘に浮かぶ島々を眺める。今から九州に行くのに、伊予の島々を楽しむとは・・。

松山観光港に入る。四国に上陸すると本家・四国八十八ヶ所も気になるし、観光港の近くにも札所があるが、現在のところ「2巡目」を行う予定はない。

これから松山駅に向かう。これまで松山観光港を利用した時は、路線バスで高浜駅まで出て伊予鉄道に乗ったことがあるが、来て見ると松山駅、松山市駅経由で道後温泉までのリムジンバスがあるという。路線バス~伊予鉄道よりも若干運賃はかかるが、観光バス車両だし、松山駅まで直通するのでこちらに乗ってみる。

松山駅に到着。まだ9時すぎだが駅前も暑さでぎらついている。次に乗る特急「宇和海9号」までは1時間余の時間があるので、どう過ごすか・・・。

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