まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

観戦記・カープ対ベイスターズ@クライマックスシリーズファーストステージ第2戦(マツダスタジアムの空気を楽しむ)

2023年10月15日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

NPBも14日からクライマックスシリーズに突入。私はバファローズが出場するファイナルステージの観戦を予定しており、ファンクラブ先行販売でチケットを確保している。

一方セ・リーグのファーストステージはカープ対ベイスターズということでマツダスタジアムでの開催である。普段セ・リーグの試合はほぼ観ないのだが、やはり地元広島のマスコミは盛り上がっているし、ならば一丁スタジアムで観戦してみようという気になった。

とはいえ、各予約サイトからのチケットは発売開始早々に完売。そこは織り込み済みで、リセールサイトにてチェックする。15日の第2戦、一塁側2階席の一つを確保することができた。

さてこのカード、14日の第1戦は延長11回、秋山のサヨナラ打でカープが先勝。第2戦に勝つか引き分けでファーストステージ突破である。ファンの期待も大きい。

・・・といいつつも、私の立場としては気楽なものである。ちょうど気候も良くなったし、スタジアムの風に吹かれて野球観戦が楽しめればよいというくらいのもの。

この位置で観戦するのは初めてである。これまで、バファローズの交流戦等で来た時は三塁側の下段席がほとんどだttこともあり、どっぷりカープファンの中に身を置くのも初めて。レプリカユニフォーム着用、カンフーバットなどの応援グッズなど、何か赤いものを身につけるのがお約束のところ、何のグッズも持たずに着席する。先ほど広島駅で鉄道の日記念の駅弁祭りをやっており、いくつか仕入れた中の一つ「広島牡蠣づくし」をここでいただく。牡蠣飯の上に、煮牡蠣、炙り牡蠣、牡蠣フライ、牡蠣の譲味噌和えが並ぶ。早速一献とする。

ちょうどここからだと新幹線、山陽線(カープ列車も走る)、芸備線の気動車がレフト後方を走るのが見える。この後試合中にさまざまな形式の車両を見ることになる。

コンコースも賑わっている。特に「カープうどん」は大盛況で、コンコースで立ち食いしたり、2階席への階段に腰掛けてすすったりと。

一方のビジターパフォーマンス席も青のユニフォーム姿で埋まり、試合開始までには満員御礼となった。数では圧倒的に少ないが、声援の熱量はカープに負けていない。

さてスタメン発表。先発はカープが森下、ベイスターズが今永である。今永については今オフにポスティングシステムによるメジャー移籍を噂されているそうだが、だとすると日本での見納めになるかもしれない。

この後はカープファンの有名人のリレーによる「それ行けカープ」。こういうのを見るとバファローズファンとしてはうらやましい限りである。

「本日の始球式を務めるのは山本浩二さんです」とのアナウンスがあり、場内が沸く。ビジョンにはベンチ前でキャッチボールする姿が映される。この試合は広島テレビ(日本テレビ系列)が中継しており、その解説もするようだ。また1975年の同じ10月15日は、カープがリーグ初優勝を決めた日ということもあり、球団のレジェンドにこのクライマックスシリーズを盛り上げてもらおうということのようだ。

新井、三浦両監督によるメンバー表交換があり、いよいよ試合開始である。

カープのナインが守備位置につき、そして山本浩二登場である。マウンドの森下に何やら声をかける。

で、打者は?となるが、普通ならベイスターズの1番・林ということになるのだろうが、バッターボックスに立ったのは、現カブスの鈴木誠也。前日の第1戦にも観戦に訪れていたことは記事に出ていたのだが、ここでバッターボックスに立つとは。ただそれにしてはラフなTシャツ姿である。

ネット記事によると、鈴木誠也が打席に立つことが決まったのは何と「5分前」で、新井監督の無茶ぶりだったそうだ。下のジャージやシューズは新井監督のものを借りたそうで・・。それにしても、こうした演出でスタジアムの雰囲気を盛り立て、それを後押しにして戦えるというのはホームの有利なところである。

さて第2戦、第1戦に続いて接戦となったのだが、その観戦記は次の記事にて・・・。

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京都30番「吉田神社」~神仏霊場巡拝の道・67(神道にもいろいろあり)

2023年10月14日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場めぐりは今回の目的地である吉田神社に向かう。銀閣寺道でバスを降り、今出川通を歩く。途中、京都ラーメンの名店があり立ち寄ってみたが、この日(9月18日)は休みだった。

今出川通を進むと左手に吉田山が見える。別名を神楽岡と呼び、一帯は吉田神社の境内地になっている。ただし神社はちょうど反対側にあるため、山には上らず西側を迂回する。ちょうど、京都大学のキャンパスの横を通る。

表参道の脇から入る形で吉田神社の鳥居に出る。ここから石段を上がり境内に入る。結構参拝者の姿を見る。この日は敬老の日ということで「敬老祭」という神事が行われいたようで、参列した方にお下がりらしきものが渡されていた。

吉田神社が開かれたのは平安初期。藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社の四座の神を勧請したことに始まる。藤原山蔭とは西国三十三所の総持寺を開いた人物であり、「四条流庖丁式」の創始者でもある。

鎌倉時代以降は卜部氏(吉田氏)が神職を担うようになり、「徒然草」の吉田兼好もその一族という。そして室町時代には吉田神道(唯一神道)が開かれ、その拠点となった。吉田神道は神仏習合、本地垂迹説とは相対する考え方である。江戸時代にかけては神道の中でも大きな力を持っていたが、明治になり国家神道が生まれると吉田神道も廃れた。今は、ごく普通の神社といっていいだろう。

今回気づかなかったのだが、本宮から少し離れたところに吉田神道の拠点だった大元宮がある。一口に神道といっても、仏教の宗派ではないがさまざまな考えがあるようである。

参拝を終えて朱印をいただく。

これで今回の神仏霊場めぐりは終了。これまで回ったところを振り返ると、京都市内の札所も結構塗りつぶしが進んでいるように見える。

さて次回の行き先を決めるあみだくじ。その出走表で出てきたのが・・

・当麻寺(奈良19番)

・一乗寺(兵庫12番)

・朝護孫子寺(奈良17番)

・興福寺(奈良3番)

・石山寺(滋賀14番)

・金剛輪寺(滋賀3番)

次は奈良か、滋賀かというところで当たったのは石山寺。西国三十三所の札所でもあり、こちらの4巡目も進む。西国三十三所といえば第12番・岩間寺(神仏霊場には含まれていない)も近くにあり、この機に一緒に訪ねることにしよう。

京都大学のキャンパス内を通り、バスにて出町柳駅に戻る。ここから京阪特急のプレミアムカーで大阪市内に移動しよう。

地下のコンコースに下りると人だかりができている。枚方公園~光善寺間の踏切で人身事故があり、淀屋橋・中之島~出町柳の全線が運休とのこと。あらあら。

運転再開の時間がはっきりしていないので、バスで京都駅に向かうことにする。京都バスに乗ると、大原方面からの便で外国人を含む観光客で混んでいた。まあ、バスの利用客が多いのはよいとして、三条から先、市街地に入ってからの混雑が激しい。特に右左折時、信号が青になっても歩行者が多いものだからなかなか前が動かない。まあ、急ぐわけではないが・・。

京都駅に到着。3連休最終日ということでかなりの混雑である。市内の観光地に向かうバス乗り場にも長蛇の列ができている。

その中、12時54分発の特急「スーパーはくと7号」に乗り込む。またしても短距離での特急移動だが、スマホで「e5489」から予約し、「WESTERポイントチケットレス」で購入した。京阪神地区の特急で設定されており、京都~新大阪間だと200ポイント使用で実質450円の支払いで指定席を利用できる。

「スーパーはくと」が走る智頭急行だが、智頭急行内の特急料金が来年3月に値上げすることが発表されている。その理由の一つとして、特急車両の更新が挙げられている。そういえばこの車両も1994年の登場以来だから、もう30年近く走っていることになる。

新大阪に到着。後は新幹線にて広島に戻る。久しぶりに明るい時間での帰途となる・・・。

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京都28番「曼珠院」~神仏霊場巡拝の道・66(庭園ひとまわりし、再建されたばかりの宸殿へ)

2023年10月12日 | 神仏霊場巡拝の道

赤山禅院から15分ほど歩き、曼珠院門跡に到着。こちらは近畿三十六不動めぐりで訪ねたことがある。先ほどの赤山禅院が寺院でありながら神社の雰囲気があったのに対し、曼珠院はどこかの屋敷に上がるような感がある。

曼殊院は平安初期、伝教大師最澄により比叡山に開かれたのが始まりとされる。後に北野天満宮が造営された際にその別当職を務めることとなった。平安末期、その北野天満宮の管理のために北山に別院が建立されたが、足利義満が北山殿(後の鹿苑寺)を建設するために洛中への移転を余儀なくされた。その後、江戸時代前期になって現在地に落ち着いた。

現在につながる建物や庭園を整備したのは良尚法親王は天台座主を務めるとともにさまざまな風雅の道の達人でもあった。

拝観、というよりは屋敷、庭園の鑑賞のようなものである。まずは庫裡から建屋に入る。

本堂に当たる建物は大書院。広間の中をさまざま回る。その一角に祀られているのが黄不動。黄不動は三井寺で祀られている秘仏だが、その黄不動を元に制作された仏画である。しかしながらその仏画も平安末期のものとされる貴重なもので、現在は京都国立博物館に寄託されている。目の前にあるのは写しの写しといえるが、それでも撮影禁止。この前でお勤めとする。

江戸時代からの庭園を眺める。曼殊院は紅葉のスポットとして知られるが、この時季はまだ緑が濃い。

順路を進むと、これまでとは違い真新しい柱や床板が見える。昨年、明治以来150年ぶりに再建された宸殿である。ならば150年前はというと、現在の京都府立医科大学病院の前身である京都療病院の建設にあたり、その材木として寄付されたという。もっともこの寄付、明治の神仏分離で曼殊院と北野天満宮が分離されたことも関係したのかもしれない。

先ほど、「本堂に当たる建物は大書院」と書いたが、本来の本堂はこの宸殿である。この再建により、曼殊院の本尊である阿弥陀如来はこちらに移された。再建を記念して黄不動の仏画も一時公開されたそうである。

その前庭として、「盲亀浮木の庭」が整備された。大書院と宸殿、小堀遠州の庭とこの枯山水ということで、時代の流れを感じさせる。どこか、こうした姿の中に仏教の教えが隠されていそうに思われる。

受付時に預けていた納経帳を受け取る。墨書は「竹乃内御殿」とある。京都に5ヶ所ある天台宗の門跡寺院の一つとしての呼び名である。そこは、近畿三十六不動との違い。

これで曼殊院を後にして坂を下る。近畿三十六不動めぐりで来た時には、宮本武蔵と吉岡一門の決闘が行われた一乗寺下り松や、その前に勝利を祈願して参拝したが「われ神仏を尊んで神仏を恃まず」として決闘に臨んだという八大神社を訪ねた。また、ラーメン店の多いエリアでもある。

ただ今回は目的地である吉田神社に行く必要がある。叡山電車の一乗寺まで歩いてもよいが、京都市内ならバスの瓶もあるだろう。白川通に出てバスに乗り、行き先の関係で銀閣寺通で下車する。あとはもう少し歩いて行くことに・・・。

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京都27番「赤山禅院」~神仏霊場巡拝の道・65(皇城表鬼門の守護)

2023年10月11日 | 神仏霊場巡拝の道

9月18日、京橋から京阪特急で出町柳に移動して、叡山電車に乗り継ぐ。2両編成の展望車両「きらら」は多くの立ち客も出て混雑していた。

神仏霊場めぐりでは叡山電車の終点である鞍馬の鞍馬寺、貴船神社もあるし、八瀬比叡山口の先には三千院、寂光院がある。そして結願となる延暦寺・・。叡山電車で回る機会もあるだろうが、今回は目的地の吉田神社に行く前に、手前の修学院で下車する。

まずは奥にある京都27番・赤山禅院に向かう。修学院駅からは歩いて20分ほどとあるが、ぼちぼち進む。

赤山禅院に到着したが、まず出迎えるのは石の鳥居。「禅院」というから寺には違いないのだが、神仏習合の歴史があったのかな。

そのまま進むと山門に着く。今は青々としているが、赤山禅院は秋の紅葉スポットだという。

脇には「赤山明神」と書かれた石碑がある。「明神」とは、仏教から見た神の呼び方である。その「明神」の正体とは・・?

そして境内には「都七福神」の幟が並ぶ。赤山禅院は七福神のうち福禄寿を受け持っている。

赤山禅院が開かれたのは平安初期。天台宗の慈覚大師円仁は、唐に渡った際に滞在した赤山法華院にちなみ、陰陽道の神である泰山府君を平安京の守護神として勧請しようとした。しかし円仁はそれを実現することなく亡くなり、その弟子である安慧が遺志を受け継ぐ形で、ちょうど平安京の鬼門にあたる方角に延暦寺の塔頭として開かれた。その泰山府君は神仏習合の中で赤山大明神となり、明治の神仏分離もそのままに現在も本尊として祀られている。

まず正面になるのは拝殿。柱には「皇城表鬼門」の文字が見える。中をのぞくと神棚のような趣だ。

続いては地蔵堂。赤山大明神の本地仏が地蔵菩薩とされている。神仏習合、本地仏・・・どれがどれに対応するのか私も理解していないことばかりで、勉強しなければと思う。

そして本堂へ。縁台には狛犬も安置されている。やはり寺というよりは神社の雰囲気が強い。

順路は奥へと進み、福禄寿殿に着く。納経はここで受け付けとのこと。また神仏習合でごっちゃになるが、赤山大明神、泰山府君、そして福禄寿というのは同一のものという。まあ、七福神じたいが仏教、神道、道教にヒンズー教といったさまざまな教えの融合体なのだが・・。

墨書は「皇城表鬼門 赤山大明神」とあり、菊の御紋も入る。

帰り道には雲母不動堂がある。「ぜんそく封じ へちま加持」の貼り紙もある。毎年中秋の名月の日に行われる天台宗の法要で、比叡山の千日大峰行を修めた大阿闍梨が加持祈祷を行うものである。今年の中秋の名月は9月29日だったが、満月と重なったことで話題になった。

境内を後にして、次は京都28番・曼殊院を目指す。

そのまま行くと修学院離宮の入口に出た。修学院離宮は江戸時代、後水尾天皇の指示で造営された庭園で、見学には事前申し込みが必要という。もっとも、空きがあれば当日現地での申し込みも可ということで、入口前には空き状況が掲示されていた。もっとも、掲示されているのは午後の部の空き人数で、午前中は満員御礼なのだろう。別に計画に入れていなかったし、わざわざ午後の部まで待つこともないかと思いそのまま素通りする。

離宮はともかく、この一帯は「歴史的風土特別保存地区」というのに目がとまる。いわゆる「古都」において、歴史的風土を後世に伝えることを目的として、開発行為や看板・広告の掲示などに規制をかけた特別措置法で指定された地区である。京都、奈良、天理、橿原、桜井、斑鳩、明日香が中心で、これに大津、鎌倉、逗子が加わる。歴史的なものの保護、保全と、現実の生活をどう両立させるかについてはさまざまな議論があるだろうが、洛北にあってはこうした景色もありかなと思う。

曼殊院に到着。近畿三十六不動の札所として訪ねて以来である・・・。

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神仏霊場巡拝の道~京セラドーム大阪観戦の後で・・・

2023年10月10日 | 神仏霊場巡拝の道

札所めぐりは続く。

話は9月17日~18日の連休にさかのぼる。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの日南線シリーズの次は、京セラドーム大阪でのバファローズ対イーグルスの試合観戦と神仏霊場巡拝の道めぐり。17日の試合はバファローズが快勝し、この時点でリーグ優勝へのマジックを5とした。その後、9月20日に見事リーグ3連覇を決めた。さて、クライマックスシリーズである。

今季のクライマックスシリーズ、リーグ優勝はバファローズとタイガースがそれぞれぶっちぎりで決めたが、2位、3位争いが最後の最後までもつれこんだ。セ・リーグは最終戦でベイスターズが敗れたことでカープがたなぼたで2位となり、ファーストステージの広島開催が決定。そしてパ・リーグにいたっては、10月10日のイーグルス対マリーンズの結果次第でホークスも含めた2位~4位の順位が決まるという大混戦。そして結果は・・・。

・・・のっけから札所めぐりからずれた話で恐縮だが、9月17日の試合観戦後は大阪市内宿泊ということで、選んだのは森ノ宮。翌日の京都移動にそなえて手ごろなホテルを探すうちに行き当たったのが、ちょうど大阪環状線だと大正から反対側である。そして、かつての日生球場があったところ。現在、ネーミングライツということで、京セラドーム大阪やほっともっとフィールド神戸、マツダスタジアム、バンテリンドームなど、企業の名前を冠した球場は全国にいろいろあるが、森ノ宮の日生球場は日本生命が自前で所有していた球場である。

改札を出て大阪環状線のガードに沿って歩く。日曜日で休みの店舗も多い中、空いている大衆酒場の店もちょくちょくある。今思えばこういうところで一献すればよかったかなというところだが、この日はそのままホテルに向かった。

着いたのは「ホテルオークスアーリーバード森ノ宮」。シングルルームに落ち着く。

こちらのホテルのPRの一つに「コンビニ直結」とあるのだが、そのブランドが「ポプラ」。ポプラは広島を本拠地とするコンビニだが、ある時期からのコンビニ業界再編の中で、ポプラの多くの店はローソン、あるいはローソン・ポプラに転換した。その中で、大阪であえてポプラとして残ったのは何か理由があるのだろうか。

ポプラといえば、店内で炊いたごはんを弁当に盛り付ける「ポプ弁」が知られている。実はこの日の夕食、ポプラで酒やアテを購入し、締めのご飯物は「ポプ弁」でまかなおうという思いがあった。

・・・しかしながら、チェックイン後に店舗を訪ねると、弁当コーナーには出来合いのものしかなかった。「ポプ弁」のおかずらしきものがシートの中に隠れていたが、取り扱っていない旨の貼り紙があった。店内オペレーションの関係で、ごはんが売り切れて今から炊くのも効率が悪いということもあるのだろう。まあ、ホテルの共用部に電子レンジがあるので、パックのごはんを含めてポプラ店内で飲食物を買い集める。後は部屋でまったりと・・・。

翌18日、神仏霊場巡拝の道めぐりの当日である。今回の札所めぐりの目的地は京都30番・吉田神社である。出町柳の東、京都大学に隣接したところにある。

京都には神仏霊場巡拝の道の札所がこれでもかというくらいにあり、これまでに何回も京都を訪ねて少しずつ回っているが、その近くとなれば出町柳から叡山電車を絡めることができる。鞍馬、大原といったところはさすがに離れるので、その手前にある京都27番・赤山禅院、同28番・曼殊院を先に訪ね、吉田神社は最後にしようかと思う。札所めぐりは午前中までとして、早めに広島に戻ってゆっくりしようという算段だ。

朝食はポプラで調達したもので済ませ、大阪環状線で森ノ宮から京橋に移動。

ここから京阪特急のプレミアムカーに乗る。京橋から京阪で京都に移動できるのも、森ノ宮を選んだポイントの一つである。午前の札所めぐりの後、京阪で京橋に戻り、そのまま京橋で一献した後で広島に戻るという手も考えながら・・・。

そのままプレミアムカーに揺られ、終点の出町柳に到着。駅のコインロッカーに荷物を預け、叡山電車のホームに向かう・・・。

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第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~「B%Sみやざき号」にて帰途に就く

2023年10月09日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

長々と書いてきた今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりも、ようやく広島への帰り道である。

「海幸山幸4号」を終点一つ手前の南宮崎で下車し、歩いて向かったのは宮交シティバスセンター。この乗り継ぎをすることで、当初乗る予定だった「B&Sみやざき406号」から、1本前の「B&Sみやざき334号」に乗ることができる。

宮交シティに着いたのはいいが、さて、どこの乗り場だったか少し迷う。乗り場を見つけるとすでにバスは到着しており、発車待ちの状態。どうやら私が乗るのを待っていたようだ。バッグもそのまま車内に持ち込み、私が指定の席に座ったのを確認して発車。十分間に合う計算だったが、「海幸山幸4号」が対向列車待ちで少し遅れていたというのが抜けており、油断していた。

さてこの「B&Sみやざき号」は、2011年に九州新幹線の博多~新八代間が開通して全線開業となったのに合わせて運行を開始した。新幹線が走らない宮崎県についても利便性の向上をはかるべく、新八代~人吉~えびの~都城~宮崎と、九州自動車道・宮崎自動車道経由で運行している。「B&S」とは、「バス&新幹線」のことで、号数は新八代で接続する新幹線の号数に合わせている。当初予定していた便は「さくら406号」広島行き、変更して乗った便は「つばめ334号」博多行きにそれぞれ接続する。

この区間、JR在来線の肥薩線~吉都線~日豊線ともろにかぶるのだが(かつては急行も運転されていたところ)、JR九州、九州産交、宮崎交通の3社で運行されている。

福岡から宮崎へは直通の高速バスも走っており、価格ではそれらのバスのほうが安いのだが、JR九州は新幹線と「B&Sみやざき号」のセット券を発売し、早割料金も設定して対抗している。

九州新幹線開業当時から運行されていて、JR九州も力を入れているのだが、「B&Sみやざき」の存在を知ったのは、札所めぐりで第36番・貫川寺の住職に教えてもらったことである。そもそも宮崎県に行く機会がなかったのと、手持ちのJTB時刻表でも新幹線の欄に載っているわけではなかった。また私の頭の中で、九州の東側へは小倉からの日豊線というのが固定観念としてあったこともある。

バスの乗車率はちょうど窓側の席がほぼ埋まるくらい。

宮崎インターから宮崎自動車道に乗り、都城北に停車。都城駅方面には路線バスが出ており、福岡から都城への最短ルートともいえる。

ここからは吉都線の線路に近いところ。地図で見ると線路と宮崎自動車道が何ヶ所かでクロスしている。この吉都線もご多分にもれず厳しい状況下にあり、JR九州と地元自治体との間で利用促進に向けた検討会が開かれているが、なかなか解決策が見い出せていない。

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりだと、沿線のえびのに第42番・弘泉寺がある。せっかくなので吉都線と絡めて訪ねてみたい。

左手には霧島の山が見える。霧島はいくつかの山が連なった総称ともいえるが、何という名前かわからないが、都城から吉都線で吉松まで行き、肥薩線で国分に南下するルートも面白そうだ。

日が暮れて外が見えなくなったが、県境を越え、人吉インターに停車。並走する鉄道はというと、肥薩線の八代~人吉~吉松は2020年7月の豪雨被害により、もう3年以上不通となっている。球磨川の眺めや、大畑ループ、スイッチバックといった車窓の楽しみがある区間だが、復旧については全く方向性が決まっていない。一部区間では線路をはがして復旧工事用の道路に舗装しなおしたところもあるようだが・・。また、代替輸送についてもごく一部にしか設定されていない。

2017年の九州北部豪雨で被災した日田彦山線の添田~夜明~日田間は長く代行バスでの運行だったが、2023年8月に「BRTひこぼしライン」として新たな形でのスタートを切ることができた。しかし肥薩線は・・・。

まあ、新八代との間はこの「B&Sみやざき号」もあることから、このまま廃線になるのかなと思う。長く運休した後、上下分離方式で復旧した只見線の例もあるが・・。

八代インターで九州自動車道から出ると、新八代駅は近い。定刻19時27分着のところ、数分速く到着した。新八代、周りに建物がそれほどないこともあって、駅そのものが夜空に映えており、途中で暗くなったこともあり、宮崎からワープした感がある。

くまモンに出会えるとは・・。

次に乗るのは19時44分発の「つばめ334号」。構内の売店がかろうじて開いており、帰りの新幹線でつまむものくらいは入手できた。

この時間から新幹線で広島に戻ることができるのも新たな体験である。先ほど「B&Sみやざき号」で宮崎から来た人たちとともに「つばめ334号」に乗り込む。自由席は新八代発車時点では空席も目立ったが、次の熊本からは結構な乗車があった。

20時44分、博多着。すぐさま、20時52分発の「ひかり592号」に乗り継ぐ。N700系の16両編成。この列車、次の小倉を21時09分に発車したが、宮崎16時33分発の「にちりんシーガイア14号」が小倉に着くのが21時10分。「B&Sみやざき号」と九州新幹線の乗り継ぎを上手く活用できた。

寝過ごしだけには十分注意して、21時58分、広島到着。この時間ならまだまだ帰宅も余裕である。

さて次からは宮崎、鹿児島にかけての区間。なかなか訪ねる機会がないエリアだけに、アクセスを含めたプランニングを楽しみに・・・。

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第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~特急「海幸山幸」で日南線を走破

2023年10月08日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐり、南郷から宮崎まで「海幸山幸4号」に乗車する。1時間ほど前に回送された後、ホームにそのまま停車していたが扉が開く。

「海幸山幸」は2009年から運転されている特急で、毎日ではなく土日祝日や夏休み期間などを中心に運転のため、臨時列車の位置づけである。列車名は海幸彦、山幸彦から採られており、車両はかつて高千穂鉄道のトロッコ列車として走っていたが、災害からの復旧を断念して廃線となった後、JR九州に譲渡された。内装に木をふんだんに使っているということは・・・一目見て「水戸岡デザイン」とわかる。

ただ外観が独特なのは、側面にも木が使われていること。これらはいずれも沿線の飫肥杉だという。車両のコンセプトは「木のおもちゃのようなリゾート列車」だといい、レトロ感も出ている。

座席は1-2列で、2列席のほうが海側である。今回、早くに予約したので海側の席が取れたが、スマホで空席状況を見るとやはり海側は満員御礼のようだ。ただ、日南線の列車じたいが少ないためか、一部の席は自由席扱いとなっている。私が今回乗った2号車は「山幸」。

そして先頭1号車は「海幸」として、車内も海の色合いが使われている。

車内を一回りするうち、15時30分に発車。「ライオンズ南郷駅」で観光案内所の方の見送りを受ける。先ほど西明寺からの帰りにコンビニに立ち寄っており、テーブルを広げての呑み鉄とする。

先ほど訪ねた西明寺の境内を通過する。

続いて大堂津の河口の鉄橋を渡る。ここでは徐行運転となる。この辺りは海水も流れ込むところである。

大堂津で列車行き違いのため停車。今季は終了しているが駅前に海水浴場が広がるところ。

そして日向灘と「七つ岩(七つ八重)」の景色。何だか、車窓の見どころがいきなり来てしまった感もある。

いったん海と別れ、天福球場を車窓に見た後、油津に到着。宮崎行きの列車としてここから乗車する人もいて、乗車率も高くなった。

飫肥に停車。

この先は広渡川に沿って北郷を目指す。かつて、飫肥杉の水運で利用された川である。ここに来て雲が広がり、外も暗くなってきた。

客室乗務員が車内販売にやって来る。その中で目玉ともいえるのが、地ビール「太陽のラガー」。延岡の「宮崎ひでじビール」が製造しており、代表的なピルスナー。今年、アメリカで開かれた「ワールドビアカップ2023」において、銀賞を受賞したという。宮崎は焼酎だけではない。

北郷からは谷之城トンネルに入る。九州の在来線ではもっとも長い3670メートルあり、しかもずっと直線である。海岸と内陸をつなぐトンネルだが、日南線の中で最後に開業した区間である。

この日南線、現在は宮崎(南宮崎)~志布志間の行き止まり路線であるが、当初は都城~志布志の区間、そして志布志~北郷の区間が志布志線だった。逆に、南宮崎~内海の区間は軽便鉄道が全身の宮崎交通の鉄道線で、1963年に谷之城トンネルが開業したのに合わせて、南宮崎~北郷の区間に志布志線の志布志~北郷の区間を合わせて、現在の日南線となった。

先に触れたように、国鉄の終わりとともに志布志線(都城~志布志)が廃止となり、日南線は残ったが、もしこの区間全体が「志布志線」だったら、線区の運命はどうなっていただろうか。

客室乗務員が箱を手に座席に回って来る。鵜戸神宮の「運玉」にちなんで、箱の中から玉を一つ取り出す。当たりが出ると景品がもらえるとあったが、残念ながらはずれ。

トンネルを抜けた伊比井~内海間では鬼の洗濯岩に近づく。こちらでも徐行があるが、満潮のためか岩の姿はあまり見られなかった。

列車は青島に到着。往路では青島で下車して油津までバスで移動したので、これで日南線の全線に乗った形である。今回は鉄道の旅満喫だ。

対向列車が遅れているためしばらく停車するとのことで、ホームに出て改めて「海幸山幸」の外観を眺める。

後はこのまま宮崎まで乗るだけだ。この後の予定だが、宮崎に16時51分到着後、「B&Sみやざき号」で新八代に移動する。このバスがあるから、今回「海幸山幸4号」に乗ってもその日のうちに広島に戻ることができる。さすがに宮崎駅16時57分発の「B&Sみやざき334号」に乗り継ぐのは無理なので、その次の18時18分発「B&Sみやざき406号」を押さえていた。

しかし改めて「B&Sみやざき号」の時刻表を見ると、この路線は宮崎駅出発後、宮交シティバスセンターに停車する。そしてこの宮交シティ、実は南宮崎駅から徒歩5分ほどのところに位置している。・・ということで、「海幸山幸4号」は終点宮崎まで全区間乗車とはならなくなるが、南宮崎で下車すると、間に合わないと思っていた「B&Sみやざき334号」を宮交シティで捕まえることができる。そうすれば1本早い新幹線で広島に戻ることができて安心である。

JR九州の早割チケットで博多までの新幹線とのセットで購入していれば変更できない場合があるのだが、今回バスは「高速バスネット」でチケットレスにしており、幸い空席があったのでスマホから変更する。新幹線は最終の「さくら406号」の指定席券を持っていたが、自由席乗り継ぎでいいだろう。

ということで南宮崎で下車し、「海幸山幸4号」を見送る。これで日南線の旅がより印象深いものとなった。

途中の対向列車待ちで数分遅れての到着だが、変更後のバスには間に合いそうだ。今回で九州八十八ヶ所百八霊場めぐりのコマは南宮崎、あるいは志布志まで進んだということで、長々とした紀行文もようやく帰途に就く・・・。

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第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第40番「西明寺」(ライオンズ南郷駅と寺境内の踏切)

2023年10月07日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

9月10日、日南線の終点である志布志を訪ねた後、折り返しの列車で南郷に到着。ここで、九州八十八ヶ所百八霊場の第40番・西明寺に向かう。

その南郷駅、ライオンズのキャンプ地最寄りということで、、同じ日南線の「カープ油津駅」の向こうを張って、「ライオンズ南郷駅」として白地にブルーに塗り替えられている。

2020年春のキャンプでお目見えしたもので、これは地元の高校生4人組が日南線と南郷を盛り上げようとクラウドファンディングを立ち上げ、ファンの後押しもあって実現したという。波の模様が描かれているのは日南の海、そして「波に乗るライオンズ」という意味なのだとか。ちょうど2018年、2019年とパ・リーグ連覇したのも追い風となったようだ

そして待合スペースにはミニサイズの内野のグラウンドが描かれ、何と人工芝まで敷かれている。そして改札口の上には列車の案内ならぬスコアボード風の看板が掲げられている。また、外のベンチはかつて実際に西武ドーム(ネーミングライツがころころ変わるので、一番しっくりくるこの名前としておく)で使われていたシートが使われている。テーマとしては、「カープ油津駅」よりも個人的にはこちらのほうが面白いと思う。

ライオンズのキャンプ地といえば高知・春野というイメージが私の中では強いのだが(特に1980~90年代の黄金時代)、2004年から1軍キャンプ地を南郷に移した。やはり、南郷に西武グループのプリンスホテルがあるからかな。

さて、寺である。南郷駅にコインロッカーはないのでかついで行く。日南線と並走する国道220号線をしばらく歩く。するとそこへ、宮崎方面から列車の走行音が聞こえてきた。いきなりのことでカメラが間に合わなかったが、やって来たのは、この後乗る「海幸山幸4号」である。午前中に「海幸山幸1号」として宮崎から南郷まで運行した後、南郷駅は片側ホーム1本しかないため、いったん油津まで引き上げて、回送列車として再び南郷まで走るという。一方、日によっては「2号・3号」として南郷~宮崎間を往復する。

国道220号線から線路とともに脇道に入る。ある家の軒先にライオンズの応援タイルが干されているのに目が留まる。そして境内の入口に着く。墓地の中、石段を上って行くと・・。

そこには日南線の線路。往路では気づかなかったが、境内を線路が横切る形である。とはいっても遮断器、警報機があるわけでなく、業界でいうところの「第4種踏切」というやつ。現在は安全基準を満たさないとして新設は認められていないが、ローカル線を中心に全国で2500ヶ所ほど残っている。中には、ここを渡らなければ自分の家にたどり着けないとか、寺や神社の境内を横切っているからということで撤去しようにも難しいところもある。

実は西明寺に来る途中にも、同様の「第4種踏切」を目にしていた。それが札所の寺にもあったとは。

本数は少ないとはいえ日南線の列車は通過するため、こちらでは列車への注意とともに、通過予定時刻を書いた看板を立てている。もっとも、先ほどの道から線路下をくぐる道が分かれており、クルマを含めてそちらから来れば踏切を渡ることなく直接境内にたどり着けるようだ。

西明寺の創建等についての紹介はないのだが、寺の本尊は不動明王だが、九州八十八ヶ所百八霊場の本尊としては勝軍地蔵菩薩である。この地蔵菩薩は元々南郷の榎原(よわら)神社に祀られていたが、明治の廃仏毀釈(飫肥藩では徹底的に行われた)の時には信仰深い人のおかげで難を逃れ、後に西明寺で祀ることになったという。

コンクリート造りの本堂は上がれるようになっていて、中でお勤めとする。

朱印は手前の庫裏でいただく。これで今回の日南線シリーズも完了し、この先は都城~えびの~国分と、宮崎の最終、そして鹿児島の札所が見えてきた。

南郷駅に戻る。先ほどすれ違った「海幸山幸4号」の車両がホームに停まっている。駅には発車を待つ客もちらほらと見える。宮崎からのモデルコースとして、「海幸山幸1号」で南郷に昼前に到着し、接続する周遊バス「日南めぐり号」にて道の駅や水中観光船を回り、南国の景色と海の幸を楽しむのがおすすめとある。

日南線の最後はこの特急車両にて締めることに・・・。

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第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~日南線の終点・志布志へ

2023年10月06日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

10月4日にセ・リーグの全日程が終わり、原監督の退任が決まったジャイアンツがベイスターズに勝利して、その結果カープが2位でレギュラーシーズンを終え、なんとマツダスタジアムでクライマックスシリーズのファーストステージが行われることになった。

なお、前売りチケットは5日10時から各プレイガイドで発売とあり、どんなものかと昼前に予約サイトをのぞいてみたのだが、3試合とも見事完売となった。そして、チケット流通のサイトには早速いくつかの座席が高値でアップされていた。その是非はさておき、レートを見るとバファローズのファイナルステージのそれよりも軒並み高値がつけられている。こういうのを見ると、やはりバファローズ、ひいてはパ・リーグはマイナーなのだと思う。

まずはホームの優位性を活かしてファーストステージを勝ち抜き、ファイナルでタイガースを破ってぜひバファローズとの日本シリーズを実現してほしいものだ。CSでの「下剋上」についてはさまざまな意見がある中で、あくまで個人的にはこの対戦が観られる可能性にかけてみたい。

さて、本題の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは、油津からいったん日南線の終点である志布志まで向かう。ほんの少しだが、鹿児島県にも足を踏み入れる。カープキャンプ地の油津の人たちも久しぶりの2位に喜んでいることだろう。

これから乗るのは11時07分の志布志行き。キハ140の単行で、1ボックスに1人、そしてロングシートにパラパラと座るくらい。10数人の乗客だが、そのうち半数はその筋の人たちと思われる。先日、本当に存続が危ぶまれる線区を対象とした「再構築協議会」の設置が認められるようになり、その第1号はわれらが広島の芸備線と言われているが、こちら日南線の油津~志布志間も設置対象の候補になるのではと言われている。

さて、今回訪ねた9月10日は夏の青春18きっぷの最終日。今季、ヤフオクにて1回分を購入していたのだが使う間もなく最終日となった。まあ、油津~志布志~南郷と乗れば元は取れずとも無駄にするよりはましである。ただ、日付をどうするか。油津の駅は業務委託の方がいない時間で、ワンマン運転士に訊ねると、そのまま志布志で降りてかまわないという。

車内は扇風機がフル回転し、一応クーラーもついているが、窓ガラスの汚れがあまりにも目立つので、窓を開ける。外からの風が心地よく、そのまま志布志まで過ごすことにする。

エンジン音をあげて出発。先ほど訪ねた天福球場の前を過ぎる。この先、油津~大堂津~南郷にかけては日南海岸の一端が見られる。

特に、大堂津を過ぎた細田川河口にかかる鉄橋は、日南線の名所ポイントにもなっている。

そして南郷に到着。九州八十八ヶ所百八霊場の第40番・西明寺はここから徒歩10分ほどに位置しており、志布志からの帰りに立ち寄ることにする。その後、南郷を始発とする特急「海幸山幸4号」で宮崎に戻る予定だ。

その南郷だが、ライオンズのキャンプ地である。同じ日南市内にあって、この度で何度も触れている「カープ油津駅」の向こうを張って、「ライオンズ南郷駅」として駅舎がライオンズブルーに塗られている。後ほど列車を降りた時に見物しよう。

その南郷を過ぎると山間部に入る。国道220号線とも並走する。

日南市から串間市に入る。串間といえば、かつてドラゴンズのキャンプ地だったところ。その中心である串間で数人が下車。以前訪ねた都井岬へは、串間駅からバスに乗ったはずで、現在は市のコミュニティバスが運転されているので岬に行こうと思えば行ける。

この先はいよいよ日南線の末端である。「福島高松」という、県庁所在地2つの名前を重ねた駅名もある。

遠くに志布志湾の景色を見る。そのうち県境をまたぎ、鹿児島県に入る。この九州八十八ヶ所百八霊場めぐりも、いよいよ南部にたどり着いたと感じる。

終点の志布志まであと少しというところでスピードがガクンと下がる。線路脇を見るうち、時速25キロ制限の表示がである。中国山地のローカル線なら珍しくない光景だが、九州の南部で出会うことになるとは・・。

遠くに志布志の街並みが見え、最後は下り勾配となって街中に入る。

1時間あまりのローカル線の景色を楽しみ、12時18分、志布志到着。片側ホーム1本だけの小ぢんまりした終着駅である。ここは「志布志市志布志町志布志」という地名で、とにかく「志」の文字が多い。市はそれをアピールのネタにしているところがある。

現在は車止めの先に駅舎があり、観光案内所も入っているが、その昔の志布志は日南線のほか、志布志線、大隅線という3つの線のジャンクション、交通の要衝だったところ。貨物の引き込み線もあった。それが1987年、国鉄の終わりとともに志布志線、大隅線が廃止となり、行き止まりの終着駅となった。そして駅舎は北東に70メートルほど移され、現在に至る。

そんな歴史のある志布志駅の入口には「終着駅は始発駅」というタイトルの歴史案内もある。

かつて広大な敷地を有していた志布志駅跡の一部は商業施設「サンポートしぶしアピア」になっている。いくつかテナントが入る中、「港湾通り」という志布志の特産品を取り扱う店もある。先ほど飫肥で「おび天」を買ったが、ここではさつま揚げと、宮崎地鶏に対抗して鹿児島の黒豚の煮込み(いずれも真空パック)を買い求める。まだ宮崎の札所は残っているが、久しぶりに鹿児島に少し足を踏み入れたということで・・。

さらに進むと、かつて機関庫だった場所に志布志鉄道記念公園がある。C58が展示されている。C58には車掌車のヨ8000、キハ52が連結されており、いずれも有志の人たちにより大切に保存されている。いかにも「国鉄」という面構えのラインナップである。

3つの線区のジャンクションだったが2つの線区がなくなり、ポツンと終着駅になる景色・・・中国地方にも、そう遠くない時期に同じような景色になるのでは?と予想されるところがいくつかある。ただ志布志の場合、鉄道が廃止になると町が衰退する!という悲壮感はなく、こうした商業施設もあれば新しいマンションも建っている。やはり海に面しているのがプラスになっているのだろう。志布志港は地方振興策として整備が進められ、九州唯一という中核国際港湾に指定され、中国、台湾等との貨物船も運航されている。大阪南港と「さんふらわあ」でも結ばれている。終着駅どころか、海に向いた玄関口である。

もう30年ほど前となる学生時代の旅で、大阪から「さんふらわあ」で志布志に上陸し、日南線を北上したことがあるのだが、ふと、現在の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりにかこつけて、このルートで九州入りするのも面白そうだなと思う。以前の回でも、九州東部へのアクセスに変化をつけるために、広島からいったん愛媛に渡り、豊後水道を横断するフェリーで臼杵に着いたこともある。見ようによれば、九州一周のコマは日南線をたどって志布志まで進んでいるとも言えるので、この次は志布志から都城や、鹿児島県の垂水・国分といったところに進むこともできる。

志布志で1時間ほど過ごした形で、13時20分、同じ車両の油津行きに乗り込む。運転士も先ほどの方が折り返し、また乗客も先ほど見かけた顔の多くが乗り込んだ。

ふたたび志布志湾の景色、そして宮崎県に戻って山間の区間を走る。やはり鉄道に乗ると、さいはてのローカル線の景色に見える。湾内にぽつんと浮かぶのは枇榔島。今回の札所めぐりでたびたび出てくる柳田國男「海南小記」にも「蒲葵島」という表記で登場する。

のんびりとした一時。

14時20分、南郷に到着。西明寺を目指すべく下車する。

そして、「ライオンズ南郷駅」である。まさに同じ日南にあって「カープ油津駅」への挑戦状である。

ここはいったん置くとして、次に乗る特急「海幸山幸4号」までの1時間余を利用して、九州八十八ヶ所百八霊場の第40番・西明寺に向かうことに・・・。

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第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~飫肥をほんの少しだけ回る

2023年10月04日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐり、朝に第39番・潮満寺を訪ね、油津のバス待合所のコインロッカーに荷物を預け、宮崎交通バスにて飫肥城下に到着。この先の行程の中で、50分ほどだけだが飫肥を訪ねる時間ができた。飫肥に来るのも20年以上ぶりである。その時は日南線に乗り、串間から都井岬に行ってユースホステルに泊まったのを覚えている。

バス停からまっすぐ進むと飫肥城の大手門に至る。その途中、「小村寿太郎候誕生之地」の石碑がある。小村寿太郎は飫肥藩士の家に生まれ、外務大臣として日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、関税自主権の完全回復という業績を残した人物である。

飫肥の城下町には掘割があり、ちょっと横筋に入ると屋敷の門の前で鯉を見ることができる。暑い中で涼し気な景色である。

飫肥城の大手門に到着。飫肥藩の伊東氏の居城である。元々は島津氏の出城だったが、こちらも室町時代から日向に勢力を持っていた伊東氏が攻略し、支配下とした。その後島津氏が勢力を伸ばして奪回したが、豊臣秀吉の島津攻めの後、伊東氏が再興する形で飫肥の地を与えられ、城主となった。その後、飫肥藩としてながらく明治まで続く。今回の札所めぐりでは、江戸時代、伊東氏が神社仏閣に対して手厚く保護したのに対して、いざ明治維新となると徹底して廃仏毀釈を行った・・という歴史に触れてきているが、その本拠地である。

現在の大手門は昭和の再建だが、地元の飫肥杉を使い、昔ながらの釘を使わない工法で建てられたという。そのため、江戸時代当時と変わらぬ重厚さを感じさせる。

城跡は史跡公園として、かつての本丸跡は小学校として活用されており、地元の人たちの散歩コースにもなっている。資料館はパスして、この上にある旧本丸跡を目指す。

こちらの旧本丸跡は飫肥杉の林が生い茂り、地面も苔むしていて涼し気な印象である。

武家屋敷群を回る。その中の一軒に、先ほどの生誕地から大正時代に移された小村寿太郎の生家がある。

周囲の屋敷にしっかりした石垣が備わるのは、城を護るということのほかに、台風の襲来が多いこともあるのかなと想像する。

そんな中、「元祖おび天本舗」に出る。「おび天」「飫肥天」とは飫肥の郷土料理で、魚のすり身揚げ。じゃこ天やさつま揚げの仲間というところだ。ネタは日向灘近海のさまざまな魚で、そこに豆腐を混ぜ、味付けに味噌、黒砂糖を使っている。せっかくなので1パック購入する。結局この日はそのまま自宅に持ち帰り、後でさつま揚げと食べ比べをしたのだが、飫肥天のほうが黒砂糖のせいか甘く感じられた。

これで、今回訪ねたかった飫肥の城下町を一通り回ることができ(単に歩いただけだが)、宮崎交通バスの飫肥営業所から油津に戻る。飫肥~油津といえば日南線と同じ区間なのだが、城下町と飫肥駅は離れていて、しかもほとんどのバスの瓶はなぜか飫肥駅を経由しない。

カープ油津駅に戻り(駅舎の画像がしつこいな)、次は11時07分発、油津始発の志布志行きに乗る。ホームに気動車が停まっているが、これは宮崎からの列車の折り返し便。

この後、志布志から油津止まりの列車が到着して、宮崎行きの列車に接続するとともに、折り返して志布志行きとなる。単行の気動車には地元の人のほか、いかにもその筋といった出で立ちの方もいて・・・。

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第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第39番「潮満寺」(油津の運河を見下ろす廃仏毀釈からの復興寺院)

2023年10月03日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

9月10日、天福球場を後にして、九州八十八ヶ所百八霊場の第39番・潮満寺を目指して油津の町を歩く。

やがて川べりに出る。といってもここは自然の川ではなく、堀川運河と呼ぶ。その昔、こちらの名産である飫肥杉は広渡川の水運を利用して油津の港まで運ばれていたが、川の河口から港までは岬をぐるりと回る必要があり、また油津も頻繁に台風がやって来る中、船を避難させる場所に困っていたという。そこで江戸前期、飫肥藩によって川と港をショートカットする形で開削されたのが、この運河である。

時代が下ると、日南線の開通もあって水運は衰退し、運河も泥が溜まるなど荒廃したのだが、その後は観光資源として注目あれるようになり、整備が進められたという。運河にかかる堀川橋という石橋の辺りは油津の見どころの一つとされている。

この堀川橋の脇に、吾平津(あびらつ)神社の鳥居がある。神武天皇の妃とされる吾平津姫を祀っており、油津という地名の由来ともいわれている(私はてっきり、何かの油がよく採れる場所だから油津なのかと思っていたが・・)。神社の石段のたもとに映画「男はつらいよ」のロケ地を示す礼があり、この運河も日本らしい風情を求めて全国をロケハンする山田洋次監督のお眼鏡にかなったようだ。

「油津」という地名を書く中で、私の勤務先企業もここに拠点を置いていることを思い出した。ある研修で同じグループになった社員の中で、「私の職場は宮崎県の日南の油津というところで・・」というのを切り口に発表していたのがいたと思う。もう20年以上前のことだし、たまたま研修で一緒になったというだけで名前も顔も憶えていないが、宮崎県にあって欠かすことのできない港であると力説していた「日南の油津」というキーワードだけは印象に残っていたようで、ここに来て思い出した次第である。ひょっとしたらその方、現在は油津の職場の主になっていたりして・・・。

地元の方から「おはようございます」と挨拶をかけられる中、レンガ造りの建物も通る。かつての港湾の賑わいを今に伝えるところだ。

潮満寺は駅から徒歩20分ほどとあり、天福球場に立ち寄ったことが遠回りになった。朝から日差しが照りつける中、早くも汗だくになっている。その一方で、この後商店街の「fan! ABURATSU」に戻って荷物を引き上げ、飫肥行きのバスに間に合うように油津駅に行く時間を考えると、寺ではそう長い時間ゆっくりできない。やることを詰めすぎて札所めぐりがスタンプラリーのようになるが・・。

運河近くの町並みの一角に潮満寺があり、石段を上がる。ちょうど、家の屋根の向こうに運河の出口が見える。

本堂の扉に手をかけると、「朱印の方は先に右手の玄関のインターフォンを」との貼り紙がある。そちらに向かうとまず犬の鳴き声がして、寺の方が出てきた。納経帳を預けて本堂に入る。閉め切っていて蒸し暑いので扇風機をまわさせていただく。

潮満寺の創建時期は明らかではないが、江戸前期、飫肥藩の時に再興されたという。しかし明治の廃仏毀釈で廃寺になった。一説では飫肥藩の廃仏毀釈は薩摩藩に次いで実に強烈だったともいわれていて、藩内のほぼすべての寺が破壊されたという。明治の後半になって高野山金剛峯寺の直系として再興され、「日南高野山」として現在に至る。

現在の本尊は波切不動で、厄除けや開運のほかに海上安全、大漁祈願のご利益もあるという。

お勤めを終えて、再びインターフォンを鳴らして犬の鳴き声とともに納経帳を受け取る。

帰りは少し速足となって、ホステルに戻った。幸い少しだけだが時間の余裕ができたので、エアコンの冷風に当たり、アンダーシャツも取り替えた。これでチェックアウトとして、油津駅に向かう。

前日鵜戸神宮から来た時、宮崎交通バスの油津待合所にコインロッカーがあるのを確認しており、荷物を預ける。次に乗るのは9時07分発の飫肥行き。これから城下町・飫肥を訪ねるのだが、この後は日南線で志布志まで往復するという行程を控えており、滞在時間は50分ほどしかない。

バスは日南市の中心部を走り、路線名、市の名前になっている日南駅前も過ぎる。また宮崎交通バスは、飫肥の玄関口であるはずの日南線飫肥駅を経由しない便が多い。油津や日南は駅前にバス停があるのだがこの差は何なのだろうか。

飫肥城下のバス停に到着。滞在時間は限られているが、まあ、博物館や屋敷内部といったところの見学を抜きにすれば、この時間で回ることくらいはできそうだ・・・。

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第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~カープ日南キャンプの天福球場へ

2023年10月02日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

油津商店街の夜とバファローズ・山本由伸のノーヒットノーランに酔いしれた翌日、9月10日。この日は午前中に九州八十八ヶ所百八霊場の第39番・潮満寺を訪ね、少し時間が取れそうなのでバスで城下町・飫肥まで往復し、油津から日南線に乗る。せっかくなので終点の志布志まで往復して、その帰りに南郷で下車して第40番・西明寺に立ち寄り、南郷から特急「海幸山幸4号」に乗車。宮崎から「B&Sみやざき号」で新八代に出て、最終の新幹線で広島に戻るのは23時・・という長い道のりである。

2日目の行程について、札所めぐり、飫肥、日南線、志布志、「海幸山幸」などのポイントを並べ、1日をどう回ればよいかいろいろ考えてみた。何パターンかある中で上記の行程と決めたが、「海幸山幸4号」に乗れるのは宮崎から「B&Sみやざき号」というルートがあると知ったからこそ組めた行程である。前回乗った「にちりんシーガイア14号」で日豊線経由で広島に戻るルートだと宮崎発に間に合わないが、バスで南九州を横断して九州新幹線につなげることができるのは大きい。

ということで、朝食は前夜コンビニで買ったもので済ませ、まずは潮満寺に向かうことにする。ただその前に、せっかくなのでカープのキャンプで使用する天福球場に行ってみることにする。球場も商店街から徒歩圏内にある。チェックアウトまで時間があるので、重い荷物はホステルの部屋に残しておく。

商店街の一角から、歩道部分が赤く舗装された歩道が伸びる。「カープ一本道」というそうで、この道に沿うと球場に着くそうだ。本拠地広島に負けないくらいの熱さである。日南でのカープのキャンプは1963年から行われているそうで、今年でちょうど60年である。沖縄でも1982年から二次キャンプが行われているのだが、やはりカープ=日南というイメージが強い。

「カープ一本道」を歩くこと5分ほど、日南線の踏切を渡ると球場の外観が見えてきた。

正面は格好の記念撮影スポットだろう。

天福球場はハコモノというよりは周囲の地形も利用した公園の中のグラウンドということで、ふらり訪れても外からグラウンドの様子を見ることができる。球場の外周も遊歩道になっているので、三塁側からぐるり回ってみる。観客席は内野のネット裏、ベンチ上くらいだけで、後はフェンスのすぐ近くまで行くことができる。

バックスクリーンから右中間の後方には室内練習場、ブルペンもある。

カープは1963年から日南でキャンプを行っているが、そのきっかけはこの天福球場ができたこと。当時カープは鹿児島、宮崎あたりでキャンプ地を探していたが、新しく球場ができるというのでカープ関係者が日南を訪れた。すると日南は2月の気温が鹿児島や宮崎より高く、また降水量も少ないという。また、都会から離れているので練習に集中できる(カープの厳しい練習にぴったり)として、日南を選んだという。

カープは当時セ・リーグのお荷物球団と言われていたが、キャンプ中には選手も地元の人たちと積極的に触れ合うことで少しずつファンも増え、またカープもその後強くなったことで日南の知名度も上がり、関係が深まったという。

観客席の一角が開いていたので中に入ってみる。キャンプの時はこのスタンドもびっしり埋まるのだろう。

正面に戻ったところにピラミッド型のモニュメントがある。「広島東洋カープ日南キャンプ記念碑」とあり、四角錐の四面にさまざまなプレートが掲げられている。

オーナー、歴代監督、選手とあり、監督のところには今季からの新井監督のものがある。選手についてはタイトル獲得者が対象のようで、近いところでは栗林(新人王)、九里(最多勝)といったところが並ぶ。こうしたものを見るとカープの歴史を追いかける気分になる。

最初は、天福球場の正面くらい見ればよしと思っていたが、球場を一周したり、こうしたモニュメントをいろいろ見るうち、思ったよりも時間が経過した。この記事だけみれば、カープのキャンプ地を整地として訪ねた広島在住のカープファンのように見える。

・・・で、この記事を前にした10月1日、カープは2023年の公式戦全日程を終了した。最後はマツダスタジアムでのタイガース戦で、引き分け以上で2位が確定してマツダスタジアムでのクライマックスシリーズ開催となったのだが、敗戦。これで3位ベイスターズが同率2位に追いつき、4日の最終戦でベイスターズが引き分け以上で2位としてクライマックスシリーズは横浜開催となる。

今季、バファローズ、タイガースがぶっちぎりで優勝したわけだが、クライマックスシリーズの残り2枠については接戦となった。パ・リーグはセ・リーグ以上に混戦である。ホークス、イーグルス、マリーンズ・・・どういう組み合わせ、どこの球場でファーストステージが行われるのやら・・。

潮満寺にはこれから向かうとして、その次、飫肥に行くバスの時間のほうが気になる、少し、歩く速度を速めることに・・・。

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第12回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~カープ応援の油津でカツオを楽しむ

2023年10月01日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

日南線が舞台となる今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐり。初日の9月9日は「にちりんシーガイア5号」のコンパートメント~青島神社~鵜戸神宮と来て、17時半頃すぎ、宿泊地である油津に到着。油津駅が最寄りの第39番・潮満寺は駅からだと徒歩20分ほどのところにあり、翌朝一番に参詣する予定である。

「カープ油津駅」から商店街に入る。

さて油津での宿泊だが、いくつかある中で目についたのが「fan! ABURATSU スポーツバー&ホステル」。こうしたホステル型の施設に泊まることは滅多にないのだが、油津駅近辺で宿泊施設が少ない中、最近リニューアルされたばかりということで予約した。

チェックインは、商店街の中にある「油津Yotten(ヨッテン)」で受付という。商店街の多目的交流スペースとのことで、ちょうどホステルの斜め前にあるが、その入口で「鯉神社」の鳥居が出迎える。

ここで出迎えるのはこれでもかというカープ関連の展示である。昔なら現在までの日南キャンプの写真もずらりと並ぶ。日南はカープのキャンプ地ということで、町をあげてカープを歓迎、応援しているとは聞いていたが、先ほどの「カープ油津駅」といい、こうしたスポットといい、改めてその熱意にうなるばかりだ。練習が行われる天福球場も徒歩圏内ということで、明日の札所めぐりの前に行ってみようか。

本当、鯉ですね・・もとい濃いですね。

オーナーらしき人が出てきて、ホステルのチェックイン手続きを済ませる。用紙に住所氏名を書くのだが、「広島市~」と書いたのを見つけ、「おぉ~広島からですか。やっぱりカープファンですか?」。「それにしてもカープは残念でしたね~、さすがにここまでですかね。でも、クライマックスシリーズがあるから・・」と話しかけられる。

ちなみにこの日(9日)、カープは優勝へのわずかな望みをかけてタイガースとの直接3連戦に挑んでいたのだが、前日に続き敗れたことで優勝はほぼ絶望となった(そもそも3連戦3連勝が絶対条件だったのだが、結果的に翌10日の試合にも敗れ、3連戦3連敗となった。このことで、タイガースが「アレ」を一気に引き寄せることとなった・・)。

先ほどカープコーナーをいろいろ眺めていて、そして宿帳に広島市からと書いたら、オーナーとしては当然「カープファンが来てくれた!とウェルカムになることだろう。これに対して「いや、私はバファローズのファンです、パ・リーグ派です」などと正直に答えようものなら、一瞬にして気まずいものになるだろう。まあ、私は一応セ・リーグならカープなので、そこは円満に。私が毎年願うのはバファローズ対カープの日本シリーズで、だからこそ両チームの交流戦、オープン戦には関西、広島それぞれで観戦している。

オーナーにホステルの建物に通される。玄関はカードキーで出入り自由だという。建物は元々居酒屋だったそうで、商店街の空き店舗を活用する形で改装したという。その後オーナーが変わり、改めてリニューアルしたのだとか。

ホステルというと相部屋のドミトリー形式が多いのだが、こちらはシングル、ツインと個室もある。私が今回泊まったのは、ツインルーム+和室の組み合わせで、このホステル最も広い部屋である(他に、別棟としてコンテナルームもあるとのことだ)。部屋を見たところ、元々は4人部屋(2段ベッドなら8人部屋)だったのだろうが、空きがあればシングルユースでの利用も可能ということで、広いスペースを得ることができた。部屋にはテレビがないが、Wi-Fiがつながっており、ネットの利用には支障がない。この頃はこれで充分なのだろう。

トイレ、シャワーブースは共用で、ミニキッチンも備えられている(個室にはミニ冷蔵庫あり)。コーヒーや紅茶、日本茶なども自由に飲むことができる。

しばらく部屋で涼み、外に出る。ここは油津の中心で、赤ちょうちんにも灯りがともる。そういう店にふらりと入るのが旅の楽しみなのかもしれないが、油津の夜の事情がわからなかったので(居酒屋はあるが早くから満席という事態もあり得る)、あらかじめグルメサイトで店を予約していた。

その店は「日南酒処 かつを専門店」。一昨年開業したばかりの店で、行ってみるとビルにいくつか入るテナントの一つであった。「かつを専門店」というくらいだからカツオ料理がメインで、グルメサイトから飲み放題つきのコースを予約しておいた。

カツオ料理と聞いて、私の中では高知、枕崎、焼津、気仙沼といった地名が浮かぶ。その中にあって、日南市はカツオの一本釣りの漁獲量が日本一だという。これは初めて知った。宮崎といえば宮崎牛や地鶏、マンゴーなどが連想されるが、日南を中心にカツオも名物だという。もっとも、カツオは回遊魚なので日南の漁師たちも季節に応じて黒潮を行ったり来たりしており、その積み上げの結果だという。

カツオの漁獲量が日本有数ならばもっと宮崎名物としてPRすればよいと思うが、これまで宮崎県をたどった中で、高知などと比べるとカツオの生節や酒盗の瓶が土産物コーナーに並ぶわけでもなく、どういう扱いなのかなと思う。

まずはビールで乾杯。今回は10品プラス飲み放題で5000円のコース。

小鉢3種に続いてサラダが出る。野菜の上にのるのはカツオのシーチキン。

そして刺身3点盛り。通常の刺身、たたき、そして漬けである。いい感じだ。

中盤となり、この店の一押しという「ゴロゴロ肉鰹炭火焼」が登場する。コースなのでハーフ盛りのようだ。炭火焼だから、藁焼きで造るたたきとは異なる。カウンターから調理の様子が見えたが、調理法は宮崎の地鶏の炭火焼から連想したのかな。もっとも、あまり火を通しすぎずレア焼にしている。魚というよりは肉に近い味わいで、こういう食べ方もあるのかと感心した。コースとは別におかわりしてもよかったかな。

焼酎は芋ばかりあったのでパスし、酎ハイの次はサントリーのジン「翠」に入っている。先ほどの炭火焼にも合う。最初は、「翠」のサワーを注文したが、後に「翠ジン鰹節サワー」というのが目についた。

梅干しサワーのように鰹節の風味を楽しむもののようだが・・・これはちょっとハズレ。出汁を取るわけではないのだから、液体の中に入ってしまうと鰹節がグズグズになり、ほじくり出すのが大変だった。

料理は後半に入り、地鶏ならぬカツオのつくね。カツオをミンチ状にするとして、アジのなめろうやさんが焼きのようなものをイメージしたが、つなぎにレンコン、山芋を使いつつ、鶏肉のつくねとほとんど変わらない完成度である。卵黄と合わせていただく。

揚げ物の部では、とうもろこしの天ぷら、そしてやはり宮崎ということでチキン南蛮も登場。さすがに「カツオ南蛮」とまでは行かなかったか。

締めは鰹ラーメン。カツオと地鶏の出汁でこしらえた一品である。麺とともに入っていたのは、鰹ギョーザ。まあ、つくねになるくらいだからギョーザの具になるのも簡単なことだろう。

予約時、コース料理といいながら、食べ足りなければ他に単品を追加注文しようかと思ったが、さまざまな形のカツオ料理にというのもなかなかできない経験で、十分満足した。日南にカツオあり、宿泊地に油津を選んでよかった。

ホステルに戻る。表のテラスでは女子会だろうか、バーベキューで盛り上がっている。フリースペースも若い人の姿が目立ち(画像は、皆さん寝静まった後だが)、カウンターでも一献やろうと思えばできるようだ。

せっかくの個室なので、シャワーを浴びた後、冷房がよく効いた部屋の畳スペースでリラックスする。テレビがない静かな夜もたまにはいいだろうということで(話し声は聞こえてくるが)、続きの一献をやりながら持参の柳田國男「海南小記」の続きを読む。

それはそうと、バファローズの試合はどうだったか、この日は千葉でのナイトゲームで・・と途中経過をチェックするつもりスマホ画面を出したところで驚いた。何とこの試合先発の山本由伸がマリーンズ相手にノーヒットノーラン達成!

しかも2年連続2回目という。それもこの優勝争いの中での達成とは大したものだ。

そういえば山本投手の出身校は宮崎・都城高校である。生まれは岡山・備前だが、野球に集中できる環境を希望して都城に入学したという。日南とは少し離れてはいるが、これも八十八ヶ所百八霊場めぐりで宮崎県に来た時に触れたこととして、この先の旅程、交通安全を願うばかりである・・。。

この快挙に、もう一度乾杯・・・。

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