前回に引き続き、通勤コースの紹介は中崎公会堂です。中崎公会堂の場所はR28沿いで、明石市役所の東です。
下の写真は中崎公会堂の全景ですが、何でも明治44年7月27日にオープンしたとか・・・約100年前ですね。オープニングセレモニーには、夏目漱石さんが招かれたそうです。
中崎公会堂の入口前には、松の木で分かり辛いのですが、下の写真のように「忠魂碑」が建っています。そして「元帥伯爵 東郷平八郎 書」の文字が・・・
これは中崎公会堂には夏目漱石さんだけではなく、東郷平八郎さんも来たのか?と思いきや、いろいろ調べると「忠魂碑」は日本全国のあちこちに建っているそうです。
忠魂碑は、日清・日露戦争、第一次・第二次大戦で戦死した兵士を後世に伝えるための記念碑だそうですが、軍神である東郷平八郎さんの書を用いたものです。
ところで私が子供の頃は、下の写真のR28より南側(左側)は海でした。そんなところで中崎公会堂の目の前は海であり、昔(戦前)は白砂青松の海岸だったようです。
中崎公会堂の西側には「衝濤館」(しょうとうかん)という旅館があり、この旅館から水着のままで海水浴に行けたそうです。
下の写真は、その「衝濤館」(しょうとうかん)です。阪神淡路大震災前までは、「衝濤館」の表札が上がっていたのを憶えています。
何か今回の記事はご近所ツーリングというより、明石での「坂の上の雲」の時代を紹介するようになりましたね。また近代史の遺産があればご紹介します。
PS.
中崎公会堂は使用料は必要ですが、一般の方でも現在も利用することが可能です。中崎寄席など落語会も開催されています。
下の写真は中崎公会堂の全景ですが、何でも明治44年7月27日にオープンしたとか・・・約100年前ですね。オープニングセレモニーには、夏目漱石さんが招かれたそうです。
中崎公会堂の入口前には、松の木で分かり辛いのですが、下の写真のように「忠魂碑」が建っています。そして「元帥伯爵 東郷平八郎 書」の文字が・・・
これは中崎公会堂には夏目漱石さんだけではなく、東郷平八郎さんも来たのか?と思いきや、いろいろ調べると「忠魂碑」は日本全国のあちこちに建っているそうです。
忠魂碑は、日清・日露戦争、第一次・第二次大戦で戦死した兵士を後世に伝えるための記念碑だそうですが、軍神である東郷平八郎さんの書を用いたものです。
ところで私が子供の頃は、下の写真のR28より南側(左側)は海でした。そんなところで中崎公会堂の目の前は海であり、昔(戦前)は白砂青松の海岸だったようです。
中崎公会堂の西側には「衝濤館」(しょうとうかん)という旅館があり、この旅館から水着のままで海水浴に行けたそうです。
下の写真は、その「衝濤館」(しょうとうかん)です。阪神淡路大震災前までは、「衝濤館」の表札が上がっていたのを憶えています。
何か今回の記事はご近所ツーリングというより、明石での「坂の上の雲」の時代を紹介するようになりましたね。また近代史の遺産があればご紹介します。
PS.
中崎公会堂は使用料は必要ですが、一般の方でも現在も利用することが可能です。中崎寄席など落語会も開催されています。