昨年の11月11日の記事で、現在も残る海軍飛行場跡である鶉野飛行場(加西市)を紹介しましたが、その記事の中で、紫電改が故障のため現在の北条鉄道の線路に墜落したところに汽車が通ったため、乗客が亡くなったことを紹介したものです。
その墜落現場が、網引駅近くということを加西市出身の会社の同僚に聞きましたので、行くことにしました。
網引駅の場所は、加西市の中心街からクルマで15分ぐらいでしょうか。走っていても案内標識もなく、探すのに苦労しました。
TOPの写真が網引駅の全景ですが、典型的なローカル線の無人駅で、駅と呼ぶには「?」というところです。下の写真のように駅らしいものありますが、何か寂しいものを感じます。
それで「紫電改の墜落現場らしき慰霊碑はあるのかな?」と探すと、駅の西側に下の写真のようなものが建っていました。
詳しいことは写真をご覧いただければお分かりかと思いますが、墜落が原因でレールが1mぐらい移動し、列車は脱線転覆という大惨事となったようです。実際の事故現場は網引駅より300mぐらい西側ですが、写真の図の小さな橋らしいものは現存していました。
この後、本来であれば紫電改が着陸するはずであった鶉野飛行場跡へ・・・墜落現場も飛行場跡を見ても、今から65年前に紫電改が飛んでいたとは思えないですね。65年という年月を感じました。
その墜落現場が、網引駅近くということを加西市出身の会社の同僚に聞きましたので、行くことにしました。
網引駅の場所は、加西市の中心街からクルマで15分ぐらいでしょうか。走っていても案内標識もなく、探すのに苦労しました。
TOPの写真が網引駅の全景ですが、典型的なローカル線の無人駅で、駅と呼ぶには「?」というところです。下の写真のように駅らしいものありますが、何か寂しいものを感じます。
それで「紫電改の墜落現場らしき慰霊碑はあるのかな?」と探すと、駅の西側に下の写真のようなものが建っていました。
詳しいことは写真をご覧いただければお分かりかと思いますが、墜落が原因でレールが1mぐらい移動し、列車は脱線転覆という大惨事となったようです。実際の事故現場は網引駅より300mぐらい西側ですが、写真の図の小さな橋らしいものは現存していました。
この後、本来であれば紫電改が着陸するはずであった鶉野飛行場跡へ・・・墜落現場も飛行場跡を見ても、今から65年前に紫電改が飛んでいたとは思えないですね。65年という年月を感じました。