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北尾トロ『裁判長!死刑に決めてもいいすか』

2010-10-20 06:40:00 | ノンジャンル
 昨日のMLBアリーグ優勝決定戦第3戦はレンジャーズの圧勝だったようですね。ノーラン・ライアンがオーナーとなった今年のレンジャーズ、今までとは本気度が違うように感じられます。もしかしたら、テキサスに帰る前にワースドシリーズ進出が決まるかも。と思っていたら、今日の第4戦は1点差でピンチをしのいでいるうちに、ヤンキースが先発を引っぱり過ぎて予想通りレンジャーズがワールドシリーズ王手となりました。ロッテ対ソフトバンクの第4戦といい、この試合といい、ピッチャーの変え時が時として試合を決定的に左右する場合があるようです。ナリーグ優勝決定戦第3戦はジャイアンツが勝ち2勝1敗としたようで、こっちはどうなるか先が見えなくなってきました。

 さて、北尾トロさんの'10年作品『裁判長!死刑に決めてもいいすか』を読みました。裁判の傍聴記を書いてきた北尾さんが、裁判員制度の本格的な運用を前に、自分が裁判員に選ばれたらどうするか、という疑問を元に書かれた本です。
 先ず、裁判員制度の説明がなされます。すなわち、重大な事件について6人の裁判員が選ばれ、3人の裁判官と一緒に、被告人の有罪・無罪、有罪の場合は量刑までを決めていく制度であること、裁判の当日には裁判所で裁判員の候補者の面接を行い、3人の補欠を含む9人が選ばれ、選ばれなければその場でお役御免となること(そして、その場合、不公平な判決をする可能性のある人、例えば死刑判決もありえる裁判における死刑反対論者などは面接で落とされるということ)、評決は多数決で行うが、有罪にするためには裁判官が最低でも一人は有罪に賛成しなければならないこと、生涯に裁判員を経験する確率は70人に一人であること、などが語られます。
 そして次に死刑判決を行う動機として、「生かしておけばまた人を殺すかも」という恐れや、被害者や被害者の家族・関係者の心情を思っての応報刑(日本の刑罰は基本的に応報刑であり、服役している者を教育し再犯を防止させていこうという考えは日本には希薄)という側面が語られます。3人以上の殺人を行うなど死刑の適用条件を定めた「永山基準」や、犯行に至った被告人の心情を理解しようという風潮が裁判では希薄なのは日本の法律家(裁判官、検事、弁護士ともに)が教育学や心理学、社会学の本格的な勉強を全くしてきていないからであること、殺人事件は実は減ってきているのに、そういう印象を私たちが持たないのは事件をセンセーショナルに報道するメディアのせいであり、地下鉄サリン事件をきっかけに自分はいつでも被害者になりうるという意識が人々の間に強くなってきていて、それが現在の風潮である刑の厳罰化につながっていることなども語られます。
 そして、最後に実際の裁判、すなわち状況証拠しかないにもかかわらず無実を主張する被告を起訴した元韓国エステ嬢殺人事件と、小使い銭ほしさにプータロウに限り無く近い大学生が親子二人を殺してしまった杉並親子強殺事件を著者が傍聴し、裁判員になったつもりで評決を下してみる、という構成になっています。
 死刑に対する洞察や、実際の裁判における検察による「推定有罪」の実態など、「勉強」になるところも多かったのですが、裁判員として評決を下す北尾さんに、被告人に対する「上から目線」がどうしようもなく感じられ、それが私には嫌な印象を抱かせる結果となってしまいました。いずれにしても、被告人を裁くということはどういうことなのかを考えさせてくれる本ではあると思います。裁判員制度に興味のない方にもオススメです。