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訪問介護を体験

2006-11-10 17:01:18 | ノンジャンル
 今日はホームヘルパー2級取得講座の現場実習の第一弾、訪問介護です。利用者さん(介護される人)の自宅を訪問し、料理、洗濯、掃除、入浴、しもの世話などをする、というものです。ただ、この場合、大事なのは利用者さんとのコミュニケーションを欠かさないということです。利用者さんによっては、その一日で話をするのがヘルパーだけ、というケースもあります。コミュニケーションを取って精神的な安定をもたらすこともヘルパーの仕事の大きな一つです。
 一件目は、91歳のおじいさんと息子さんが同居している家で、仕事で留守がちな息子さんに替わって、料理、洗濯、掃除をしました。認知症が少し出ていて同じ話を何回もすることを除けば、とても性格のいい方で、ヘルパーの人のことを「お母様」と呼び、何でも素直にヘルパーさんの言うことを聞いていました。途中から今日は仕事が休みだった息子さんも加わって、話の輪が広がり、楽しく昼食をいただきました。
 ニ件目は、娘さんと暮らすおばあさんで、やはり仕事で留守がちの娘さんに替わって、料理、洗濯、掃除をしました。私はずっと掃除機かけ、雑巾がけをやったのですが、雑巾がけで、「あそこも拭いて。ここも拭いて。背が高いんだから、電灯の傘の上も拭いて。」と次々と命令が。でも少しも憎めないユーモアのある、ちょっといじわるな、かわいいおばあさんでした。
 ということで、大した問題もなく、初日の現場実習を終えたのですが、指導者(同行していただいたヘルパーの方)からは、「施設の介護はこんなもんじゃないから、がんぱってね。」とのお言葉。
さて、どんな困難が待ち構えているのか? 皆様、お楽しみに!

フレデリック・ワイズマン監督『動物園』

2006-11-09 17:39:08 | ノンジャンル
 蓮實重彦氏が絶賛するドキュメンタリスト、フレデリック・ワイズマン監督の'93年の作品「動物園」をWOWOWで見ました。2時間30分の長篇です。
 始めのうちは、動物園で何気なく見かける風景(動物、それをみる客)などのシーンが続くのですが、泳いでるトラ(初めて見ました)のシーンの後に始まる、サイの出産シーンから雰囲気ががらりと変わります。死産で産まれた子の救命活動が無駄に終ると、スタッフたちは嬉々としてその子の解剖(というより解体)に取り組み始めます。地面にゴロンと置いた死体の回りに、羊膜を広げて記念写真を取ると、スタッフは腹を割り、内臓を種別に取り出し、アスファルトの地面の上に広げて行きます。時々上がる笑い声。そしてサイの子の生首。残った体の部分はゴミのように焼却されます。その間、ナレーションは一切ありません。この辺になってくると、段々動物が可哀想になってきます。ゾウのショウ、別の池に移動するために捕らえられるワニ、身体検査を受けさせられるため麻酔で眠らされたゴリラ、それが虐待ではなく動物の健康維持のための行為だと説明するテレビのレポーター、蛇の餌になるために撲殺されるウサギ、オオカミの虚勢手術、ブタに怪我をさせた野犬狩りと死体の焼却。これらのことを、スタッフは楽し気に行います。
 その一方では、客は無邪気に動物と戯れ、餌をやったりして、あるいは動物をわざと怒らせて楽しんだりしています。
 ここまで見てくると、動物園での動物は生き物としてではなく、モノとして扱われていることが分かってきます。すべての動物園がそうだとは、もちろん言いません。しかし、少なくともこの映画で描かれている動物園の動物はあくまでも研究対象であり、愛情の対象としては扱われていません。
 そういえば、以前「人間動物園」という話を聞きました。人間がオリに入れられていて、それを動物が見て回るというものです。この話を聞いた時、動物園にいる動物たちの気持ちが少し分かるような気がしました。この映画も、ただ事実を伝えているだけなのですが、そんな気持ちになる映画です。

自分に強くなること

2006-11-08 16:25:18 | ノンジャンル
 今週の月曜日深夜0時からNHK・BS2で放映された「コンバット」は、いつもはサンダース軍曹を演じているビッグ・モローが演出に回り、しかも無名時代のウォーレン・オーツが重要な役で出ていました。「コンバット」の楽しさに、このように無名時代のスターが出演することがあります。今後も注意して見ていくつもりです。

 さて、先日、ホームヘルパー2級取得講座を受けている際、このブログを読んで下さった講師の先生から、「後藤君は人には優しいのだから、自分にももっと優しくなれるといいのにね」と言われたことを書きましたが、今朝何とそのことを書いたブログを読んで下さったその講師の先生からファックスで返事をいただきました。
 先生は、人に優しくすることによって自分が傷ついてしまうのではないか、と心配されていました。これは例えば利用者(患者)さんに優しい言葉を掛けた時、「お前の声など聞きたくない」と理不尽な言葉を言われ、コミュニケーションを拒否されたケースなどのことをおっしゃっているのだと思います。そうした時、先生は「負けるものか」と自分に言って、自分に優しく大事にしている、と書かれていました。そのことを先生はまた「自分に強くなることが自分に優しい」と表現されていました。
 これは「優しい」という言葉を「守る」という言葉に置き換えると分かりやすくなると思います。「人を守るには自分も守らなければいけない(なぜなら自分が傷ついてしまったら、他者を守れなくなってしまうから)。自分を守るには、自分に(を)強くしなければならない。」どうでしょう?分かりやすくなったでしょうか?
 私は嫌なことを見たり、聞いたりした時には、腹をたてることもありますが、大概の場合、それにはそれなりの理由があってのことなのだから、しょうがない、と考えるようにしています。私は性善説なので、人が好んで嫌なことを言ったり、したりするとは考えないからです。それでも腹に据えかねて怒鳴ってしまうこともありますが、これは神様じゃないんだから、しょうがないですよね。(しょうがない、なんて言ってると仕事が勤まらないぞ、という声が聞こえてきます。)
 それにしても、個人にファックスまで送って、こちらの疑問に答えてくれる先生に会えて、本当に感謝しています。先生ありがとうござます!どこかの現場で再会できるのを楽しみにしています!

トム・ハワード監督『シンデレラマン』

2006-11-07 16:51:11 | ノンジャンル
 先日WOWOWで放送したトム・ハワード監督の'05年作品「シンデレラマン」を見ました。実在のプロボクサー、ジェームズ・ブラドックのノンフィクション・ドラマです。
 あらすじは以下のようなものです。
 1928年、ラッセル・クロウ演じるブラドックはニューヨークで10戦10KOという成績をあげ、ニュージャージー州生まれのホープでした。その後も21戦無敗16KO勝ちまで戦績を伸ばしますが、大恐慌に入って4年後の1933年には戦績もさえず、並みのプロボクサーに成り下がり、妻と3人の子供をかかえて、生活は貧しくなっています。試合も80戦を超え、試合のない日は日雇い人夫をして、何とか家族を養っていますが、ある日、ファイティングマネーほしさに右手が骨折したまま試合に臨み、試合は無効試合となり、愛想をつかしたプロモーターにライセンスをはく奪されてしまいます。電気も止められ、生活に窮したブラドックは、子供達を親戚に預け、ボクシング業界の人間の集まる酒場で物乞いまでします。日雇い人夫として働く彼のところへ、元のマネージャーが訪ねてきて、大きな試合で急にケガをして出られない選手が出たので、替わりに出てみないか、と言ってきます。強い相手なので、すぐに替わりが見つからず、KO負けのないブラドックが初めてKO負けをする、ということで、相手にはくがつけられるというのです。試合に出たブラドックは予想に反して壮絶な試合の結果勝ち、マネージャーはプロモーターを説得し、ブラドックにライセンスを再交付させることに成功します。次の試合にも勝ち、いよいよ無敵のチャンピオンとの対戦が組まれます。ブラドッグは前の試合でろっ骨を傷め、チャンピオンは過去にリング上で2人を殺したことがある怪物。そうした不利な条件の中で、ブラドックは勝ち、伝説の人となるのでした。
 という話なのですが、肝心のボクシング・シーンの迫力が、例えば阪本順治監督の「どついたるねん」などに比べても、欠けます。監督は、夫の体を思い、ボクシングに反対する妻と主人公の夫婦愛、あるいは主人公と子供との間の親子愛、あるいは世界恐慌下の人々の生活の苦しさ、こうしたものを描きたかったのかもしれませんが、どれもステレオタイプで心を揺さぶるところまではいっていないように思いました。
 トム・ハワード監督は私の好きな監督で、はずれはないと思っていただけに、初めてのはずれでした。見どころはラッセル・クロウの存在感(というかあの目つき)でしょうか?


『登校犬』出現!

2006-11-06 16:33:29 | ノンジャンル
 今日の朝日新聞の夕刊に「小学生の登校に『守り犬』」という記事が載っていました。青森市に、登校途中にある家で飼われている秋田犬の「快皇」君が、小学生たちの人気者になり、登校時間になると、登校道を何回か往復して散歩する、というもので、登校拒否児だった小2の女の子も「快皇」君会いたさに家を出て、そのまま登校するようになった、という記事でした。
 こういう話を聞くと、動物がいかに人間を癒してくれるのか、ということが改めて思われます。そういえば、イルカとの触れあいが心の障害を持った子供に対する治癒の効果を持っている、というのも聞いたことがあります。
 私の家があるところは、典型的な住宅地で、車が頻繁に行き交うこともなく、日中はのんびりした雰囲気が漂っているのですが、そのせいか、たまに見かける猫ものんびりしていて、見ているだけでこっちの気持ちも穏やかになってきます。
 今回は登校拒否児が犬で治ったということでしたが、これはいろんな分野で応用可能なのではないでしょうか? PTSDで苦しむ人とか、心の病いで苦しむ人たちも、犬や猫との触れあいを通じて、癒される可能性があるように思います。
 もう既にこうしたことは研究が進んでいるのかもしれませんが、まだ手をつけられていないのでしたら、ぜひ研究し、実行してほしいと思います。