マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

頑張らない生き物とインスタばえする生き物  鳥羽水族館にて

2019-09-17 09:08:00 | ぼやき日記

丈夫な歯で、木を削り、せっせと巣作りに励むのがビーバーですが、しっかり熟睡しておりました。

コツメカワウソも熟睡していました。

ゾウガメは、甲羅の中に閉じこもったまま。

トドです。動くのは嫌みたいです。

他の子はきちんと立っていましたが、この子たちは疲れたみたい

ゾウアザラシは水中で寝てました。

昨日は暑かったですから、眠かったのでしょうね。

映える生き物が紹介されましたが、私の撮り方が下手でぶれているのが半分以上でした。

いかにも毒を持っていそうなツノのあるカエルです

スマホの機種変したのに、映える画像はそんなに撮れません。

最後は伊勢海老、このあと、お刺身を食べました。

美味しそう!って思うのが半分あるんです。鯛や、ぶり、マナガツオ、そして巨大なクエなどです。鳥羽水族館の水槽の中は割烹のいけすよりもすごいんです。

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鳥羽へ

2019-09-17 08:53:07 | ぼやき日記

松阪市の翌日は鳥羽へ行きました。午前中は鳥羽湾を遊覧してイルカ島へ行きました。

小さい島に囲まれた湾なので、魚介類も豊富に獲れる獲れる所のようです。

午後は鳥羽水族館に行きました。

まわりゃんせという近鉄特急についているクーポンのおかげで、松坂も鳥羽も、乗り物乗り放題、入場料がただ、お土産屋の割引で、ありがたかったです。

この日は暑くて、真夏のようでした。

実は鳥羽にも鳥羽城があって、娘は大手門後から撮影しておりました。鳥羽城は、九鬼嘉隆が最初の城主です。豊臣秀吉に仕えました。この城主は海賊城主と言われた人。九鬼水軍を率いておりました。調べたら、面白そうです。

鳥羽を舞台にした文芸作品もあります。江戸川乱歩、山本周五郎も、三島由紀夫も作品を残しています。

 

美しい海と、海に浮かぶ島々を見て過ごすのは、幸せでした。

 

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松阪城攻め!

2019-09-17 08:23:07 | ぼやき日記

連休は、松阪の城を攻める! 娘についていくことにしました。立派な石垣の上に築城されたお城です。これは野づら積みと呼ばれるものだそうです。大小の石をうまく組み合わせて作られた技術を要する石垣です。

場内は、広くて、眺めは最高です。

高い石垣は続いていました。城内は手入れが行き届いていて、石垣の間から生える草も丁寧に抜いていらっしゃるようです。

このお城は蒲生氏郷が築城しているので有名ですが、彼がいたのは二年ほど、そのあとは、古田氏が治めました。その古田氏は、国替えで、なんと私の故郷島根県浜田市の浜田藩を開いたのでした。今年でちょうど開府四百年になります。

城内に郷土資料館があり、コンパクトにまとめて、わかりやすく歴史資料が展示されていました。その中で目についたのが

このテレビは、私が幼い頃に家にあったのと同じ機種です。多分日立のテレビだと思います。親にチャンネルを乱暴に回すなと怒られていたことを思い出します。

そして松阪といえば、松坂牛です。大奮発して、すき焼きを食べに行きました。

今まで家で食べていたすき焼きは、すき焼きじゃない!

というくらい美味しくて、うれしかったです。

浜田市と松阪市はご縁が深く今でも交流が続いていると耳にしました。

浜田のお殿様が本居宣長プレゼントした駅鈴に象徴されるように、松阪は鈴がモチーフになっているようです。

幸いにも、泊まったビジネスホテルが、非常に格安で、三人で朝食付きの9800円。お部屋も広くて大満足。

夜はお腹に食べ物が入るスペースはなかったのですが、居酒屋さんに行って少し食べました。その時に飲んだのが、名張のお酒、而今で、堪能しました。このお酒は、お土産コーナーには置いてありませんでした。どこで買えるのか?

翌日、牛めし弁当を買いましたが、この話題は明日にします。

 

 

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国学って? 本居宣長の功績を知る旅

2019-09-17 07:29:42 | ぼやき日記

教科書にでは出て来た人物だけど、よく知らなかった人本居宣長。江戸時代に活躍した国学者です。

日本の始まりを記した書物古事記。千年の間読めませんでした。本居宣長が35年かけて、研究を重ねて、解読し、完成したのが古事記伝です。

最初から古事記に着手するのではなく、賀茂真淵に師事して、万葉集から研究し始めました。

江戸にいる賀茂真淵に添削を依頼し、飛脚を通じてやりとりしたのが上の資料です。そしてできたのが

ここまで完成しました。今私たちが仮名文字で万葉集を読めるのは宣長さんのおかげなのです。

 

宣長が愛したのが京都の町。彼がもっとも好きな作品は源氏物語で、当時は単なる和歌の教則本となっていたのを、再評価し、作品の素晴らしさを訴えました。

彼は、医者をしていて、空いている夜の時間に、夜なべをして、ひたすら古い書物の研究をしていたようです。彼の偉業は当時全国に知れ渡りました。

当時の浜田藩主の松平康定は、参勤交代の途中で、宣長との謁見が実現し、その時に宣長に駅鈴をプレゼントしたそうです。それが記念館に飾られておりました。

これ以降、浜田藩は藩校ができ、学問を奨励したようです。松阪藩と浜田藩の繋がりは後輩から少しだけ聞いていたのですが、半分しか聞いていなくて恥ずかしかったです。

とっても能力の高い人物だったようです、少年の時に書いた 縦一メートル横二メートルの日本地図には圧倒されました。

浜田のところだけ拡大してみました

今もある地名がかなり沢山記されております。

 

古事記、万葉集、源氏物語を学ぶことは、古来から持つ日本人の感性を学ぶこと。もののあはれは日本人の心の中に生きています。

昔の人が書き残したものを大切にするのは良いことです。

 

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