マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

鳥羽へ

2019-09-17 08:53:07 | ぼやき日記

松阪市の翌日は鳥羽へ行きました。午前中は鳥羽湾を遊覧してイルカ島へ行きました。

小さい島に囲まれた湾なので、魚介類も豊富に獲れる獲れる所のようです。

午後は鳥羽水族館に行きました。

まわりゃんせという近鉄特急についているクーポンのおかげで、松坂も鳥羽も、乗り物乗り放題、入場料がただ、お土産屋の割引で、ありがたかったです。

この日は暑くて、真夏のようでした。

実は鳥羽にも鳥羽城があって、娘は大手門後から撮影しておりました。鳥羽城は、九鬼嘉隆が最初の城主です。豊臣秀吉に仕えました。この城主は海賊城主と言われた人。九鬼水軍を率いておりました。調べたら、面白そうです。

鳥羽を舞台にした文芸作品もあります。江戸川乱歩、山本周五郎も、三島由紀夫も作品を残しています。

 

美しい海と、海に浮かぶ島々を見て過ごすのは、幸せでした。

 

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松阪城攻め!

2019-09-17 08:23:07 | ぼやき日記

連休は、松阪の城を攻める! 娘についていくことにしました。立派な石垣の上に築城されたお城です。これは野づら積みと呼ばれるものだそうです。大小の石をうまく組み合わせて作られた技術を要する石垣です。

場内は、広くて、眺めは最高です。

高い石垣は続いていました。城内は手入れが行き届いていて、石垣の間から生える草も丁寧に抜いていらっしゃるようです。

このお城は蒲生氏郷が築城しているので有名ですが、彼がいたのは二年ほど、そのあとは、古田氏が治めました。その古田氏は、国替えで、なんと私の故郷島根県浜田市の浜田藩を開いたのでした。今年でちょうど開府四百年になります。

城内に郷土資料館があり、コンパクトにまとめて、わかりやすく歴史資料が展示されていました。その中で目についたのが

このテレビは、私が幼い頃に家にあったのと同じ機種です。多分日立のテレビだと思います。親にチャンネルを乱暴に回すなと怒られていたことを思い出します。

そして松阪といえば、松坂牛です。大奮発して、すき焼きを食べに行きました。

今まで家で食べていたすき焼きは、すき焼きじゃない!

というくらい美味しくて、うれしかったです。

浜田市と松阪市はご縁が深く今でも交流が続いていると耳にしました。

浜田のお殿様が本居宣長プレゼントした駅鈴に象徴されるように、松阪は鈴がモチーフになっているようです。

幸いにも、泊まったビジネスホテルが、非常に格安で、三人で朝食付きの9800円。お部屋も広くて大満足。

夜はお腹に食べ物が入るスペースはなかったのですが、居酒屋さんに行って少し食べました。その時に飲んだのが、名張のお酒、而今で、堪能しました。このお酒は、お土産コーナーには置いてありませんでした。どこで買えるのか?

翌日、牛めし弁当を買いましたが、この話題は明日にします。

 

 

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国学って? 本居宣長の功績を知る旅

2019-09-17 07:29:42 | ぼやき日記

教科書にでは出て来た人物だけど、よく知らなかった人本居宣長。江戸時代に活躍した国学者です。

日本の始まりを記した書物古事記。千年の間読めませんでした。本居宣長が35年かけて、研究を重ねて、解読し、完成したのが古事記伝です。

最初から古事記に着手するのではなく、賀茂真淵に師事して、万葉集から研究し始めました。

江戸にいる賀茂真淵に添削を依頼し、飛脚を通じてやりとりしたのが上の資料です。そしてできたのが

ここまで完成しました。今私たちが仮名文字で万葉集を読めるのは宣長さんのおかげなのです。

 

宣長が愛したのが京都の町。彼がもっとも好きな作品は源氏物語で、当時は単なる和歌の教則本となっていたのを、再評価し、作品の素晴らしさを訴えました。

彼は、医者をしていて、空いている夜の時間に、夜なべをして、ひたすら古い書物の研究をしていたようです。彼の偉業は当時全国に知れ渡りました。

当時の浜田藩主の松平康定は、参勤交代の途中で、宣長との謁見が実現し、その時に宣長に駅鈴をプレゼントしたそうです。それが記念館に飾られておりました。

これ以降、浜田藩は藩校ができ、学問を奨励したようです。松阪藩と浜田藩の繋がりは後輩から少しだけ聞いていたのですが、半分しか聞いていなくて恥ずかしかったです。

とっても能力の高い人物だったようです、少年の時に書いた 縦一メートル横二メートルの日本地図には圧倒されました。

浜田のところだけ拡大してみました

今もある地名がかなり沢山記されております。

 

古事記、万葉集、源氏物語を学ぶことは、古来から持つ日本人の感性を学ぶこと。もののあはれは日本人の心の中に生きています。

昔の人が書き残したものを大切にするのは良いことです。

 

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トマト鍋

2019-09-15 06:57:12 | 夕食

トマトジュースと水とブイヨンをブレンドしたスープに、にんにく、オレガノと胡椒を振って、白菜、キャベツ、玉ねぎ、きのこ、魚介類、鶏肉、ソーセージなどを入れます。

最後は、細めのパスタを入れて、麺が柔らかくなったら粉チーズを振って食べます。

鍋と一緒に食べるのは、ガーリックトーストが合います。

 

トマトは栄養満点、魚や肉の臭みもとってくれて最高の食材です。

千葉を襲った台風で、被害を受けた世帯が多数出ています。この暑さの中停電が続いているのが気の毒で仕方ありません。

でも、暴動が起きることもなく、不満は漏らしておられるけれど、じっと我慢している人を見るにつけ、日本人らしさを感じています。

 

そういう日本人ですから、どうぞ、政治家の人はそれに甘えないでください。少々の辛さに耐えられる国民であるからこそ、より一層そういう人々を大切に思ってくださいませ。

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豚の紅茶煮

2019-09-15 06:51:50 | 夕食

豚の肩ロースが特売でしたので、紅茶煮を作りました。作り置きして、いろいろなものに使うことができます。

この日は、醤油ダシに酢を好みでブレンドしたタレで食べます。ポン酢より少し味が濃いめにします。

あとは

生姜じゃこご飯と具沢山のお味噌汁です。

あまり手をかけなくて済む取り合わせです。

 

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今日も茶房MONTへ

2019-09-14 14:59:14 | ぼやき日記

 

今日も私の小説に出てくるカフェのモデル、茶房MONTへやって来ました。小説は、折り返し地点を過ぎ、162枚まで来ました。

終わりの部分は筋ができているのですが、そこにたどり着くまでの、つなぎのところを書いていて、経験がないシーンなので考え込んでおります。

それで気分転換で茶房MONTに立ち寄りました。美味しいコーヒーも飲みたかったですし。

 

鶏肉を小さくてカラフルなあられをつけて揚げています。ゴーヤの佃煮も美味しいですし。いつもながらに、栄養満点なランチです。

後になりますが、昨日のご飯をアップしないといけませんでした。

 

 

 

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ドッグズか? ドッグスか?

2019-09-12 18:46:51 | ぼやき日記

昨日のメインのおかずは、はっきりしませんが、ゴーヤチャンプルと、昨日のどて焼きのタレに醤油ダシを足して、鍋しぎ風にして、ごぼうとナスと椎茸を煮てみました。きゅうりの酢の物と焼きカレー。

焼きカレーを見て、孫が、もっとトマトをたくさん並べたら オーム焼きだね。と可愛いことを言ってくれます。風の谷のナウシカのオームの大ファンなのです。次回は、ナウシカオーム焼き、カレー味にネイミングを変えます。

夕食の最中、

夕方のどしゃぶりの雨の話題になり、英語の慣用句で、どしゃぶりは、cats and dogs と表現すると説明したら、孫が発音した、dogsの複数のsをどう発音するかで娘と議論になりました。

娘は、英語圏(主に英国系))に言った時、ドッグスと発音しているのを聞いたと言い張り、私は、中学生の時に、単語の最後が濁音の時は、sはズと発音すると先生に教わったと言い張りました。

理論上は、ズだけれども、あなたの耳にはスと聞こえただけなのでは?というと、違うと言い張ります。

私はフェイスブックの友人にどうなのか聞いて見ましたら、理論上はズすなわちzと発音するとググって確かめたと返事が来ました。

 

ほれ見ろとたかをくくっておりました。

そしたら、私の英文科出身の後輩(京都大学文学部)が

 

言葉は生きておりますから、理論上はそうなっていたとしても、sをスと発音する人もいると思います。

実際には黙字も発音する人もいるんですからね。私の、ネイティブに近くて、かなり英語をよく勉強して詳しい知り合いから聞いています。発音というのは、理論だけで語れません。

 

このように説明を受けて、凝り固まった自分の頭を実感してしまいました。とは言っても、あれほど激しく議論した娘に今更事情をうまく説明できず。このブログを通じて、伝えることにいたしました。

英語にお詳しいマダムKは何とおっしゃるでしょうか?

 

 

 

 

 

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二日続いた餃子です

2019-09-10 09:39:58 | 夕食

昨日は、おととい残っていた餃子の具にエビを混ぜて、餃子の皮に包んで焼いてみました。

エビの食感も格別でした。

 

そして、画像に収め忘れたのですが、千切りキャベツに、アンチョビ入りのドレッシングをかけたもの

そして、お刺身こんにゃく

映えませんね。

関東に台風が襲いました。千葉では被害が多く出ています。昨年は関西が被害を受けました。停電に悩まされたのを思い出します。

お見舞い申し上げます。 

 

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煮込み料理がなんとなく食べたくなりません?

2019-09-09 12:23:50 | 夕食

この日のメインは餃子だったのですが、ベーコンとキャベツがあったのでポトフを作りました。ル・クルーゼの鍋を使います。なぜなら、最初はオリーブオイルを薄く敷いて、その上に具材を入れて、蓋をして弱火で十分程度蒸らすのです。野菜の中の水分が出てきたところで、水とブイヨンを入れて煮込みます。これがポイントです。

分厚い鍋ならできます。

餃子は我が家の大好物の一つです。皮肉にも母が夕方不穏なために、封印するしかないメニューですが、母が入院中ですので、作ることができました。

餃子の皮は、強力粉と薄力粉6対4に熱湯を入れて、こねるのが一般的です。最初は熱湯を入れて行く過程で、柔らかさを私は調整して、柔らかめに仕上げます。

ところが昨日のレシピは、水分が粉の45パーセントでした。かなり硬いのでキメが細かくなるか不安でしたが、不安は的中。三十分寝かせてもダメでした。

スペアで用意した、分厚めの米粉入りの市販の皮を採用して作りました。

最初は水をたっぷり入れて、蓋を入れて蒸しますが、最後は水を完全に蒸発させて、きつね色に焼き色がつくまで我慢します。

これも大好物のピータン豆腐です。すっかり定番のおかずになりました。

ピータンが苦手な人もこれなら食べることができますよ

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戦争で取り返せ!というのはどうか?

2019-09-08 09:42:06 | ぼやき日記

中学生の頃、父の兄にあたる叔父に、質問したことがありました。

世界は一つになれるんだろうか?

 

叔父は答えました。

それは難しい。理由はたくさんある。

一番大きな理由は、宗教の違いがあるために、それぞれの宗教の考えの違いを受け入れられないことだ。

 

でも世界が一つになったら、ずっと平和が続くよね

私は答えました。

 

違いを認める心が育つことが大事なんだが、それが難しいんだよ

叔父は静かに話しました。

 

あの頃のことを思い出して本日のブログを書き始めました。

平和で過ごすことが何より尊いと、宗教を超えた共通の認識になれば、良いはずだ。

共通認識とならなくても、そうなるように努力できれば、少しずつ歩み寄れる気がします。

我々日本人同士でも、カチンとくることがあります。嫌味を言われたり、時には度を越したいじめになることもあります。知らず知らずに無理に相手の心を変えることができないことを経験で学んでいます。改心せよなどと主張したり、激情して相手に掴みかかることはほとんどありません。大人であるならば露骨に争うことを避けようと行動します。苦手な人でも、うまく距離を置きながら付き合っています。

自分が正しい行いをしていたら、必ず相手に伝わるものだと私の父が言葉を残しました。

 

国同士もその延長ではないでしょうか?

領土問題は、頭を悩ましていますが、

”戦争をして取り返すしかないのでは?”と言った人がいらっしゃいます。

 

反対意見を言うと、自分は言い切ってはいない、あくまでも疑問を投げかけただけと主張して、逃げようとされました。

偏差値の高い学校を出ていて、お勉強をした人のようですが、残念に思います。

自分が学んで得た知識は、自分の愚かさを弁護するために使うのではなく、世の中をよくするために使って欲しいです。

過激な言葉を投げかけて注目を集めることで自分を高めるつもりなのでしょうか。

 

戦争で取り返すということが、どんな不幸を招くかということを、高い学力をお持ちなら、ぜひ調べて、考えていただきたいと、期待を込めてお願いします。

 

昨日はひとりご飯。上の画像は、メインの回鍋肉です。これにアボカドのサラダを作って終わり。

ここ数日は特に情けない状態。

でも今日は餃子を作ることにしています。今日こそは頑張ります。

 

 

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ざまくはいかん!

2019-09-06 16:51:08 | 夕食

だんだんと手抜きが酷くなる毎日のご飯。

昨日も鶏の胸肉のポン酢煮なんですが、今回は実はポン酢ではなく、安売りの青じそドレッシングで煮ました。これがなかなかのものなんです。

それは良かったのですが、最近は適当が度を越しました。昨日は鮭が一切れだけでしたので、野菜とトマトを入れてオムレツを作ろうと思いましたが、失敗してしまい、卵よせになりました。

トマトが魚の臭みを消すので味は良かったです。

こんなおかずをアップするなんて、、、、、。今夜は頑張ろう!と言いたいけれど、

今日は、和算の小説に取り掛かり、問題をいくつか解いたので、スッキリしたけれど、頭は疲れ気味です。

 

朝作ったカレーで我慢してもらいます。

ざまく(手を抜くこと)はいかん! 父が生きていたら怒られるでしょうね。

 

 

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世間は狭かった

2019-09-06 15:56:07 | ぼやき日記

 

一関の博物館では、関孝和由来の、和算家を排出していますが、その中でもっとも有名なのが千葉篤胤です。

上の画像は、その弟子菅原市左衛門とその門下6名が奉納した算額から出された問題です。一関の博物館が実施している、和算に挑戦というサイトので、平成二十五年に出された中級問題です。

円を使った図形問題は数多くあります。

中級なのですが、なかなか私には厳しいです。トライしながらわかったのは、補助線が重要であるということです。補助線がうまく引けたら難解な問題も解けるから不思議です。

仕損じの紙の裏なので、汚くてすみません。

 

算法を学ぶ現代の少女たちの話を書くために、ひたすら問題を解く毎日なのですが、なんと驚いたのは、名古屋にいる中学からの友人のご主人のお母様は一関市出身で、千葉篤胤の子孫でした。当然友人のご主人も長男も、子孫ということになります。すごい。ご主人も数学者なので、やはり血は受け継がれているのです。

博物館も、岩手にいらっしゃる親戚が関わっておられるとのこと。

 

一関の博物館にたどり着いたのは、和算のことを調べている時でした。本当にたまたまでした。

偶然にしては凄すぎます。

小説にありえないことを書くと偶然なんてそんなにないと言われるのですが、いやいや、実際にありえるんです。

 

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ナスの素揚げのポン酢かけがオススメです。

2019-09-05 16:51:49 | 夕食

今日も、唐揚げが食べたいという声に応えて、作りました。一緒に作ったのがナスの素揚げのポン酢かけ。

この時期のナスは美味しいです。

我が家の唐揚げです。まあまあカリッと揚がりました。

母は、回復棟に移って、少しずつリハビリが始まりました。薄味で栄養を考えて食事と適度な運動のせいなのか、体重が減ってきて、以前の体型に戻りつつあります。

これで、大事にしている大好きな洋服を着ることができそうです。

私も、涼しくなったら、母を見習って、ダイエットをしたいと思っています。

でも年がら年中ダイエットしたいと叫んでいる気がします。毎日の料理を見たらダイエットは難しいですね。

 

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豆乳鍋の後のリゾットが魅力です

2019-09-05 16:38:23 | ぼやき日記

火曜日は豆乳鍋をしました。そして最後は、ご飯を入れて、チーズをのせて黒胡椒をふってリゾットにします。

以前友人が教えてくれて、鍋を食べるより楽しみになりました。

鍋はとりあえずアップしますがこれです

全くばえませんね。

文学学校がお休みなので、昨年みたいにロスになるかと思いましたら、意外にも今年はロスにならず、ひたすら、次の作品に向かっております。

だけど、少しずつしか進みません。焦っても良いことはないので、ゆっくりやります。

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戦争の悲惨さを伝えることの意味

2019-09-05 09:27:56 | ぼやき日記

私の親の年代は、戦前に悲惨な体験をしております。当時は国民全員が、命の危険や物のない辛さに苦しみました。

そして、国家のために、やりたいことがあっても我慢して、全員が戦争に勝つために協力していたのです。

私も、年寄りや親からその頃の話を聞かされて育ちました。

 

ところが、今はもう、戦争の体験者は亡くなったり、高齢になり、若い人に体験を伝える機会がどんどん失われてきました。

戦争は悲惨で、絶対にすべきではないとわかっているけれど、体験者が少なくなると、戦争の真実が伝わりにくくなってしまいます。

昨日ファイスブックで、友人が、お父様がご自身の戦争体験を語っているサイトを載せてくれました。母より一つ年下の87歳で、戦争の悲惨さを、訴えておられます。

https://news.yahoo.co.jp/feature/1416

(後半はログインしないと閲覧できないようになっています)

「戦争というものには、戦勝国も敗戦国もない。みんな犠牲者なんだ」と。戦争に勝ったって駄目なんです。

政治は歴史観無くしては語ることはできない。そして戦争は決して美化してはいけない。

と結んでおられます。

 

今、日本は、周辺の国々との関係が、悪化しつつあります。

では一体、どうすれば良いのでしょうか?

 

防衛力の強化もいた仕方ないことかもしれませんが、

それはあくまでも戦争をしないために行うことと認識すべきだと私は思います。できるだけの知恵を使って、平和が維持できる社会にしていくことが大切です。

 

学生時代、お互いに争うことなく、貿易によって、両方の国を豊かにできるという理論を学びました。

どの国も保護主義に向かうことは結局自分の国の首を絞めることになることに、気がついて欲しいです。

 

 

 

 

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