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新たに2億円

2009-01-29 | 市民のくらしのなかで

 

1月29日臨時議会「契約変更案件」についての討論  
    
   

    日本共産党の大橋満です。契約変更案件について討論を行います。

  先の12月議会でわが党議員団は債務負担行為1億円については、すでにすすめられてきた工事と今後の工事を「法律と契約に基づいて、厳正にすすめよ」という強い意見を申上げ賛成しました。ところが今回の契約変更は、それを無視したものであります。

 ((  又監督日誌については、一般仕様書、第3章 設計一般3-1打ち合わせの(1)に業務の実施に当たって、受託者は係員と密接な聯絡を取り、その連絡事項をその都度記録し、打ち合わせの際、相互に確認しなければならない。とありこれが監督日誌のことです..この記録が後の証拠になるのです。))

 12月議会以降、担当部長・JR西日本コンサルタント・佐藤工業等から詳しいいきさつをお聞き致しました。その結果、市長・水道事業管理者、日水コン・JR西日本、JR西日本コンサルタント・佐藤工業すべてに、それぞれ責任があると言うことは明らかであります。

 

 私は、契約変更後に起こる事業に伴う責任問題について、先に申し上げたいと思うのであります

第1に市長・水道事業管理者の責任は重大である、ということであります。
 市長は、市民の願いを実現する「公共下水道」建設に伴う施主の責任者であります。 法律と契約を守り、同時に相手に守らせる責任者があります。事業を発注し、業者からの提案や設計に対して、良く吟味し、事業の推進を指示する責任者でもあります。
 だから、今まで進めてきたことも、これからの完成までも、法律と契約に従って厳密にすすめなければなりません。
 
 ところが、経過を調べて見ると、市は業者の言いなりで、殆どお任せしますと言う態度であります。そのことが今日の間違いを起こしている最大の原因であると指摘しなければなりません。
 また、市長と水道事業管理者の兼務は、「予算金額削減以上の弊害をもたらしている」ということを申し上げなければなりません。
 
 一方、業者に望まねばならないことは、建設業法の第1条(目的)であります。「この法律は、建設業を営む者の資質の向上、建設工事の請負契約の適正化等を図ることによって、建設工事の適切な施工を確保し、発注者を保護するとともに建設業の健全な発達を促進し、もって公共の福祉の増進に寄与することを目的とする。」とあり、業者は、社会的道徳を守る義務があります。
 そこを曖昧にして、業者は責任逃れをしようとしていますが、絶対に許さないという市長の決意が大切であります。
 市長は今後、本事業を法律と契約に従って最後まで完成させ、その責任を果たして頂かなければなりません。

 また市民は、市長がこんな重大なミスをして、新たに2億円も必要としながら、その解決が出来ていない段階で、毎年1億円もの下水道使用料の値上げを提案し実行することは、市民の暮らしを顧みない悪政だと怒りが広がっているのであります。
 又、市議会に対しても、しっかりチェックしてほしいものだと意見が寄せられています。日本共産党は、全議員のみなさんと十分な審議をおこない、市民の立場に立った解決をするために、引き続き全力をあげるものであります。

第2は、JR西日本の責任であります。
 JRは、「軌道下を工事する許可」を下ろしているのであります。 JRが許可を下ろす時に責任を持たなければならないのは、
①、軌道上の電車に影響がないようにする。
②、JR敷地内の状況を調べ、設計図作成に協力し、工事が事故 なく行なえる用にすること、それを確かめてから許可をする。
③、工事関係者から、敷地内調査の必要があると申し出があれば、 条件を付けて許可をし、調査の指導をし、結果を確認すること であります。
 ところがJRは①については熱心であるが、②③については①と比べて責任感が弱く関心も薄いのであります。 
 JR西日本は、JRコンサルタント・佐藤工業・向日市からの前田地下道下再調査の申し入れを拒否しているのであります。     JRがH鋼の事故が起これば仕方なく調査の許可を下ろすが、工事前の調査を認めなかったことが、H鋼の発見を遅らせたのであり、重大問題であります。

  さらにJR西日本は、向日市のルート案を変更させたのであります。ルートを変更させるのなら、その工事場所には、以前よりいっそう慎重な調査をしておいていただく必要があります。それをしなかったのであります。
   JR西日本には大きな責任があります。

第3は、JR西日本コンサルタントであります。
 JR西日本京都土木技術センターと協力して一緒に設計しています。だから今回の設計図は、いわばJR西日本との合作であります。
 JR西日本コンサルタントは、安く・早くを信条にしていると言われておりましたが、両者が、地下埋設物調査をするときに、将来計画を含め十分調査しなければならないとなっているのに、掘削マシーンが実際に通る深い場所を調べていないのであります。
 埋設物については、何かあれば大変なので「さがす」という調べ方をせず、H鋼のような埋設物があるかも知れないという想定もしておらず、地下障害物は何もない、今までの工事でもなかった、という前提で地下土質調査だけ行われたのであります。JRとの打ち合わせ項目に「ボックスカルバート下の調査」がないのです。
 だから、「ボックスカルバート下」に不明物体が写っていても再調査の基準を無視して、再調査をしていないのであります。
地下調査の大前提が間違っていたのであります。
 (15/12/22  むーコ契 JRとの協議 9頁)
 このことは不可抗力でも何でもありません。提出された設計図では、事故が起こり図面どおり工事が出来なかったのであります
これほどの契約違反はないのであります。さらに、〔5章で〕照査の目的として・・設計図書に誤りがないよう努めなければならない。とあるのが守られていないのであります。
 JRとJRコンサルタントの責任は重大であります。

  同時にコンサルタントは、すべての技術指導をしなければならない責任があります。図面を書いただけで、ルート決定は、市とJRが決めたこと、工事の方法は市と佐藤工業が決めたことだという責任逃れは、絶対に許されるものではありません。
 設計図には、事細かく指示されており、同時に完成までの現場監督の責任があります。コンサルタントもそのことを認めていました。今日までの責任も果たせなかったのであります。
 書かれた設計図のA案 B案どちらが採用されてもトラブルなく工事を完了させる責任があります。多額の金額を払っての契約は、責任が伴うことは言うまでもありません。
それが出来ず途中でこのようなことになった責任は、JR西日本とJR西日本コンサルタントに責任があります。
   (15/12/22  むーコ契 5頁照査・設計図書に誤りがないよう)
                                     設計図に対して      が ではない

第4は、佐藤工業であります。
  佐藤工業には2つの大問題があります。
 その第1は、契約どうり多額の調査費を使って「埋設物の調査」をしました。この調査では「金属はわからない」とは、どこにも書いていないのであります。
 初めから埋設されている金属が、発見できないと言うことであれば、そのように書いておくべきであります。実際行われたのは、マシーンの通る上と近くの土質調査をしただけで、マシーンの通過する深いところは調査せず問題ないと、報告書を出しているのであります。
 マシーンの通るルートの下を調査し、「工事に問題なし」としながら、ルートの下に問題があったわけですから、ずさんな調査と言われても言い逃れは出来ません。
 調査したルートの下以外のところで問題が起こっておれば、予期せぬことだと言えますが、今回の場合は調べて見つけられなかっただけであります。よって佐藤工業から新たに追加契約を申し出るのは、佐藤工業が地下調査が間違っていたことを自ら証明している事になるではありませんか。
 佐藤工業のずさんな調査にも重大な責任があります。

  その第2は「契約変更」の問題であります。
請負代金内訳及び工程表の内容に、変更しなければならない事態が起きれば、その時点で工事は一旦止めて、その契約変更が終わってから工事を再開すべきです。その金額が500万円を超えるときは、契約変更の議会承認を受けなければなりません。
契約変更が決定されれば工事が再開出来ますが、もし決まらなければ、工事はストップしたままであります。それが法律と契約の決まり事なのです。次ぎに進むために理事者は、新しい提案をして、それが決まらなければなりません。これが契約条項でありやむを得ないことなのであります。
  今回の工事では、2つ目の井戸が見つかったときと、4本のH鋼が見つかったときも 「契約変更」すべきだったのであります。関係者のすべての方々が、それが正しいやり方だと言われます。
 だから、契約変更せず進めた工事は佐藤工業が負担すべきものであります。本日H鋼9本の内6本抜いたと報告がありましたが契約を厳密に守るのなら、本仮契約が可決されてから、抜き取る工事をしなければなりません。

 日水コンは、最初の調査と設計を行いましたが、日水コンとJRコンサルとの連携は、やはり不充分であります。JR軌道下は、JRとJRコンサルが責任をもって調査をしたのであります。

 以上のように  調査をしたどの業者も、そのとうり工事が出来ない設計図をつくって提出してきたことは、契約内容を厳密に果たしていないと言うことであります。
 今後その責任を厳しく問わなければならないと思うのであります。

 さて次に本日の契約変更案件についてでありますが、しっかり法律を守り契約を厳密に守らなければ、工事はまだ半分残っているのであります。

 日本共産党議員団は、12月議会の「討論」で、今回の債務負担行為の1億円から、井戸2本と4本のH鋼、計4700万円は削除するのが、法を守る立場であります、と申し上げました。理事者は我々の指摘を、契約を厳密に守ればそれが正しいと言いながら、今回、全く守ろうとされていないのであります。色々なやりとりがあったようですが、今日まで契約変更せずに来たのなら、この分は佐藤工業が負担するのが法律を守る立場であります。
 いただきました債務負担行為限度額の内訳資料の①~③  合計4700万円と工期延伸の一部は佐藤工業の負担とすべきものであります。
  日本共産党議員団は、そのような内容なら当面の追加を認めたいと考えておりましたが、仮契約の内容はこのような経過が生かされておらず同意できないのであります。

 さらに同意できないのは、残る工事について再びかかる事態を起こさないという保証があるのかと聞けば、「その保証はない、改めて調査する。」と言う無責任な態度であります。これでは同意できず、経過を見守る以外に取る道はないと考え

 本契約案件に対する態度は、保留と致します。

 なお、今後市が進めようとしている調停、さらに裁判にむけて、市民の負担が軽減されるよう、議員団としての責任を果たす決意であります。

以上で討論を終わります。

         

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オバマは、何を訴えたのか?

2009-01-29 | 世界の変化はすすむ

 

   オバマ米大統領 就任演説全文

 

                    2009年1月21日

 市民の皆さん。

 わたしは今日、謙虚な思いで任務を前にし、皆さんが寄せてくれた信頼に感謝し、祖先たちが払った犠牲に心を留めながら、ここに立っている。ブッシュ大統領のわが国への奉仕、ならびに政権移行の間、示してくれた寛容さと協力に感謝する。

 これまで、44人の米国人が大統領就任の宣誓を行った。その言葉は繁栄の高まりのとき、平和で静かなときに語られてきた。だが、多くの場合、誓いは立ち込める暗雲や猛威を振るう嵐の中で行われたのだ。こうしたとき、高位の者たちの技量や考え方だけに頼ることなく、われわれ人民が祖先の理想に忠実で建国の文言に従ってきたからこそ米国はこれまでやってこれた。

 われわれはそう歩んできたし、今の世代の米国人も同様でなければならない。

 われわれはいま危機の真っただ中にある。われわれの国は、果てしなく続く暴力と憎しみのネットワークと戦争状態にある。一部の強欲で無責任な人々のせいだけでなく、皆が困難な道を選び次の世代に備えることができなかった結果、経済はひどく脆弱(ぜいじゃく)になってしまった。家を失い、仕事は減り、商売は行き詰まった。医療費は高過ぎ、学校制度は明らかに失敗している。われわれのエネルギーの使い方が、敵を強化し、地球を脅かしているということが日々明らかになるばかりだ。

 これらはデータや統計で示すことができる危機の指標だ。測ることはできないが、同様に深刻なのは、自信喪失が全土に広がっており、米国の衰退は避けられず、次の世代は下を向いて生きなくてはならないという恐怖だ。

 今日、あなた方に言おう。われわれが直面する試練は本物だ。深刻で数多くあり、容易に短期間では解決できない。だが知ってほしい、アメリカよ。試練は克服できる。

 この日、恐怖より希望を、いさかいや不和より目的を共有することを選び、われわれは集まった。

 この日、われわれは、あまりにも長い間、この国の政治を窒息させてきた卑小な恨み言や偽りの約束、非難の応酬や使い古されたドグマ(教義)に終わりを告げる。

 われわれの国家はまだ若いが、聖書の言葉にあるように、子供じみたまねをやめるときが来た。不朽の精神を確認し、よりよい歴史を選択し、世代から世代へ受け継がれてきた大切な贈り物、崇高な理念を前進させるときが来たのだ。それは、すべての人民が平等で自由であり、最大限の幸福を追求する機会を与えられるという、神からの約束だ。

 われわれの国家の偉大さを確認するに際し、われわれは偉大さが決して与えられたものではなく、つかみ取らなくてはならないことを理解している。われわれの旅に近道はなく、途中で投げ出すことは決してなかった。その旅路は、労働より余暇を好み、富や名声による喜びのみを欲するような臆病(おくびょう)者たちのためのものではなかった。むしろ、長く険しい道を、繁栄と自由に向けわれわれを導いてきたのは、リスクを恐れない者、自ら実行する者、物づくりをする者であった。一部は名をなした人々だが、より多くは勤勉で名もない人たちだった。

 われわれのために、彼らはわずかな所持品を荷物にまとめ、新たな暮らしを求めて海を渡った。

 われわれのために、彼らは劣悪な環境で懸命に働き、西部に移り住んだ。またむち打ちに耐え、硬い大地を耕した。

 われわれのために、彼らはコンコード(独立戦争の激戦地)やゲティズバーグ(南北戦争の激戦地)、ノルマンディー(第二次世界大戦で連合軍が上陸作戦を行った場所)、そしてケサン(ベトナム戦争の激戦地)のような場所で戦い、死んでいった。

 彼らは幾度となくもがき、犠牲となり、その手が擦りむけるまで働いた。われわれがより良い人生を送れるようにと。彼らの目には、米国は個人の志の集まりよりも大きく、出自や貧富、帰属のあらゆる違いを超えた偉大なものと映った。

 われわれは今日もこの旅を続けている。われわれは依然、地球上で最も繁栄した強い国家であり続けている。われわれの労働者はこの危機が始まったときと同様に生産的だ。われわれは変わらず独創的だ。われわれの商品やサービスは先週や先月、昨年と変わらず必要とされている。われわれの能力は衰えていない。しかしやり方を変えず限られた利益を守り、嫌な決断を先送りする時代は確実に過ぎ去った。今日から始めよう、われわれは元気を取り戻し、ほこりを払い、米国を再生させる仕事に取り掛からなければならないのだ。

 至る所にわれわれがなすべき仕事がある。(現在の)経済には大胆で迅速な行動が必要だ。われわれは新しい雇用を創出するだけでなく、新たな成長の基盤を築くために行動する。われわれは商業を潤してわれわれを結び付ける道路や橋、配電網やデジタル回線をつくる。われわれは科学をあるべき姿に回復させ、技術の驚異的な力を巧みに使って医療の質を向上させ、そのコストを削減する。われわれは太陽や風力、大地の恵みを利用して自動車を動かし、工場を稼働させる。そしてわれわれは新しい時代の要望に応じるため学校や、大学を改革する。われわれはこれらをすべて成し遂げることができるし、成し遂げるだろう。

 今、われわれの志の大きさに疑問を唱える人がいる。われわれのシステムが多くの大きな計画に耐えられないと指摘する人がいる。しかし彼らの記憶力は乏しい。彼らはこの国が成し遂げたものを忘れている。想像力が共通の目的と結び付き、必要性が勇気と交わったとき、自由な人間たちが成し遂げることができるものを忘れている。

 皮肉屋は、彼らの足元で地面が動いたことを理解していない。長い間、われわれを消耗させた陳腐な政治議論はもはや通用しない。今日問われているのは政府が大きいか小さいかではなく、政府が機能するかどうかだ。各家庭が適正な賃金の仕事を見つけ、費用負担ができる医療を手にして、尊厳ある退職後の生活を送る手助けを政府ができるかどうかだ。答えが「イエス」なら、われわれは前に進む。答えが「ノー」なら、その政策は終了する。国民のお金を管理するわれわれには説明責任がある。賢明に支出し、悪い慣習を改め、誰もが見守る中で仕事をしなければならない。そうすることでのみ、人々と政府の間に不可欠な信頼関係を再生することができるからだ。

 問うべきは、市場が良いか悪いかではない。富を生み出し自由を拡大する市場の力は無類のものだ。しかしこの危機により、監視しなければ市場は制御不能になることも分かった。富める者だけを優遇していては、国家の繁栄は長く続かないことが再確認された。われわれの経済が成功したのは、国内総生産(GDP)が大きいだけでなく、繁栄が広範囲に行き渡り、やる気のある者すべてに機会を与えることができたからだ。慈善ではなく、それがわれわれの公益に通じる最も確実な道だからだ。

 防衛に関しては、安全か理想かを選ばねばならないとの考えは誤りであり認めない。建国の父たちは、想像を超える危機に直面しながらも、法の支配と人権を保障する憲章を起草した。何世代にもわたって血が流される中で、この憲章は充実してきた。この理想の光は今も世界を照らしており、ご都合主義で手放すことはできない。大都市からわたしの父が生まれた小さな村まで、今日の日を見ている世界の人々や政府に告げたい。米国は、平和と尊厳を求めるすべての国、男性、女性、子供の友人だ。そして、いま一度先頭に立つ用意がある。

 先の世代は、ミサイルや戦車の力だけではなく、確固たる同盟関係と信念によってファシズムや共産主義と対決したことを思い起こしてほしい。先の世代は、われわれの力だけでは自分たちを守ることはできないし、その力で思うままに振る舞っていいわけではないことをわきまえていた。軍事力は思慮深く用いることでその力を増すことを踏まえ、われわれの安全は大義の正しさや謙虚さ、自制からもたらされることを知っていた。

 われわれは、この遺産を受け継ぐ。この信条にいま一度立ち返ることで、新たな脅威に立ち向かうことができる。この脅威はより大きな努力、国と国の間のより踏み込んだ協力と相互理解を必要とする。われわれは責任ある形でイラクをイラク人に委ね、アフガニスタンでは、平和を揺るぎなきものにしなくてはならない。古き友、かつての敵とともに核の脅威を減ずるための努力を重ね、地球温暖化を食い止める。われわれの生き方を疑わないし、それを守ることにためらいもない。そして、テロや罪のない人々をあやめることで目的を達しようとする者に断言しよう。今こそわれわれの精神はより堅固であり、打ち負かされることはない。勝つのはわれわれだ。

 われわれが多様な文化の寄せ集めであることは、弱さではなく力だ。われわれはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、そして無宗教の人々の国である。この地球の至る所から集まったさまざまな言語や文化がわれわれを形づくっている。われわれは南北戦争や人種差別の苦渋を味わい、暗い歴史を超えてさらに強くなり、団結した。だからこそ、過去の憎しみは乗り越えられると信ぜずにはいられない。人種や民族間の隔たりが解消され世界が小さくなるにつれ、われわれに共通する人間性が現れる。米国は新たな平和の時代への先導役を務めねばならない。

 イスラム世界に対しては、相互の利益と尊重に基づき前進する新たな道を希求する。争いの種をまき、自らの社会の災難を西側社会のせいにする指導者たちよ。あなたたちが破壊するものではなく、築き上げるものによって人々の審判が下るのだ。腐敗と欺き、抑圧によって権力にしがみつく者たちは、歴史の流れに外れていると知れ。ただ拳を下ろすなら、われわれは手を差し伸べよう。

 貧しき国々の人々には、田畑が豊かに実るよう、清潔な水があふれるよう、共に働くと誓おう。飢えた体に滋養を注ぎ、やせ細った心を癒やすために。そして、われわれと同様、豊かさに恵まれた国々には、これ以上の無関心は許されないと訴えたい。結果を顧みずに世界の資源を浪費することは許されない。世界は変わった。われわれも共に変わらなければならない。

 われわれの前に延びる道を考えるとき、今このとき、はるか遠くの砂漠や山々をパトロールする勇敢な米国人を感謝の意を込めて思い起こす。時を超えてささやくアーリントンに眠る英雄たちのように、彼らはわれわれに語りかける。われわれは、彼らが自由の守り神というだけでなく、奉仕の精神を体現しているからこそ、自分自身よりも崇高な何かに積極的に意義を見いだそうとしているからこそ、敬意を表すのだ。新たな時代が形づくられようとしている今こそ、われわれはこの精神を心に宿さなくてはならない。

 政府の能力や義務はつまるところ、この国がよりどころとする米国民の信念と決意なのだ。堤防が決壊したときに見知らぬ人を受け入れる親切心、暗黒のときに友人が仕事を失うのを黙って見ているくらいなら自らの労働時間を削る労働者の無私の精神。煙に包まれた階段を突進する消防士の勇気、そして子どもを育てる親の意志。これらこそが、最後にわれわれの運命を決定付けるのだ。

 われわれの試練は新しいものかもしれない。それに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。われわれの成功は、勤勉、誠実、勇気、フェアプレー、寛容、好奇心、忠誠心、そして愛国心といった価値観にかかっている。これらは古くからあるものだが、真理である。これらの価値観は歴史を通じて、進歩をもたらす静かな力であり続けてきた。必要なのは、こうした真理に立ち返ることだ。今われわれに求められているのは、新たな責任の時代だ。すなわち、米国民一人一人が、自分自身やわれわれの国家、世界に対して責務を負っていることを認識することだ。自分のすべてを困難な課題に注ぎ込むことほど充足感が得られ、われわれを特徴づけるものはないとの信念を持ち、いやいや受け入れるのでなく、むしろ喜んで受け入れる責務なのである。

 これが、市民であることの代償と約束だ。これが、われわれの自信の源なのだ。不確かな運命を自ら切り開くよう、神はわれわれに求めている。

 これが、われわれの自由と信念の意味だ。だから、あらゆる人種と信条の男女と子供たちが、この壮大なナショナルモールに祝福のために集まることができるのだ。だから、60年足らず前には食堂で給仕もしてもらえなかったであろう父を持つ一人の男が、最も神聖な宣誓をするため皆さんの前に立つことができるのだ。

 この日を記憶に刻もう。われわれが何者であり、どれほど遠く旅してきたのかを。米国が建国された年、厳寒の時期に、少数の愛国者の一団がいてつく川岸で、消えそうなたき火の傍らに寄り合った。首都は見捨てられ、敵は前進し、雪は血に染まった。独立革命の実現が不確かなときに、建国の父はこの言葉を読むよう命じた。

 「希望と美徳しか生き残れない酷寒の中で、共通の危機にさらされた都市と地方が共に立ち向かったと、未来の世界で語られるようにしよう」

 アメリカよ。共通の危機に直面した苦難の冬に、この不朽の言葉を記憶にとどめよう。希望と美徳を胸に抱き、いてつく流れに立ちはだかり、どんな嵐にも耐えてみせよう。子孫たちにこう言い伝えさせよう。試練にさらされたとき、われわれは旅を終えることを拒んだのだと。われわれは振り返ることも、たじろぐこともなかったのだと。そして地平線を見据え、神の慈悲を感じながら、自由という偉大な贈り物を抱き、未来の世代に無事に届けたのだと。

 

 

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何ごともよく考えて!!

2009-01-29 | 市民のくらしのなかで

 

     2次補正 不合理・不公平「子育て手当」

 

3-5歳の第2子以降1回限り

 

                              少子化対策 効果も疑問


 二十七日成立した二〇〇八年度第二次補正予算には、「子育て応援特別手当」が盛り込まれています。

 「生活対策」の一環で、「多子世帯の幼児教育期の子育て負担」の軽減を目的としたもの。六百五十一億円(うち事務費三十五億円)が計上されました。

 〇八年三月末時点で三―五歳であり、かつ第二子以降の児童(約百七十万人)が、手当の支給対象です。一人当たり三万六千円を、一回に限って給付します。

 経済状況がきわめて厳しいなか、子育て世帯への経済的支援が緊急に求められているのは当然です。ただ、子育て負担を軽減するためというなら、なぜ「第二子以降」に限るのでしょうか。

 たとえば、四歳、二歳、ゼロ歳の三人の子がいる場合でも、「三―五歳」に該当する四歳の子は第一子であるため、支給対象とはなりません。六歳と、二歳の双子の三人を育てているような場合も対象外です。

 同じ年ごろの子どもを育て、同じように経済的負担感が強くても、支給される家庭と、されない家庭がある―このような不合理、不公平が「生活対策」と言えるのでしょうか。

 また、手当の支給は一回限りで、これで「第二子以降を産もう」という動機付けになるとは思えません。「少子化対策」の効果も疑問です。

 必要な人に届かず、政策効果も定かではない―迷走する定額給付金と同じ構図です。(坂)



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