非核の日本、非核の世界
神戸方式35周年のつどい 不破哲三氏の講演
日本共産党の不破哲三・社会科学研究所所長が、20日に神戸市での「非核『神戸方式』決議35周年記念のつどい」でおこなった記念講演を詳報しま す。
1、核密約問題が「非核の日本」への焦点となっている
政府の密約調査の結果は…
(写真)講演する不破哲三・日本共産党社会科学研究所所長=20日、神戸市 |
不破氏は、冒頭、「米軍部が日本を拠点にアジアでの核戦争を最初に企てたのは、朝鮮戦争のさなかだった。それから約60年、国民が待望してきた 『非核の日本』を現実のものにする展望が、私たちのたたかいいかんで手にできる時代がやってきた。そのためには、日本をアメリカの核戦争の計画にしばりつ け、アジア最前線の基地にしてきた『核密約』の鎖を断ち切ることがどうしても必要だ。そこに『非核の日本』に道を開く最大の関門がある」と語りました。
では、鳩山内閣の「密約」調査の結果はどうだったのか。不破氏は、「私たちも政府に資料を提供してきたが、発表された調査結果を読んで、たいへん 失望した」と述べ、「政府の調査結果の核心」として、次の3点を指摘しました。
第一は、私たちが10年前に国会で政府に示した「核密約」の諸文書が、まぎれもない日米両国政府が取り交わした文書であることが、確認されたこ と。
第二は、岡田克也外相自身が、安保条約改定から今日までのあいだに、この文書にもとづいて核兵器を積んだアメリカの軍艦が日本に寄港していた可能 性は否定できないと、政府として、「核持ち込み」の事実を認めたこと。
第三。これがいちばん肝心だが、そこまで認めながら、報告書は、あの文書は「密約」ではないと言い張り、政府も、だから、廃棄する必要もないし、 アメリカ政府とあらためて交渉するつもりもない、つまり現状のまま黙ってほうっておく、という態度を明らかにしたことです。
不破氏は、「鳩山由紀夫首相も岡田外相も『非核三原則』を口にはするが、核問題での日米関係を変えるつもりはない、日本が核戦争計画にしばりつけ られている現実には指一本ふれない、これではこれまでの自民党政治となにも変わりはないではないか」と指摘しました。
2、日米安保条約と核密約
朝鮮でベトナムで台湾海峡で。日本を拠点に核攻撃を準備
不破氏は、核密約の本当の意味をつかむには、日米安保条約の歴史を見る必要がある、として、まず最初の安保条約(51年)下の日本の状態をふりか えりました。
53年に成立したアメリカのアイゼンハワー政権のもとで、同年には朝鮮で、54年にはフランスとベトナムの戦争で、58年には台湾海峡で、アメリ カの政府と軍部は何回も核兵器の使用をくわだて、そのたびに、日本を拠点にした第7艦隊の空母が、問題の海域に出動してゆきました。これらは、すべてアメ リカの公式資料に記録されている事実です。
たとえば、54年のベトナム戦争の最終段階、ディエンビエンフーに集結したフランス軍が包囲されて全滅の危機にさらされた時、米政府が2度にわ たってベトナム軍への核攻撃を提案しました。フランス政府もそれを受け入れたのですが、結局は世界の世論を恐れて不発に終わりました。ディエンビエンフー の敗北後、野党の党首マンデス・フランス(次のフランス首相です)は、「核攻撃の日取りまで決まり、原爆を積んだアメリカの艦船はすでに航行中だったでは ないか」と米仏両国政府の危険な計画を糾弾しましたが、原爆を積んだ艦船とは、第7艦隊に属する2隻の空母でした。当時、第7艦隊は横須賀を拠点の一つと していました。
不破氏は、「当時は、日本への核兵器の持ち込みも、日本の基地からの出撃も勝手放題というのが、安保条約下の実態だった」と語ります。
しかし、こんな状態では、日本が独立国だといっても、世界では通りません。同じ安保でも、もっと独立国の体裁をととのえよう、ということで、日米 両政府が一致して、58年に始まったのが、安保条約改定の日米交渉でした。
「事前協議」と核密約の抱き合わせに安保交渉の焦点があった
このとき、日本が「独立の証し」だといって主張したのが、日本の基地の使用について「事前協議」の制度を設けることでした。“基地は貸していて も、戦争に使ったり、核兵器をもちこむような時には、事前に日本政府と相談する。これなら名実ともに独立国だといえる”。こういう仕組みです。
この時のアメリカ政府は、まだアイゼンハワー大統領の時代です。「事前協議」の制度をつくるのはいいが、日本政府といちいち相談しないと基地を使 えないようでは、日本に基地をおいておく意味がなくなる、「事前協議」の仕組みはあっても、実際の基地の使い方はこれまでどおり自由にやれるような道を見 つけだそう、こういう考えで交渉をはじめました。実は、安保改定交渉のいちばんの核心の一つは、この問題の解決にあった、といってもよいでしょう。
交渉は58年10月から始まりましたが、記録によると、アメリカの交渉担当者のマッカーサー大使は、「事前協議」といっても、軍艦や飛行機の日本 への出入りは従前通り協議なしでゆきますよ、という話を、交渉の最初の段階から持ち出しています。
不破氏は、「この交渉で合意したことを文書にしたのが『討論記録』という合意文書です。『討論記録』という名前にしたのは、日本側の注文で、それ が万一明るみに出たときにも言い逃れをできるように、ということだった。合意ができたのは、59年6月で、マッカーサー大使は、そのとき、『今日、完全な 合意ができた』という報告の電報を本国政府に打ち、新しい安保条約や事前協議の取り決めとともに、『討論記録』も、合意した文書のリストにあげている」と 語りました。
その後、いろいろな追加的な交渉があり、新条約調印の月である60年1月6日に、日本政府を代表する藤山愛一郎外相とアメリカ政府を代表するマッ カーサー大使とのあいだで、「討論記録」など三つの秘密文書を互いに頭文字署名をして、それを公式に取り交わしていたのでした。
核密約(討論記録)を読む二つのポイント
ここで、不破氏は、「核密約」の二つのポイントを丁寧に解説しました。
ポイントの一つは、核密約「討論記録」が、政府が結んだ条約だということです。1月6日、この文書を取り交わした日に、マッカーサー大使が本国政 府に打った電報は、「藤山氏と私は、本日、以下のそれぞれについて、二つの英文の原本に頭文字署名をし、取り交わした」として、署名した文書の最初に「討 論記録」をあげています。しかも、電報は続く部分で、これをそのコピーも含めて「秘」文書として指定することも約束しあった、としています。こうして文書 で合意を確認しあったものは、名前がどうであっても、まぎれもない条約なのです。だからこそ、マッカーサー大使は、核密約をふくむ一連の文書の全体を「条 約を構成する文書群」として本国に報告しました。
次の重要なポイントはその中身です。不破氏は、「討論記録」の条項(表(1))にそって詳しく解説しました。「討論記録」の冒頭にある「1節」 は、公表する予定の、「事前協議」についての交換公文の内容です。これだけ読むと、日本での米軍基地の使い方は、すべて事前協議にかかるかのような印象を 受けますが、これはあくまで発表用の文章で、それがどう運用されるかの「実施要領」は、秘密条項である「2節」で決められる、という仕組みになっていま す。
「2節」の頭には、「交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された」とあります。実施要領も、たがいに「了解」しあった合意文書 であることは、明白です。ここには、四つの項があって、前半の二つは、交換公文の規定の説明で、A項では核兵器の持ち込み(地上配備)、B項では日本から の戦闘作戦行動が、それぞれ事前協議の対象になることが規定されています。この部分は、ごまかしの名目をつけて日本政府は後で公開しました。
くせ者は、次の二つの項で、そこでは、何が事前協議の対象にならないかが、規定されているのです。C項では、アメリカの飛行機や艦船の日本への出 入りは、「現行の手続き」どおりにする、現行とは、これまでどおりということで、事前協議の対象にせず、アメリカの自由勝手にまかせる、ということです。 D項は、戦闘作戦行動にかかわることで、米軍が日本から移動することは、アメリカの勝手ですよ、ということです。
つまり、表向きは事前協議の条項があっても、実際は、核兵器を積んだアメリカの軍艦の日本寄港もこれまでどおり自由勝手、核を積んだ爆撃機の日本 基地利用も天下御免、「移動」という名目がつけば、日本を拠点に戦争地域に出撃することも自由にできる、こういう表と裏の二重底の仕組みを、日米の合意で つくりあげてしまったのです。
不破氏は強調します。「これは、アメリカにたいして、軍艦や飛行機に積んだものなら、事前協議なしで日本に核兵器を持ち込む権利があることを、日 本が認めたことです。だから、この密約があるかぎり、アメリカの軍艦や飛行機が核兵器を積んで日本に入ってきても、日本政府は文句をつける権利がないので す」
「討論記録」全文
1、(日米安保)条約第6条の実施に関する交換公文案に言及された。その実効的内容は、次の通りである。
「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更ならびに日本国からおこなわれる戦闘作戦行動(前記の条約第5 条の規定に基づいて行われるものを除く)のための基地としての日本国内の施設および区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする」
2、同交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された。
A 「装備における重要な変更」は、核兵器および中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントロダクション)ならびにそれらの兵器のための基地 の建設を意味するものと解釈されるが、たとえば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルを含む非核兵器(ノン・ニュクリア・ウェポンズ)の持ち込みは、 それに当たらない。
B 「条約第5条の規定に基づいて行われるものを除く戦闘作戦行動」は、日本国以外の地域に対して日本国から起こされる戦闘作戦行動を意味するも のと解される。
C 「事前協議」は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エント リー)に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解されない。合衆国軍隊の日本への配置における重要な変更の場合を除く。
D 交換公文のいかなる内容も、合衆国軍隊の部隊とその装備の日本からの移動(トランスファー)に関し、「事前協議」を必要とするとは解釈されな い。
(注)2000年に日本共産党の不破哲三委員長(当時)が米政府解禁文書から入手した「討論記録」の訳。これは、外務省の調査で見つかったものと 「修辞的な部分を除いて同じ」(同省調査報告書)ものです。
|