「世直しご一緒に」の連載の中にもう一つのライフワークとして日朝韓友好運動に邁進してきたことに触れたら、なぜ朝鮮に興味を持つようになったのかとよく聞かれることがある。2015年に以下の文章を書いていたので、続けて連載としてご紹介しようと思う。
NO,1
1955年→2015年日朝協会結成60周年を記念して書いたものです
京都に生まれ、京都で育ち
日・朝・韓友好促進を 一生の生きがいとして
日朝協会代表理事 大橋 満
目次 (以下の内容で書きました)
はじめに 日本と朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国は世界中で、一番よく似た「親戚」の国です。
子どものとき 私のよこに 朝鮮の友人がいました。
第一章 京都は朝鮮と深いつながり
1、向日市寺戸町大牧・桓武天皇皇后陵
2、松尾大社は、秦一族の氏神
3、耳塚、韓国・朝鮮人は、秀吉と明治・大正・昭和天皇が嫌い
第二章 朝鮮通信使が通った京都、その場所を訪ねる
一、 京都伏見城 家康・秀忠伏見城で松雲太師と通信使相談
二、 朝鮮通信使が通った京都ゆかりの地を訪ねる
三、 江戸通信使と雨森芳洲
第三章 韓国「併合」から第二次世界大戦へ
大日本帝国がアジアと大韓帝国を侵略した歴史と、その加害責任、その後遺症、いまだ癒えず
一、明治からの狂った時代は、「絶対主義的天皇制」・・・150年前からの日本
二、1910年8月22日の韓国「併合」
三、「抵抗運動」は地域的・全国的に繰り広げられました。
四、「皇民化政策」と 日本国内の政治は、どうなっていたのでしょうか
五、第2次世界大戦・1945年の終戦の迎え方 について
日本・米占領、「安保体制」と言う名の、従属の始まり 不沈空母?
朝鮮・韓国では、どう言う終戦を迎えたのでしょうか
朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国の分断国家はどのようにして生まれたのでしょうか
済州島4・3事件 5・10選挙 朝鮮戦争とからんで米・李「反共大弾圧」
民族教育擁護の取り組み 在日朝鮮人の命をかけた戦い
六、朝鮮戦争1950年で朝鮮半島は、日本はどう変わったのか
「特需」・また朝鮮を利用して、 自衛隊創設→今軍隊が提案されている?
さらに・朝鮮を悪の枢軸と仕立て上げて、憲法改悪・再軍備に利用する米・日本政府
「休戦協定」の内容・・「平和協定」にしなければならない。
七、日韓基本条約調印49・1965年6月22日 「日韓標準時あわす」
在日朝鮮人の朝鮮籍と韓国籍
第四章 韓国の戦後事件史 国民の戦いで歴史を開く
1、終戦後のアジア・韓国・朝鮮は、アメリカによって冷戦構造の犠牲にされた
2、済州島四・三事件 アメリカの支配と李承晩政権の反共独裁政権との戦い
3、四・一九学生革命 李承晩政権を倒した国民の戦い
4、朴正熙とその時代 軍事独裁政権の下で、ねばり強い抵抗運動
5、光州事件 韓国国民の民主化に決定的な戦い
6、六月民主抗争 住民の団結のよりどころ
7、1987年から2002年ワールドカップへ
8、 2000年6月 南北首脳会談実現
金大中の薄氷の勝利 アジアから世界に
9、盧武鉉の挑戦 民主化運動記念事業会・名誉回復 近代国家へ国民の意識
10、李 明博から 朴クネ大統領へ
第五章 日朝韓友好運動の発展めざす新たな取り組み
1、西陣日朝国民共生モデルめざして
金 鐘現氏(在日朝鮮人総連合会京都中京支部長)に聞く
2、 朝鮮王朝儀軌返還運動と日朝韓友好運動 南北共同
韓国の慧門さんと日朝協会
3、 竜山墓地・墓参、遺骨収集問題と朝鮮・韓国人遺骨返還
日朝協会 佐藤さんと日朝協会
4、 朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化めざして
日本国憲法を守り、アジアと世界の平和を実現するために
5、 訪朝報告、思いつくままに・・・
日朝協会京都府連合会代表理事 木村幸一
あとがき
2014年の日朝協議の正しい発展をねがって その後の変化は・・・