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改憲論議や沖縄への自衛隊配備などに危機感を抱く「沖縄がまた戦争の時のようにならないか不安ばかりだ」と子どもたちの将来を案じた。

2019-06-24 | 琉球新報より

涙雨ぬぐい祈る 世代超え戦没者悼む 

沖縄・慰霊の日

降りしきる雨の中、平和の礎の沖縄戦で亡くなった親族の刻銘に手を合わせる家族=23日午前9時35分、糸満市摩文仁の平和祈念公園

 おびただしい数の住民を巻き込んだ沖縄戦の組織的戦闘が終結して74年。「慰霊の日」の23日、県内各地で慰霊祭が行われ、人々は思い思いの形で戦没者を悼み、島々は鎮魂の祈りに包まれた。雨が降りしきる中、糸満市摩文仁の平和祈念公園内にある「平和の礎」には多くの戦争体験者や家族連れが足を運んだ。刻銘された戦没者の名をなぞったり、手を合わせたりして、戦争のない平和な沖縄を願った。

 時折強い雨が降り足元が悪い中、糸満市摩文仁の「平和の礎」には早朝から多くの遺族や関係者が訪れた。刻銘板に集う親子やきょうだいは一緒の傘に入るなど、雨は平和を願う人々の距離を近づけた。沖縄全戦没者追悼式では平和を願う玉城デニー知事の宣言や児童の詩に賛同する拍手や指笛が沸き起こる一方、新基地建設を進める安倍晋三首相のあいさつには怒号が飛び交った。
 娘と一緒に平和の礎を訪れた眞栄城嘉明さん(80)=浦添市=は父の嘉盛さんの刻銘板の前で泡盛をささげた。那覇署に勤めていた嘉盛さんは機関銃の部隊に配属され、伊江島で亡くなった。遺骨はなく、代わりに石ころを拾った。眞栄城さんは「よく那覇署に弁当を持って行った。剣道の特練員だった」と思い出す。娘の幸子さん(45)は嘉盛さんに会ったことはないが「生きていたらどんな人だったかな」と思いを巡らせた。
 妹を亡くした玉那覇香代子さん(85)=西原町=は「遺骨もないから毎年、平和の礎に来て慰霊している」と手を合わせた。幼稚園児にしまくとぅばを教える活動に取り組み、戦争の悲惨さも伝えているが、改憲論議や沖縄への自衛隊配備などに危機感を抱く。「沖縄がまた戦争の時のようにならないか不安ばかりだ」と子どもたちの将来を案じた。
 追悼式では、玉城デニー知事が平和を願う沖縄の思いを訴えた。集まった県民からは賛辞の拍手や指笛が沸き起こり、涙を浮かべて喜ぶ人もいた。大きな拍手を送った読谷村の男性(77)は「知事がウチナーンチュの肝心を大事にしていこうという意思がよく伝わってきた」とうなずいた。


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