どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

切断 接続 また切断

2006年10月08日 | 日記
10月8日

深夜にネット接続が少しの間安定したので 日記を載せた

原因が判らないままでいるのもシャクなので 今朝になってOCNに電話を入れた

何も条件は変わっていないのに突然の事 

機械自体に異常は無いようだし 何らかの原因で信号を僅かしか掴めないようだ(台風かぁ~?)

ADSLは頭打ちで 光が伸びてきているという

検討したいが ネット検索も出来ない(ムカッ)

まっ 調整してくれるというので少し待ちましょう

ってどうやるのかも知らないけれどねぇ~

と日記をワードで書き始めたら 繋がっているではないか

目下のところ10数分接続されている おぉ~

あはは これでブロードバンドも無いもんだ

本日未明だって 接続されている時はサクサクだったのだから またどうなることか

今日は強風なので 家にてPCと自分の書類のクリーンアップ

起動も遅くなってきたしねぇ~

切断されたら 夜は本でも読みましょう

明日も休み♪
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だからどうした どうしもしない

2006年10月08日 | 日記
先日60歳近くの人と話をしていて 昔の事が話題になった

人生も折り返し地点を過ぎると 何故か昔の話が面白い

給食の話で年代がわかる 

これに関しては 絶対に昔の人の方が話題に事欠かないだろうと自信を持って言える

貧しさ較べは けっこう笑える

電話はまだ各家に無くて 商店だのが設置しているのを借りに行ったり 時には取次いでもらったりしていた

テレビの話になって 勿論見たことはあっても その人が小さい頃には家には無かっただろうと思って

初めてテレビが家に来た日のことは 強烈に覚えているでしょう と言ったら

それが あまり覚えていないという

冗談で 馬鹿な子だったの? と尋ねてしまった

しかし 考えてみれば 私だって覚えてはいない

無かった時代の事はなんとなく覚えているような気もするが 親の話でそう思っているだけかもしれない

いつの間にか 4本足の ゴブラン織りのカバーがうやうやしく掛けられた物が部屋に置かれていた

ただし カラーテレビを初めて見た時の事は鮮烈に覚えている

目が痛い そう思ったものだ

ピアノが来た時の事も 氷で冷やす木製の冷蔵庫が電気になった時の事も 小さかったとはいえ記憶が無い

それよりも父がお土産に持ち帰った蛍だの 大のお気に入りとなった熊のぬいぐるみを買ってもらった時の事

身体の弱かった母が幼稚園の遠足には同伴できず 少し寂しかった事

そんな日の事のほうが ずっとずっと覚えているものだ

電話は今や一人に一つの時代になり 冷蔵庫は冷凍庫が大きな顔をするようになり 

テレビが数台ある家も珍しく無いどころか それが普通かもしれない

チャンネル争いと言う言葉も死語になりつつあるのだろう 

そのテレビもデジタル放送へと移行し始めている

個人商店は姿を消し お菓子屋さんだの 瀬戸物屋さんだの 乾物屋さんだのは 随分と減った

画一化された大型スーパーとコンビニとドラッグストアーがそれに取って代わる

だからどうした どうしもしない

昔話に花を咲かせるようではもう若くは無いということだろうが 昔は良かったとは言わないまでも

まだまだ貧しかった日本を僅かながらでも知っているというのは けっこう幸せだったりもするものだ   
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