どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

無題

2006年10月15日 | 日記
以前日記に書いたことがあるかも知れないが 従兄弟がダウン症である

母の妹の子供である

昔は長生きしないと言われたが 幸いな事に元気である

その彼が生まれてまもなく 叔母が我が家に彼を連れて遊びに来てくれた写真が今もある

不思議な生き物を見つめるような幼い私の顔

まだ現実を知らぬ叔母は幸せそのもので 知ってからは二番目の子供を産むかどうか相当迷ったようだ

母は反対した

その子の人生の重さを考えたからだ

順序が逆だったら 悩むことは何もなかっただろうと思う

結局 年を経て叔母は次男を授かった

その時 ダウン症の彼を我が家で預かり 兄弟のようにして過ごした

明るくてお茶目で悪戯が大好きで自由奔放だった叔母

ちなみに私はその叔母によく似ていると言われるが^^

5歳年上の母からはいつも叱られ 大切な事は母から学んだという叔母

その叔母がここ十数年 鬱の症状がある

無理からぬことと思う

障害のある子供を持った親の心は どんな子供であれ持ったことの無い私であっても 痛いほど判る

今日電話を受けたのは その叔母からだった

一人になった私を心配してくれてのことだが こちらは気ままな自由の身 心配ご無用

母のきょうだいは 親が再婚同士ということもあって多かったが 今では残ったのは3人

今日 祖母のお葬式でしか会ったことのない しかし一番祖母に似ていた人 その人の訃報を聞いた

手先が器用で賢い人(母なんか・・○○はノロマだねぇ~っていつも言われてたらしい)

我が家にも 女の子だからとイロイロ手作りの品を送ってきてくれた人だ

91歳 あっぱれ! 

母は76歳だったから また叱られるね 

一度じっくり会いたかった ノロマな母の情けない子供ではあるけれど

親はいつまでも親 だがいつかは先に逝く

それは決して不幸なことではない

父は 一人になる私を案じてくれた

でも信頼してくれて お前なら大丈夫だなって そう言ってくれた

叔母にも そんな心安らぐ時が来て欲しいと思う

言った事は一度も無いけれど 私は過去においてダウン症の従兄弟に学んだ事がある

授かった次男だって イイ子じゃないの

親の気持ちとしては甘えられないかもしれないけれど でもトシに免じて!

それが子供は嬉しかったりもするのですよ
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10月15日は―惚れた男たちリスト―

2006年10月15日 | 日記
昨夜からの断線が目下継続中

OCNから連絡があり 調整後も断線状態が続いている事を確認したのでモデムの交換をと言われた

まっ 急ぐ旅でもあるまいし 待ちましょう

それより今日は読書デーだ

徘徊も考えにはあったのだが 昨日買ってきた本がすこぶる面白い 

その3冊を アイロンかけそっちのけで寝転びながら代わる代わる読んでいる

悪い癖ながらジャンルの違う本を買ってくると しばしばこうなる

あれもこれも一気に読みたい 

それでいて繰るページが残り少なくなってくると寂しくなったりもして 終わらないでくれなんて思ったりもする

その中の一冊は 今年になって惚れた男たちの一人に加えた久世光彦のものだ

私の場合惚れた男たちというのは 自分が男だったらこういう男でありたいと思うような男のことである

だから 単に好きだとかファンだとかいうのとはまるで違う

そういう惚れた男リストに名前を増やしていくのも愉しい

ちなみに惚れた女リストというのもあるけれど こちらは同性の目で見るせいか さほど多くない

こういう女でありたいと思っても 怠け者の私は まっ いっか で流してしまうから 精神衛生上増やさない事にしている

***************

斉藤美奈子の「文壇アイドル論」を読んでいて 最終章の田中康夫のところで眠ってしまった

電話のベルで目覚めたあと 再び本を読み始めた

80年代から90年代を代表するベストセラー作家の作家論・・というより 本人の言葉を借りれば作家論論である

売れるのには売れるだけのワケがある 

それを考察したわけで トンチンカンの批評文も遠慮なく斬っているところが面白い

作家は8人 村上春樹・俵万智・よしもとばなな・林真理子・上野千鶴子・立花隆・村上龍 そして田中康夫

私が惚れて読んだ人は誰もいなかった いやそれどころか一冊も読んだ事のない作家が多い

わずかに立花隆を少しと 春樹は「心臓を貫かれて」の訳者としてと海外小説のアンソロジー 

上野千鶴子は何かの折に目に触れたものを といった程度だ

こうしてみると自分の読書がいかに偏見に満ち(そう 偏見で選んでいないのだ) また偏っているかがよくわかる

偏食がちの子供は全てにおいてそうだ という母の言葉が今更ながら思い出される

※ 日記は半ばだがいつまた切断の憂き目に遭うかわからないので とにかくUPする

  コンバットかなんかで 戦場にいる通信兵が懸命に本部隊に送信しようとしている姿が浮かんできたりする

  スリル満点!


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10月14日は―勝手にしやがれ―

2006年10月15日 | 日記
また切れた 股切れたわけではない もしそうなら病院に駆け込んでる

勿論OCNに電話をした 今度はこちらも些か高飛車である 結果を連絡してくれるという

モデムはレンタルだ これが悪いということもあるのではと尋ねたら そういう事もありうると だとさ

あのね こっちはモデムのレンタル料払ってるの 繋がらなかった時間は返金してもらいますからね

…とは言わなかったが気分はそうだ

そのことは放っておいて どうしても読みたい本があったのでそれを買いに出かけたが 生憎何処にも無かった

無いだろうな マイナーだもん 

取り寄せることは出来るのだが 何故か昔からそれは待てない

時間がかかっても あちこち探しても 書店で手にしたいほうである

ちっ である

でも代わりにご機嫌なCDを買ってきた 多分ね というのも小さな記事を読んで ネットで3曲視聴しただけだから

当たりだと睨んだ こういうのは滅多に外れない

今PCに入れながら流しているが ふむ 当たりみたいだ

まだ日本ではマイナーかもしれないが なかなか良い おっ どうやら私はマイナー好みみたいだ

ただ 開けてびっくり 歌詞カードが無かった

なんじゃぁ~こりゃぁ~って気分 最近の人は歌詞なんてどうでも良いのか~ だったら洋盤でも良かったのに!だ

さて 件の買いそびれた本の内容は知っている

時代も境遇も違いはあるが 恐らく共感できるものがあると察した

日常で心が強く動かされる機会は そう多くは無い

毎日そうでありたいと思うが 日々平坦に過ぎていく事も多い

だからこそ こういう出会いや時間は大切にしたいと思うのだが それについては次回に

何せ またまた 切断してます~

勝手にしやがれ だ!

※ 15日夕刻 ひょいと繋がったのでUPする


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