どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

痛みを怖れるなかれ!

2008年01月05日 | 日記
今日になって腰の痛みは 驚くほど改善された

痛みのある時の動きは クラブでかしずいてくれる人のように膝をつき それはそれはエレガントなものだったが

喉もと過ぎればなんとやら・・・にならないように気をつけている

痛みというものは それほどに記憶に沁みこまれるものなのだ


生活が成り立たないほどの苦痛は 取り除かれるべきである

睡眠障害や節食障害にでもなったら もはや生命の維持は危険に曝される

QOLの視点からみても ペインクリニックの発達は正しい


しかし 痛みとは感じないと困るものでもある

痛みは 此処が悪くなってるよ 大事にしてやってなぁ~ という身体のSOSなのだ

もしこれを感じなかったら 私は腰を酷使しボロボロにしても ヘラヘラと笑ってビールを飲んでいただろう

程よい痛みは必要悪でもあるのだ

だからこそ 覚悟を決めてこの痛みと仲良く付き合うことに専念した

そして 痛みについて熟考したのであ~る!

もはや エキスパートなのであ~る!(なんちゃっていいのかなぁ~^^)


痛みというものは 取り出して見比べることが出来ない(医学的には数値化は可能かもしれないが)

ぎっくり腰の経験者は案外多くて この痛みには同情してもらったが 私のそれと相手のそれはおそらく違うだろう

程度の差もあるし 感じ方も人それぞれだ

傍から見れば大したことの無いと思われる痛みも 本人にとってすれば耐え難い苦痛かもしれない

私のほうが痛かった いや私はもっと痛かった といった痛さ自慢は意味が無い

痛みもまた個性に満ち満ちた立派な私有財産の一部なのだ


語学に堪能していない人間が外国で病気になった時に困るのは 痛みの描写だという

しくしく痛む ずきずき痛む 鈍く痛む チクチク痛む 締め付けられるように痛む

他にも ペンチで捻られるようとか 縄で締め付けられるようとか 怪しい世界の話ではなく エトセトラ etc. 

痛みは 言葉で表現するのも難しい


痛みは共有することもできない

ちょっとだけ貴方の痛さ 貸してみて というわけにはいかないのだ

ただ自分の経験とあらゆる知識を総動員させて 想像して共感するのみである


そして これって心の痛みにも同じことが言えるんじゃないかな なんて寝ながら考えた

痛みを怖れる無かれだ

痛みが人を豊かにする


そういえば 庭や家も時々痛みを訴えてSOSの信号を出してるようだけど

幸か不幸か 彼らの言葉が外国語なもので なかなか共感の域に達せないでいる

済まん!
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キツネとヘビの小話

2008年01月05日 | 日記
ある法廷小説を読んだ

主人公は弁護士である

同僚の弁護士や司法官の悪口を言うのが趣味の嫌味な奴と 知的で誠実な女性検察官と 主人公の三人が出会う場面


嫌味な奴は早速検察官相手にジョークを言う

すかさず彼女も返す 私もかわいいのを知ってる 動物の小話


突然の雨に キツネとヘビがそれぞれ別の穴から一本の地下道へと非難した

共に進んだ両者は 穴の途中で鉢合わせ

道は狭く どちらも譲りたくはない

そこで お互いが誰か触って当てっこをしよう 負けたものが道を譲る そう決めた

まずヘビがキツネを触った

なんて長いとがった耳 それに鼻 柔らかい毛 大きな尻尾 判った! 君はキツネだね

そこで今度はキツネの番

なんて小さな頭だ 耳も無い つるつるしていて長い なに?金玉が無いぞ

まさか君 弁護士じゃないだろうな(以上 要約)


時として彼女は男の中の男だ 僕はそう考えた というのがこの節の締めくくりの言葉だ


いいねぇ~ こんなの

この処女作は本国ではかなりの数の賞を取ったらしい

12人の怒れる男ふうと思えなくもないけれど でもこのジョークでこの作品も作家もすっかり気に入ってしまった

最も適切な場面で 最も適切な相手に こんなジョークを言ってみたいと思ったりもする
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