どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

まずまずのお正月

2008年01月06日 | 日記
寝正月だった

望まずしてそうなった

望んでそうなるのと 望まずしてそうなるのとでは 状態は同じでも心境はまるで違う

想定可能範疇を超えた現実を受け入れるのには どんなことであれ時間がかかるものだ

そして受け入れた頃には もう望んでか望まずしてかはどうでも良いことになっている


我が家は非常に駅に近い

外出で行き交う人の姿は 二階の窓からよく見える

朝は 初詣か買い物か はたまた映画でも見に行くのか

夕方は 大きな買い物袋を提げた人達が 三々五々

私はといえば 29日に買出しに東奔西走して以来 一円も使ってはいない

日本の経済活動に これっぽっちも参加できなかった

一人取り残された というほどでは無いにしろ 無為に時間を過ごしているような情け無い気持ち

上々の天気が拍車をかける


こうして 休暇最後の日となった

最悪のお正月だったかと 我が身に問いかける

正直言って 最悪じゃないが酷かった

だが今にして思うと 辛くも悲しくも無い案外と愉しいお正月だったも思える

一人で大変だろうとの心配もしてもらって 確かにそれも少しはあったが(湿布の手!)

だからこそ 誰も気にせず気を遣うこともなく ゆっくり養生できたとも言える


・・・・思い出す こんな時の母 食事は?傷みはどう?良くなってるの?シップは?医者に行く?洗濯物は?熱はあるの?

嬉しかったけどね でも黙って寝かせておいて とも思ったし・・・

良くなっているかどうかなんて 判らないよ~とも・・・・


想定可能範疇を超えた出来事は ここ数年いやというほど味わってきた

それがどうだろう

全てが掛け替えの無い至宝となっている

あこや貝に入れた小さな核が 時を経て真珠に変わるかのようにだ

だが 時が全てを美しい思い出に変えたわけではない

それほどロマンティックな人間ではない

元々の美しさに気がついていなかっただけなのだ


想定可能範疇外のことは これからもっともっと訪れる

その為のエクササイズだったのだろう

今朝 起き上がってから大きな伸びをした

何のためらいもなくしたそれは とても気持ちが良かった


結論は *私のお正月はまずまずだった!

今日も朝日が燦々と部屋を照らしている


*「自分の人生はまずまずだった」という父の最期の言葉のパクリであるが 私も自分の最期に使いたいと願っている
コメント
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