どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

穴を掘っても入りたい心境

2008年01月27日 | 日記
小津安二郎の世界みたいだ 

私の日記を称して こんな足跡を下さった方がいらっしゃる

そうか そんなにホームドラマみたいかな

(ちなみに この足跡は全く不快ではないが 勿論誉め言葉とも受け取ってはいない)


此処にはそれこそホームドラマそのままのような方 若くしてご両親を亡くされた方 

過去において親と確執のあった人や 遠く離れた親を想う人 

老友の病に奔走する人もいれば 元気な義母に天晴れの拍手を送る人

ただただ親が大好きで 思い出を語りながらも親不幸を詫びる人

様々な人が 様々な親子関係や人の老いと向かい合っている

(まっ 皆さん そこそこの年齢ってことだけど^^)

実際 家族ほどオリジナリティーに溢れる社会的最小単位は無いし それこそが家族の特異な点だと私は考えている


会社のキス男は5人きょうだいだ

母上は二年ほど前から軽い痴呆症で 施設に入所している

子供が5人いても 誰も一緒に暮らすことはない

それを責める気も そんな資格も毛頭私には無い

それぞれオリジナリティー溢れる家族の事情があるからだ

自分の家族と人生を守らなければならないし 自分の人生の愉しみもある


その葛藤は私にもあった

もし このまま寝たきりのままが長く続いたら 私はどんな決断を強いられるのか

責任と義務と愛情と自由の荒海に向かった時 どれほど自分は勇気のある人間でいられるだろうか

今もその自信は無い

だから 親が無意識にそれを察知したのではないかという想いが拭いきれないでいる


自分の家族を作らなかった私にとっては 生まれた時に既に用意されていたものだけが家族である

決して昔のアメリカのホームドラマのように 明るく愉しいことだけじゃなかった

此処でそれを書こうとは思わないが そういう時代を経て尚 私がこうして親を愛する日記が書けるということ

その事が私にとっては何より感謝の今なのだ


偶然の事情が愛を保っただけだとしか思っていない

愛の強さは知っている それと同時に事情次第では愛なんて簡単に吹き飛んでしまう事さえあるのも

それは 一昨日の朝に見た薄氷のようなもの


足跡はどれも素敵で大変嬉しいのだが いささか 穴を掘っても入りたい心境でもある

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偶然の縁

2008年01月27日 | 日記
他人(ひと)に入れて貰ったお茶が美味しいのは何故なのだろう

母もそう言った

嫁いだ姉も我が家に帰省した時に そう言った

今日 ふとそんな事を思い出した


あれから3年経った

いつかは来るだろうと覚悟し でも もっともっと先の話と思っていた母の死


脚を切断して失った人は 存在しないその脚の痛みやかゆみを訴えることがあるという

脳の記憶とは恐ろしいものだ


私も母を失ってから 存在しない母の声を聞き 姿を見ることがあった

時間とは過去から未来へと一直線に そう ラッシュアワーの車の列が流れていくようなもの とは思わない


過去も現在も未来も 私の死と共に終わる

誰かの中で生き続けることが仮にあっても それはもはや私の世界ではない

世界は広い

だが それ以上に脳は広い


母と約束した金平牛蒡や他の料理を並べて 女同士の会話

私は 生まれ変わっても貴方の子供になりたい なんていう臭い科白は言わないからね

貴方だって もっと良い娘(こ)を望むでしょ

でも偶然にして母と娘になったこの縁は まずまずじゃなかったかと思っているよ

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