昨日の雨は朝まで残った
気温も天気も まあまあといったところ
鼻水もだいぶおさまってきた
先日の徘徊の続き
目白通りを渡り 山手線と並行するように南下する
目指すのは「目白ヶ丘教会」と「目白クラブ」
その途中でまた発見
なぜか道路の真ん中に一本の木

そして・・・「旧近衛邸のケヤキ」

マンションの名前につけられた「近衛町」が何を意味するのかは これでわかった
近衛といえば私が知るのは近衛文麿
荻窪(おぎくぼ)にある「荻外荘(てきがいそう)」が彼の自宅であり GHQの取り調べに出頭する期限の前夜 そこで自決したときいている
なんと棟札(むなふだ)には伊東忠太の名前のある屋敷である
では ここは?
家に帰ってから知った事だが 当然のごとくこの一帯はかつて近衛家の敷地であり 本邸があったものの 別荘としての荻外荘を作ってからはここには住まなかったようだ
近くには 文麿の父親であった近衛篤麿の記念碑や住居跡の石碑があり またかつては将軍様の狩場だったという相馬邸の跡地「おとめ山公園」もあるというから こうした土地なのだとあらためてわかる
マンションの入り口にある大木も きっとその時代からのものなのだろう
これらの木が戦前戦後 ずっと見つめてきた景色を想像して 一瞬 時の流れの中に迷い込んだような錯覚に陥る
この道をまっつぐに進むと ライトのもとで修業をした遠藤新の最晩年の作品(1950年)である 目白ヶ丘教会が見えてくる

入口の水平線や石積みなどにライトの片鱗が見られる

彼の評価は あまりにライトの精神に忠実なせいで低く見られることもあるが 教育の観点から学校建築を重要と主張していたという
この教会の鐘塔はインパクトがあり 竣工当時は遠くからでも目立ったのではないだろうか

目白クラブは明日にする
気温も天気も まあまあといったところ
鼻水もだいぶおさまってきた
先日の徘徊の続き
目白通りを渡り 山手線と並行するように南下する
目指すのは「目白ヶ丘教会」と「目白クラブ」
その途中でまた発見
なぜか道路の真ん中に一本の木

そして・・・「旧近衛邸のケヤキ」

マンションの名前につけられた「近衛町」が何を意味するのかは これでわかった
近衛といえば私が知るのは近衛文麿
荻窪(おぎくぼ)にある「荻外荘(てきがいそう)」が彼の自宅であり GHQの取り調べに出頭する期限の前夜 そこで自決したときいている
なんと棟札(むなふだ)には伊東忠太の名前のある屋敷である
では ここは?
家に帰ってから知った事だが 当然のごとくこの一帯はかつて近衛家の敷地であり 本邸があったものの 別荘としての荻外荘を作ってからはここには住まなかったようだ
近くには 文麿の父親であった近衛篤麿の記念碑や住居跡の石碑があり またかつては将軍様の狩場だったという相馬邸の跡地「おとめ山公園」もあるというから こうした土地なのだとあらためてわかる
マンションの入り口にある大木も きっとその時代からのものなのだろう
これらの木が戦前戦後 ずっと見つめてきた景色を想像して 一瞬 時の流れの中に迷い込んだような錯覚に陥る
この道をまっつぐに進むと ライトのもとで修業をした遠藤新の最晩年の作品(1950年)である 目白ヶ丘教会が見えてくる

入口の水平線や石積みなどにライトの片鱗が見られる

彼の評価は あまりにライトの精神に忠実なせいで低く見られることもあるが 教育の観点から学校建築を重要と主張していたという
この教会の鐘塔はインパクトがあり 竣工当時は遠くからでも目立ったのではないだろうか

目白クラブは明日にする