教会の前の道の突き当りが「目白クラブ」である


昭和3年というから 母と同い年になる
もとは宮内省によって学習院の学生寮として建てられたものだが 今は日立の所有(昭和28年より)になっている
スパニッシュ風の赤い瓦屋根に白い壁 高い煙突に縦長のアーチのある窓 正面に見える段々の意匠は 当時の学生にとっても学び舎として申し分の無いものだったのではないかと思う

ここも近衛邸の敷地だったというから いったいどれだけの土地を所有していたのか
ここには7棟あるらしいのだが 周囲を見たところ なにやら工事中のようだった
正面玄関にある建物はまずまずだったが 裏にある建物はかなり傷んでいる

今は使われていないのか この写真よりももっと荒れた棟もあったのだが 載せるのはあまりに悲しいのでそれはやめておく
耐震補強なのか 改装なのか あるいは撤去なのか 工事人が入っていた
もしも建築物としての寿命を終えているのであれば いっそ撤去して欲しいと私は思う
私の好きなスタイルであるだけに 捨て置かれたままの姿はあまりに寂しく切ない

目白駅まで戻る途中の急な坂道
その先に見えるのは山手線


昭和3年というから 母と同い年になる
もとは宮内省によって学習院の学生寮として建てられたものだが 今は日立の所有(昭和28年より)になっている
スパニッシュ風の赤い瓦屋根に白い壁 高い煙突に縦長のアーチのある窓 正面に見える段々の意匠は 当時の学生にとっても学び舎として申し分の無いものだったのではないかと思う


ここも近衛邸の敷地だったというから いったいどれだけの土地を所有していたのか
ここには7棟あるらしいのだが 周囲を見たところ なにやら工事中のようだった
正面玄関にある建物はまずまずだったが 裏にある建物はかなり傷んでいる

今は使われていないのか この写真よりももっと荒れた棟もあったのだが 載せるのはあまりに悲しいのでそれはやめておく
耐震補強なのか 改装なのか あるいは撤去なのか 工事人が入っていた
もしも建築物としての寿命を終えているのであれば いっそ撤去して欲しいと私は思う
私の好きなスタイルであるだけに 捨て置かれたままの姿はあまりに寂しく切ない

目白駅まで戻る途中の急な坂道
その先に見えるのは山手線