どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

徘徊報告ー旧小笠原伯爵邸(番外編)

2018年03月25日 | 日記
定礎は1926年 竣工は1927年 設計は「曾禰中條建築事務所」による

曾禰達蔵はコンドルの最初の4人の生徒のうちの一人であり ひとまわり以上年下である中條精一郎は曾禰の後輩にあたる(関係無いけれど 宮本百合子は中條氏の娘である)

恩師コンドルのおかげで 今は存在しない東京丸の内の三菱ビル群の設計に参加したあと 中條と設計事務所を開設したのが1908年

施主である小笠原長幹(ながよし)は小倉藩の最後の藩主の長男であり 竣工当時の敷地は2万坪あまりだったという

ある意味 冨は分配されているともいえるか


あまり私邸を手掛けていないこの事務所に どういった経緯で設計を依頼することになったのか 

曾禰氏は唐津藩士の子として生まれ 唐津藩も小笠原家が最後の藩主であるから もしかしたらそんなことが関係しているのだろうか

そして これだけの意匠の提案は誰によるものが大きかったのだろうか

施主の海外経験や 彫塑家である朝倉文夫に師事していたという芸術に対する深い造詣があってのことだったのだろうか

幾度となく打ち合わせをしたであろうし その記録も残っているはずである


小川三知(おがわさんち)は日本画を学んだあと アメリカに留学し そこでステンドグラスにも興味を持ったようだ

昨年見た私の好きな石の教会 安藤記念教会にも彼の作品があった

死後しばらくしてからステンドグラスの価値が認められてきたという



この部屋には同じ窓が3つあり 全てに同じようなステンドグラスがあったそうだが 残ったのはこの1枚


最後にトイレの入り口のサイン


当時のものかどうかはわからないが ネックレスとイヤリングだとわかる

もっとも今では 男性だって身につけるけどね

男性用ドアのサインは撮るのを忘れた

もしかしたらシルクハットでもかぶっていたかも

今回の徘徊で一番最初に撮った母の好きな水仙の花を おまけに載せておく
  
コメント (2)
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