みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

60年安保闘争から50年~東大シンポが毎日新聞に載りました/コンカドール、黄花くちなしも咲きました。

2010-07-06 21:06:58 | 市民運動/市民自治/政治
雨があがってふと庭のほうに目をやると、
白い大きな花が咲いています。

「あっ、カサブランカが咲いてる」と近づいてみると、
大輪のオリエンタルハイブリッドの「コンカドール」です。
   
別名「イエローカサブランカ」。 
オリエンタル百合と中国原産のトランペットリリーの 交配種だそうです。
  
直径25センチほどの超大輪花です。
カサブランカより、花に厚みと重量感があります。
   
夕方、母の病院から帰ってきたら、4輪に増えていました。

周りのカサブランカ(白い家)もつぼみが膨らんできました。
今年は、全体に背も高く伸びて株の勢いがよく、30輪以上あります。
   
花が咲きあがってくると、頭が重くて倒れるのが心配なので、
夕暮れの蚊に付きまとわれながら、コンカドールとカサブランカの支柱を立ててやりました。

くちなしのなかではいちばん大輪の黄花くちなしも一輪咲きました。
花はわたしの手くらいの大きさで、背丈もわたしくらい。
 
八重(バラ咲)の大輪で、花色は咲きはじめは純白、咲き終わりは濃黄色。
他のくちなしも白から黄に変色していくのですが、
「黄花くちなし」みたいにきれいな黄色にはなりません。
コンカドールとくちなしの香りで、庭じゅうが香水をふりまいたようです。

こちらは、「コメリ」で買って来た建材用のメッシュの鉄筋。
1メートル×2メートルで、一枚380円なり。
     

これを、二枚ずらして立てて据え付けてもらって、
あっという間に、頑丈な棚になりました。
  
さっそく、蔓が伸びてきたアサガオがまきついています。
錆びるのがたまに傷、とか(笑)。


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カサブランカの支柱を立て終わって、お風呂にはいって、
夕刊をじゅんばんに読んでいたら、毎日新聞の「60年安保闘争から50年」という記事に、
6月15日に東大安田講堂で開催されたシンポジウムのことが載っていました。

安保闘争50年 東大でシンポ/樺さん50年忌に捧ぐ~6月の白花とともに(2010-06-17)

ずいぶん時間が経ってからの掲載ですが、以下に紹介します。

60年安保闘争から50年 シンポや講演会など次々、今も混在する評価と傷跡
毎日新聞 2010年7月6日

 1960年6月15日、日米安保条約改定に反対する全日本学生自治会総連合(全学連)のメンバーが国会敷地内に突入し、混乱の中で東京大学生の樺美智子(当時22歳)が亡くなった。それから50年たった先月、安保闘争を振り返るイベントが東京都内で相次いで開かれた。その中での議論は、50年後の今もなお、さまざまな評価に傷跡も交じる戦後最大の大衆運動の姿を映し出していた。【鈴木英生】

 15日に東京大安田講堂で開かれたシンポジウムは、近く公開予定の映画「ANPO」のダイジェスト版上映が軸だった。この映画を撮ったリンダ・ホーグランド監督、ノンフィクション作家の保阪正康さんらのほか、大作『1968』を昨年発表した後、ほとんど公の場に姿を見せなかった小熊英二・慶応大教授も登壇した。
 当時、同志社大の学生だった保阪さんは「あの運動は私の仕事の原点だ」と語った。安保闘争では、大学教員と学生の意見が近い例も多かった。樺の死後、当時の茅誠司・東京大学長は「警官の行き過ぎは明らかであり、学生を預かる者として抗議する」という声明を出している。司会の上野千鶴子・東京大教授がそのことを紹介し、高く評価した。
 安保闘争が途中から「民主主義を守る」運動に変質したことと、今の普天間問題が安保自体を問う姿勢につながらないことを重ねる議論もあった。このように、東京大でのシンポは「今生きている我々のために(安保闘争を改めて)記憶する」(小熊教授)という姿勢が印象深かった。
 60年安保闘争から9年後、全共闘の学生が安田講堂に立てこもり、機動隊に排除された。そんな場所でシンポが開かれたことも、運動の記憶を引き継ぐうえでの複雑さを象徴するかのようだった。別のイベントでは「大学を壊そうとした人たちに会場を貸すこの大学は懐が深い」と発言した人もいた。60年代末の全共闘運動と60年安保闘争を混同したようだ。

 早稲田大では同日、学生運動の元幹部らによる記念講演会があった。講師は加藤尚武・京都大名誉教授(哲学)と坂野潤治・東京大名誉教授(日本近代史)。内容は2人の専門分野に絡むもので、60年安保闘争とはほぼ無関係だった。だが、司会を務めたNPO法人理事の篠原浩一郎さんは「あの経験を引きずりながら学問を続けたお二人の話を、私たちの安保闘争の総括とできるのではないか」と語った。
 元幹部たちの闘争後の人生は多様だ。社会的に成功した人もいるが、大学教員になってから全共闘運動で学生側に立った人や、今も新左翼党派を率いる人も。安保闘争を主題にしない講演は、会場に来ない(来られない)元同志もいるという状況の複雑さを感じさせた。
 関連イベントの最後を飾ったのは、29日に新宿区内で開かれた佐藤優さんの講演会だ。元外交官で作家の佐藤さんは、60年安保闘争当時の指導的理論だった通称「姫岡国家独占資本主義論」について熱弁を振るった。大学入学(同志社大)は79年だが、同大には60年安保闘争の流れをくむ学生運動が残っていた。それに参加した佐藤さんは、今の日本が国家社会主義に近づいているのではないかと警鐘を鳴らし、「ブント(共産主義者同盟)の精神がつかんだ光を下の世代にも伝えたい」と話した。
 佐藤さんのように、全共闘後の学生運動にかかわった人は数少ない。安保闘争が「今と切れた歴史」として扱われるのも当然ではある。早稲田大での「60年安保闘争写真展」の会場に掲げられた全学連旗は引き継ぐ学生もなく、関係者宅で眠っていたものだった。とはいえ、10日間に計約1300人が同展を訪れた。若者が当時を知るスタッフに話を聞く光景も見られ、何がしかの「光」が継承されていることを感じさせた。
毎日新聞 2010年7月6日 東京夕刊



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