常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

大井沢峠

2012年11月17日 | 登山


峠の樹間から、雪を被った朝日連峰が垣間見られた。ここ数日の冬型の気圧配置で、不順な天気の晴れ間をみて、大井沢峠をあるいた。この峠は、大江町柳川と西川町大井沢を結ぶ峠道であった。最上川舟運で左沢に運ばれた物資を大井沢へ運ぶ、山中の動脈であった。昭和になって国道112号線が整備され、車がここを走るようになると、この峠道の使用は次第に減少し、現在は廃道になっている。

天気予報が今日の晴れを報じていたので、高速山形道を使って大井沢に向かう。朝、7時に自宅を出て、月山の冠雪を見るころ、青空に日がさしていたが、大井沢に着く頃には、雨が降っている。登山口で様子を見るが、雨脚が強いので様子見方々、この道の情報を教えてくれた志田さん宅へ行く。気持ちよく迎えてくれ、道の様子を詳しく教えてくれる。

「私はここで店をやり、酒を売っていたんです。酒を仕入れるため、この峠道を歩いていたのす。2斗の酒樽を背負って、峠越え2時間半ぐらいだったな。その内、法律が変わって、酒は1升瓶でなければ運んで悪くなってからは、1升瓶10本が一回に運ぶ量だったな。昔人だから、長くは休まないのよ。疲れてくると腰掛けられるような樹を見つけて腰を下し、少し休んで、すぐまた歩き始めるという具合にな。道は濡れていると滑るから気をつけろや。熊がいるから、話し声を出しながら行け。ここの熊は、悪さをしないのでな」

志田さんの話は、昭和の時代がつい昨日のように甦らせてくれる。この村落に生涯を奉げた女医・志田周子のことが、ふと思い出される。

西山のオリオン星座 かヽるをみつヽ患家に急ぐ 雪路をふミて 志田 周子

西山とは大井沢の集落の西に聳える朝日山塊の山々である。大正から昭和の無医村でひとり苦闘する周子の心中は、いかばかりであったろうか。北海道の無医村・志文内で馬橇で雪の中を、しかも夜、往診に出向く守屋富太郎(斉藤茂吉の兄)のことが偲ばれる。

ひと寝いりせしかせしまに山こえて 兄は往診に行かねばならぬ 斉藤 茂吉



峠は標高867m、落葉の上には昨夜の雪が薄く見られた。沢を登るところで道をはずし、藪をわける登りになる。道をはずしたお陰というべきか、倒木にキノコがたくさん出ている。ナメコ、マメツムタケ、ムキタケ、クリタケ等々。ことし一番の収穫となる。

コメント
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