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峠道は、日本の近代化とともに、どんどんと新道にとってかわられ、通る人もなく忘れ去られていく。上山市と宮城県七ヶ宿町を結ぶ羽州街道の金山峠もそんな峠道である。かっては出羽の大名が参勤交代の道として使い、楢下には本陣が二つ置かれていた。
明暦にこの道が改修されて、馬が通るようなったが、それまでは荷は背負子が担いで運んだ。いま、その峠道を上から見た写真を撮ったが、急峻な山道であることが一目瞭然である。改修後はここを物資の通る道として利用され、塩、綿、米、酒などが奥州へと移出され、宮城側からは生魚、麦粉が移入された。荷物を積む馬車が通るようになったのは、明治の中期になってからである。
山の会のリーダーのTさんの提唱で、県内にある峠道を歩こうということになり、今日は下見をかねて、金山峠の入り口と峠を越える地点を確認した。車道を歩く男性が一人、リュックを背負って歩いている。車を止めて、どこまで歩くのですかと聞いたところ、「上山から七ヶ宿までですよ。七ヶ宿に着いたらまた戻ってきます。いつも歩いてますよ」ということであった。
かっては誰もがこの山道を歩いたのだが、いまそれを聞くと誰もがびっくりしてしまう。車は確かに物流に革命をもたらし、この社会になくてはならないものだが、歩く行為が極端にすくなくなったことで失われていくものもまた多い。おりから、山の木々は紅葉の最終期を向かえ、燃え立つような錦繍である。