降り続く雪に、何センチ積もるか心配していたが、今朝晴れ間が見えた。暗い雪の日は憂鬱だが、太陽が顔を見せるとほっとする。きのう、ユニクロで暖パンとヒートテックフリースの下着を買い込んだので早速着用する。とても暖かく快適だ。ベランダから見える葉山は、雪と光でくっきりと見え、山容は別物のようである。手前にせり出した三角の三吉山が、後に続く葉山にはっきりと独立を主張しているのだ。
義母の家に行く。今日持参した味噌汁は、先日山中で採ってきたシメジの豆腐汁である。「キノコの香りがしてうまい」と3度ほど言った。雪のなかからは、エノキダケが採れるのだが、今回は珍しくシメジを見つけた。シメジは折からの雪で凍っていたので、味噌汁にいれると砕けてしまった。だが山のキノコの独特の香りが汁のなかで広がり、思いがけずにおいしい味噌汁になった。ついでに、家の前の雪を片づける。朝、道路の除雪車がきて、家の前に雪を積み上げていく。道路は車が通れるようになるが、家への小路はこの固まった雪を片付けなければならない。一人暮らしの老人にできる作業ではない。
雪を楽しむのは、雪国に住む人間の知恵だ。スキーに雪山、山中で見る雪景色は実に美しい。この冬も、そんな雪との対話が楽しみである。だが家の中にあって、庭の雪が庭木を押しつぶすように積もるのを感じながら、書物を開くのもまたよい。江戸の漢学者、管茶山の詩をじっくりと吟味しよう。
冬夜読書
雪は山堂を擁して 樹影深し
檐鈴動かず 夜沈沈
閑かに乱帙を収めて 疑義を思う
一穂の青燈 万古の心
読書の燈火は、稲の穂のような蝋燭の火である。この燈火が照らし出すのは、古の先学の書であり、その心だ。雪のなかで古典に親しむ管茶山の姿が目に浮かぶようである。