
実南天二段に垂れて真赤かな 富安 風生
義母の庭の南天の実は、例年にまして真紅である。久しぶりの青空に、あざやかなコントラストを示していた。義母はこの庭が気に入っているらしく、季節の花や実を眺めては溜息を漏らしている。「もったいないなあ。自分が死んでしまったら、この庭もなくなるんだろうね。」もう、この家を継ぐ人は誰もいないのだから、仕方のないことである。
漢名は南天燭であるが、この燃えるような色を意識したものだろう。中国では、新年の寺廟の祭壇や家、舟に飾っている。日本でも正月用の生け花に用いるが、南天の名が難を転ずるというこじつけで、縁起物に用いられた。戦国の武将は屋敷の床に飾って出陣したという。
我が家でも、この実を正月の生け花に添えるべく枝を切ってもらってきた。ついでに山から五葉松の枝も切ってきた。南天の枝はさして太くないのだが、この枝の堅いの驚く。大きい枝切り鋏を使ったが、一度には切れず、あまり力を入れすぎて手首を傷めてしまった。この木は箸の材料の使われているのも納得がいく。