常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

笠地蔵

2012年12月18日 | 民話


江口文四郎さんという民話を採集、研究する中学校の先生がいた。いま、山形に住んでいても、山形弁はだんだんに影をひそめている傾向であるが、この先生は山形弁の権化のような言葉で話された。「とんと昔があった」で始まる昔語りは、山形弁で聞かなければ面白くないような気がする。

---とんと昔があった。あるところに爺と婆がいた。いろり端であぐらをかいていた爺が、そばでボロつぎをしていた婆にこう言った。
「婆さ、婆さ、一年暮すのは早いもので明日は正月だなァ。餅でもつければいいのだが、餅米もないし、仕方ないからすりこ木で柱たたいて、音だけでもだすようにするか」
すると婆は、「爺っぁ爺っぁ、おらいままで黙っていて悪かったが、嫁にくるとき『ほんとうに困ったとき使え』といわれて貰ってきた銭があるから、それで餅米買ってきてくれろ」と言って木びつの底から袋に入った銭を出してきた。
「おやおや、そんな金があったのか。----それではあたたかい餅が食べられるなァ。」爺はよろこんで餅米を買いにでかけた。

雪がゾクゾク降っていて、ミノも笠もすぐに重くなるので落とし落とし行った。ずうっと行くと、道端に石の六地蔵が立っていて、雪をかぶっていた。
「ああ、地蔵さま方、なんぼか寒いべ。今、雪をはらってしんぜるから---」爺は六つの地蔵さまを、撫でるようにして雪をはらい、また歩いて行ったが、途中で考えた。
「婆さ大事にしまっていた銭だけども、地蔵さまださ笠買って行くべはァ。その方が婆さも喜ぶでないべか。」
爺は米屋に行かず、笠屋に行って、笠を買った。婆からもらってきた銭を全部はたいても五つしか買えなかったが、「ひとつ足りないところは、おれの笠をかぶってもらえばいい」と思って、爺はもどってきた。爺は行くときとおんなじに六地蔵の雪をはらい、笠をかぶせ、ひとつ足りないのには、自分の笠をはずしてかぶらせて、戻ってきた。

「婆さ婆さ六地蔵さまァ雪かぶって寒がっておりもうしたので餅米買わねで笠買って、かぶせてきた---」というと、婆は「それはいい事したなァ、爺さ---」と喜んだ。
元日の朝、爺と婆は暗いうちに起きた。爺は「よいボボ(餅)よい!よいボボよい!」とかけ声をかけてすりこ木で柱をたたいた。婆はたすきをかけて、餅をかえすまねをした。
そうしていると遠くから、「よいさ!よいさ!よいさ!よいさ!」というかけ声が聞えてきた。爺と婆とが、なんだと思って聞いていると、かけ声はだんだん近づいてきた。戸口まできたとおもったら、バタッと聞えなくなった。爺と婆がワラワラ出てみると、そこには、ポウポウと湯気の出る餅があった。そうして、あっちの方、雪の原を新しい笠をかぶった地蔵さまがヨッコラヨッコラ急いで行くのが見えた。

雪の降る夜、囲炉裏のまわりに子どもたちを集めて、お婆さんが、昔を聞かせたのはテレビやラジオのない、時代であった。生きたお婆さんの口から出てくる言葉は、子どもたちの心をわしづかみにした。

コメント
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