夕空がそろそろ赤く染まるころ、東の山の端に月が出ていた。満月に向かって大きくなっている。こんな月を見ていると、月を詠った詩が思い起こされる。詩仙の名をほしいままにした盛唐の李白にも、月を詠んだ名詩がある。「子夜呉歌」の第三がそれだ。
長安 一片の月
万戸 衣を擣つの声
秋風 吹いて尽きず
総べて是れ玉関の情
何れの日にか 胡虜を平らげて
良人 遠征を罷めん
この頃の都・長安では、砧で糸を打って柔らげ、衣服を縫い、冬の寒さに備えた。都中にその音が響いたであろう。その女たちの夫は、遠く玉門関の守りのために出征している。月が冷たく冴え、秋風が吹くなか、夫たちの兵役はいつ終わるのだろうか、と女たちの溜息が聞える。
日本でも古くから、月は和歌や俳句に多く詠まれてきた。月は人々の暮らしのなかに、息づいていた。それに比べると、現代ではどうだろうか。中秋の満月のころには、月見の風習は残っているが、月の存在は、暮らしからどんどん遠ざかっているように思える。だが、夕空に見る三日月や満月は、昔のそれと変わらぬ姿で、人々を照らし続けている。