クリスマス寒波が来ている。ここ山形では晴れ間も見えるが、うっすらと雪が積もり、道路は凍結した。寒波の到来で各地の積雪の報道を見ると、昭和55年のクリスマス大雪が思い出される。この日は午後から降りだした雪は一向に止まず、一晩で1mを越える積雪となった。道路の除雪は追いつかず、自動車は徐行の後、ガス欠で路上に放置されるの続き、ほとんどの道路が通行不能になった。子供たちは駅前まで予約していたクリスマスケーキを取りに行ったが、バスが来ず、帰宅まで3時間もかかって歩いてきた。もう止むのではと思った雪が、一晩中降り続いたのである。
クリスマスには、キリストの信者でもないのに、何故かケーキが出回り、買わなくとも頂いて口にする。今日も一切れだけ食べた。子供がいるころは、枕元にプレゼントを置いたものだが、こんな風習も百貨店の宣伝に乗せられたものであろう。
サンタさんが、4世紀のトルコあたりの司教であるセント・ニコラウスに由来しているらしいが、この人はあろうことか海賊の守護神であったという。伝説がいろいろと変遷して、この司教がいつの間にか、子供の守護神になっていったらしい。
伝説は貧しい3人娘が住む家に起きた奇跡にこの司教がかかわっていたことになっている。この家では一家が冬を越すために、上の娘が娼婦に身を落とさなければならないほど、切羽詰っていた。これを知ったセント・ニコラウスが、娘のためにその家の煙突に金貨を投げ入れた。この年はそのお陰で一家は難を逃れたが、翌年は次女が身売りの瀬戸際に立たされていた。この年も、セント・ニコラウスが金貨を投げ入れて次女を救った。
いったい誰がこんな奇跡を与えているのか、ぜひその人に礼を言いたいと考えた母親は、次の年のクリスマスには、寝ずに暖炉の前で靴下を編みながら待っていた。すると、今度は3女のために金貨が投げ入れられたと同時にドアの外を窺うと、それは隣の家に住む青年であった。青年はこのことは誰にも言わないようにと告げると姿を消してしまった。この青年こそ後の司教、セント・ニコラウスであった。