常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

島梟

2012年12月25日 | 日記


鋳物工芸の作家に横倉晋也さんがいる。当然のことにこの人の作品は高価だが、わが家には小さな額入りの作品が壁にかけてある。題名は「月を見る島梟」となっているが、鳥には月光があたっているような柔らかい光が当たっている。デパートで横倉さんの個展が開かれたおり、記念に求めた小さな一枚である。

島梟は「ゴロッ、ゴロッ、ボーコー」というふうに鳴くので、この声を「五郎助奉公」と聞き取り、この鳥にまつわる伝説や民話が伝わっている。

五郎助はおとなしい真面目な青年であったが、元来動作が遅く、農作業も同じ年の青年に比べて捗らなかった。そのため、からかわれたたり、苛められていた。だが、真面目な五郎助は遅くなっても、与えられた仕事はきちんと終えた。そんな五郎助に、名主の一人娘が好意ををよせ、庇うことが多かった。しかし、そのことが他の青年たちのやっかむところとなり、かえって苛めはひどくなった。あるとき、村の若者が総出で萱刈りをすることになった。

例によって五郎助の作業は遅れ、昼休みのとき、一人昼飯を食べないで作業を続けて、ようやく皆と同じくらい刈ったので一休みしていた。そのとき、仲間の一人が隠れて五郎助の鎌を隠してしまった。午後の作業が始まったが、五郎助は萱を刈れず、うろうろと鎌を探すばかりであった。夕方になって、他の青年たちは萱を刈り終えてさっさと帰ってしまった。

鎌がなくて萱をかれない五郎助は、途方にくれました。日が暮れて三日月も出てきたが、萱を刈れない五郎助は悲観して谷に身を投げ死んでしまった。それを哀れんだ観音さまが、五郎助の魂を梟のなかに移した。そのため、梟は、「ゴロッ、ゴロッ、ボーコー」と啼くようになったのだという。

俳句の歳時記には、梟は冬入っている。梟の啼く声を聞いて、哀れな五郎助に思いをやる人もあるのであろうか。

梟の啼きゐし月の曇りけり 梗草子

コメント
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