杜国
2015年02月19日 | 人
坪井杜国は、名古屋の勝曼寺町の商人である。貞亨年中に手形で空米を売り、国法に触れて死罪を言い渡された。杜国は蕉門の俳人である。藩主は杜国の俳句が、尾張を寿いでいたことを思い出し、死一等を減じ、処払いとなり、三河の伊良湖崎に住んだ。貞亨4年、師の芭蕉は杜国が三河に住んでいることを知り、弟子の越人を伴って、杜国を訪ねた。そこで詠んだ句が、
鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎 芭蕉
である。杜国は荷兮や野水とともに尾張三歌仙と称された俳人であった。芭蕉は美男で俳句の才に富んだ杜国に目をかけ、「統流俳諧の相手は杜国一人なり」とまで言っている。真偽ははともかく、芭蕉の男色の相手に儀せられている。
貞亨5年、芭蕉は杜国を伴って吉野の旅に出た。この時、杜国は自らを万菊丸と称している。この旅で、芭蕉はすぐに寝てかく杜国の大きな鼾に悩まされた。芭蕉は戯れに大きな魚の形をした万菊丸鼾の図を描いて見せた。旅に被る檜木笠には、乾坤無住同行二人 よし野にて桜見せうぞ檜木笠 と書き付けている。
元禄3年2月20日、杜国は伊良湖崎で34歳の若さで没した。芭蕉はその死を嘆き、旅の宿で杜国の夢を見ることがあった。「行脚の労をたすけて百日がほど影のごとく伴ふ。片時も離れず。ある時は戯ぶれ、ある時は悲しみ、その志しわが心裏にしみて忘るることなければなるべし。覚めてまた袂をしぼる。」と『嵯峨日記』にその心情を書きつけた。
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