
昭和25年に、毎日新聞社が主催して、新日本観光地百選がはがきによる人気投票で実施された。この試みは、日本の人気観光地を選定して、外国人観光客の呼び込みを目標としたものであったが、戦後の復興期に、日本人に観光へ目を向かせる効果をもたらした。各観光地の自治体や関係者が競って応募したため、投票総数は7,750万通に及んだ。山岳や温泉など10部門の10位まで、計100を投票数の多い順に選んだ。その山岳の部で、山岳の部で蔵王山が一位になった。
毎日、この蔵王山に見守られて育った斉藤茂吉は、この選定をことのほか喜んだ。すぐに、「蔵王山」と題する2首を新聞紙上に発表した。
萬国の人来り見よ雲晴るる蔵王の山のその全けきを
とどろける火はをさまりてみちのくの蔵王の山はさやに聳ゆる
この年茂吉は69歳であった。兄の守谷富太郎が北海道北見で亡くなり、自身も箱根の別荘で、心臓喘息の兆しが現れている。すでに死を間近にしていた時期であったが、蔵王山が観光百選で一位になったことを喜び、童顔をほころばせ、自分のことのように喜こんで、この歌を詠んだ。病は次第に茂吉の身体を蝕んでいたが、なお作家への意欲を失わずにいたのである。

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