
しばらくぶりで快晴の朝を迎えた。南西に見える上山の大平山が、朝日を受けて輝いて見えるのは何とも気持ちがよい。島崎藤村の随筆に『春を待ちつつ』という小文がある。寒い冬の日に、自らの青春を省み、青春時代の苦しみを冬に喩えて書いている。
心の宿の宮城野よ
みだれて熱きわが身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ
ひとり寂しきわが耳は
吹く北風を琴と聴き
悲しみ深きわが目には
色なき石も花と見き
「そして眼前の暗さも、幻滅の悲しみも、冬の寒さも、何ひとつむだになるもののなかったと思うような春の来ることを信ぜずにはいらないでいる。」
この小文は、大正14年の正月に書いたものである。人々の冬への心はその頃とは、少しも変わっていないであろう。家の造りや、暖房器具が進化したとしても、深い雪のなかで、春待つ心は変わっていない。春のすばらしさは、冬の厳しさそのものを忘れさせる力がある。

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