常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

塩の話

2016年02月06日 | 日記


高血圧と塩分は不可分な関係にあるらしい。塩の取り過ぎを抑制するのは、厚労省の大事な仕事になっているようだ。しかし、古来神の御饌として尊重され、不変、正常なものを表す象徴として考えられてきた。魚や肉、野菜の保存に欠かすことのできないものであり、塩抜きの食事など考えられないであろう。

戦国時代、武田信玄と敵対関係にあった今川氏が北条氏と諮り、遠海、駿河、伊豆から甲斐に送っていた塩をさしとめ、塩商人の往来も禁止した。この塩留めに、信玄は甲斐を立ち、穴原に押し寄せ、由比の塩を抑えた。塩は戦国時代においても、一国の存亡に関わる大切な物資であった。この事態に、上杉謙信は敵の信玄に塩を送った話は、「敵に塩を贈る」という美談として残っている。

イギリスの民話に「藺草ずきん」という話がある。大変な金持ちの男に3人の娘があった。娘たちが自分をどれほど愛してくれているか知りたくて、聞いた。「お前たちはわしをどれほど愛しているかね。」一番上の娘は、「お父様、私の命と同じくらい愛しています。」二番目の娘は、「世界を全部合せたよりも愛していますわ。」三番目の娘が「生肉にかける塩と同じぐらいですわ。」と答えると、父は大変怒って、三番目の娘を家から追い出してしまった。

娘はしかたなく家を出て、藺草をたくさん集めて蓑をつくりすっぽりとかぶって、ある家のお手伝いとして働きながら住み込んだ。ある日、娘が住み込んでいる家の近くで舞踏会があった。藺草ずきんを脱いで、美しい姿になって家を抜け出し、舞踏会に行った。舞踏会は3日間続き、娘は身分をかくして舞踏会で踊った。お屋敷の若旦那が、娘に好意を寄せ、結婚を申し込んだ。娘はこの求婚を受け入れた。

盛大な結婚式が催され、結婚式には娘の父親も出席していた。父親の食卓には、豪勢な肉料理が並んだが、どれにも塩がないため、ご馳走が喉を通らない。父ははっと気づいて泣きだした。「三番目の娘の気持ちが初めてわかったよ。わしのことを本当に大切に思ってくれていたんだ。
もうきっと死んでしまっているでしょうが。」と泣き泣き、新郎に話した。娘は父のそばに駆け寄ると、「いいえ、あなたの娘はここにいますわ。」と言って、父を抱きしめた。それから、娘夫婦もその父親も、ずっと幸福に暮らした。
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