
朝、新聞がくると先ず目を通すのは、死亡お知らせの欄である。もしかして知っている人の記事が載っていないか、つい気になる。誕生日が近づいてきて、いよいよ名前で物議をかもした後期高齢者の仲間入りになる。75年というのは、ずいぶん長いようではあるが、過ぎて見ると何故か短く感じる。
年年歳歳 花 相似たり
歳歳年年 人 同じからず
白頭を悲しむ翁の心境が、日一日と明瞭に見えるようになる。ローマ帝国では、貴族の宴会で最初に人間の頭蓋骨を回して見せた。いずれ人間は、こうなりますよ。さあ、生きているうちに精一杯楽しみなさい、という意味が込められていたらしい。宴会の参加者たちは、テーブルに山のように盛られた山海の珍味と美酒を心いくまで味わった。
唐の詩人李白が書いた文がある。この言葉を芭蕉は、『おくのほそ道』の冒頭に引用している。
「それ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。而して浮生は夢の若し、歓を為すは幾何ぞ。古人の燭を秉りて夜遊ぶは、良に以有るなり。」逆旅というのは旅館で、そこを旅するのは時間である。ローマの貴人も李白も、人生を短いものと感じて、楽しむことに気をくだいた。問題は人生の楽しみの中身である。人それぞれにたくさんの楽しみがあるが、山海の珍味をたらふく食べることでもなければ、世界中の知らない土地を、旅して歩き回ることだけであるまい。本当の楽しみは、心のなかに感じられるよろこびである。長い人生という旅でやっと見つけることのできるものである。