
「みそぎ」という言葉には、古い歴史がある。万葉集に詠まれた歌にもみそそぎが出てくる。恋人ができて、周り中の人からうわさされている八代女王の歌である。
君により言の繁きを故郷の飛鳥の川にみそぎしにゆく
川にしろ海にしろ身体を水で滌いで、我が身の罪や穢れを洗い清めることをみそぎというのだが、恋人との仲が噂されるということもみそぎの対象であるというのは今の状況から言えば随分と気の毒に思われる。
みそぎの語源は身滌ぎとも水滌ぎとも言われるが、その大元は古事記のイザナギノミコトにさかのぼる。イザナミノミコトを追って黄泉の国に行き、そこから命からがら帰還するが、「私はずいぶんと穢らわしい国へ行ってきた。この身を清めなければならない。」と言って、筑紫の海に入って海水に浸かって身を清めたことに由来する。
政治資金で不正をして、選挙で再選されれば、みそぎが済んだとよく言われるが、みそぎの意味はまったく違っている。