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3月3日が近づいて、あちこちで雛人形見られる季節になった。山形は日本海の海運で、京文化とのつながりが深く、旧家では京雛を所蔵している家も多い。近江商人の系統や、銀行など代々続く家に古い雛が残っている。雛段に五色の菱形の餅のほか甘酒、手製の菓子、フキノトウなどを供えた。昭和の初めまで、雛段をもっている家は旦那衆の家しかない。そこで子供たちは、晴れ着を着せられて、雛段のある家を訪れた。
子どもたちが「お雛さまおがみにきました」というと、雛段のある座敷に子どもたちを上げ、甘酒や菓子をふるまった。雛人形は古くなると、路の辻にある祠のわきに出す風習がある。雛には霊が宿ると信じられていた。また古雛を桟俵に乗せ、川の流す風習もあった。子どもたちは白酒の銚子を持ち、雛との別れを惜しんで泣いた。柳田国男は、雛の川流しを神送りが目的であったと指摘している。
藁で作った人馬の腹に、苞に食物を入れて野山に捨てた。藁人形を神の形代として山へ送りだすことで、集落の守り神にするという風習は古くから行われていた。我が家にあった雛人形は、もう10年以上も前に、大晦日のどんと焼きで、神送りした。