常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

芍薬

2013年05月26日 | 日記


牡丹の花は短い命だ。大ぶりで豪華な花だから、もう少し見たいと思っているうちに散っていく。かわりに芍薬の花が咲く。美人を形容した言葉に、「立てば芍薬、すわれば牡丹、歩く姿は百合の花」というのがあるが、芍薬は牡丹に比べて背が低く、「すわれば芍薬」とすべきなのだが、これではゴロが悪いようだ。芍薬の花ことばは、「内気、はじらい」である。鉄砲町の家の庭に咲いた赤い芍薬は、白いツツジのそばで似合っている。

あけぼのの芍薬にむかひ憂なし 水原秋桜子



わが畑の野菜たち。このところの好天続きで、乾燥してきている。毎朝畑に出向いて、水遣りをする。葉もの野菜の成長は早い。一日過ぎると、驚くほど伸びているのを眼にする。水菜がかなり込み合ってきたので、疎抜きをする。小さいあいだの水菜は、いかにも柔らかく手で触れると、そのままつぶれてしまうような柔らさだ。

きのう収穫したソバ菜を茹で、カラシ和えにして食べる。これも柔らかく、春の初物である。こんなのを食べると、野菜作りをしてよかったと思う。ニラは3番採りに入った。さすがに一番どりにはくらべられないが、これも新鮮さをそまま食べる感じである。朝の豆腐の味噌汁に、豆腐が煮上がるとき、刻んだニラを一握り放り込んで、煮立ちばなに七味をふって食べる方法を教えてくれたのは、辰巳浜子『料理歳時記』である。



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首相公邸の幽霊

2013年05月25日 | 日記


安部首相が公邸に引越ししないのは、「幽霊が出るからなのか」との問いに、「幽霊が出ることは承知していない」という答弁書を閣議決定したことが、新聞やテレビの話題になっている。科学の進歩が著しい時代に、幽霊の話が国会での話題になるのは不思議な気がする。だが、公邸に幽霊が出るという噂話は、長いあいだ語られてきたらしい。安部首相自身、「あそこにはできれば住みたくない」と漏らしているし、盟友の麻生副総理も、「無理に入ることもないでしょう」とアドバイスしている。祖父を元総理に持つ首相と、副総理、どうやらこの幽霊話を昔から、聞かされていた様子である。

ここは昭和の軍政下で、5.15事件や2.26事件などの舞台となり、犬養毅首相の暗殺や岡田首相襲撃事件が起きた。松本清張の『昭和史発掘』には、この二つの事件が、詳しく書かれている。時は昭和7年5月15日午後5時半ごのことである、首相官邸に軍人が大挙して土足のまま侵入してきた。

「首相官邸内日本間で床を背にして座った犬養首相は、テーブルをへだてて半円形にとりまいている土足の軍人をじろりと見まわした。
 犬飼は接待用の煙草入れの蓋をとり、君らもどうだと、というようにすすめるふうをした。しかし、だれも手にとるものはいなかった。犬養は落ちついた態度で
「靴ぐらい脱いだらどうか」と抑えたような声でいった。
三上中尉は首相を睨みつけて、「靴の世話などどうでもよい。話があれば早くいえ」と性急にいった。
「騒がんでも話をすれば分る」と首相はおだやかにいった。写真で見る通りの、尖った顴骨と白い顎鬚とが皆の眼に印象的だった。
三上中尉は犬養に差向けていた拳銃をいったん下して話を聞くような態度をとっていたが、突然、山岸中尉が、
「話をききにきtのではない。射て射てと叫んだ。首相をはそれを聞いて三上中尉のほうに向い、左の手をあげて制止するように、
「射たんでも・・・」といった。その言葉の途中で、黒岩少尉が首相の左側から首相めがけて一発発射した。弾丸は命中したらしくて、犬養の身体は前にのめるようにして倒れた。」

2.26事件では、同じ官邸の日本間で、岡田首相や鈴木侍従長が襲撃を受けている。この生生しい暗殺の記憶は、そこで生命を落としたものたちの亡霊として、日本政治の中枢で語り継がれてきたであろう。

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ツユクサ

2013年05月24日 | 万葉集


万葉集で詠まれているツユクサはツキクサで著草また月草と書く。これはこの花が衣に著きやすいため、花摺り衣に用いられた。この着物の色は縹色(はなだいろ)という。路傍や畑地に自生し、夏になると藍色の花が咲き、朝露を含んで美しい。花は夕方にはしぼんでしまう。

月草に衣ぞ染むる 君がため斑の衣摺らむと思ひて 巻第7 1255

露草で着物を摺り染にしている。あの方のために、斑に染めた美しい着物に仕立てようと思って。上の2句で切った表現に、小躍りしながらいとしい男のために作業している女性の姿がありありと見えるようだ。

月草に衣色どり摺らめども うつろふ色と言ふが苦しさ 巻第7 1339

ツキクサは着やすいが、褪せやすい色でもあった。その色の習性を男の評判に重ね合わせた歌である。露草の花で色取って染めたいのですが、その色が移ろいやすい評判を聞くのは何とも苦しいことです。

写真はツユクサ科ではあるが、南米産のムラサキツユクサ。近年園芸品種として各地で鑑賞用に栽培されている。
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おきなぐさ

2013年05月23日 | 日記


翁草の花が終わり、種は払子のような形になった。翁草の名は、この種子の形に由来しているのであろう。斉藤茂吉は花はもとより、この形をこよなく愛した。茂吉が生まれた金瓶の野山に多く自生したためでもある。茂吉は翁草を見るたびに、少年のころ遊んだ故郷に思いを馳せるのであった。

おきなぐさここに残りてにほへるをひとり掘りつつ涙ぐむなり 茂吉

終戦後、茂吉は故郷の金瓶を訪れ、翁草の咲くのを見たり、掘り起こして疎開先の大石田へ持っていった。光禅寺の庭で払子を振るように風に震える翁草を見ると、斉藤茂吉が愛して止まない理由が分る気がする。春の花たちはその花を終わらせ、代わってシロツツジや芍薬の華やかな初夏の花へと移っていく。

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郭公

2013年05月22日 | 日記


農作業をしていたら、郭公の鳴き声が聞えてきた。竹林では竹の秋を迎えている。郭公は夏鳥で、南の方から5月になると渡ってくる。昔から、「郭公が鳴いたら豆を蒔け」という言い伝えがある。地方によっては、豆まき鳥という呼び名もあるようで、豆の種を蒔く目安にされてきた。

郭公は閑古鳥とも言われてきた。郭公が鳴くところは、山中の淋しい場所であったので、客が来ない淋しい店を、閑古鳥が鳴いていると言い表わした。だが、郭公の習性が託卵にある、というのには驚かされる。郭公が産む卵はその体長に比べて小さい。モズやホオジロなどの巣に一個の卵を産みつけ、一個の卵を持ち去る。

巣に卵がある鳥は、警戒心も当然ことに強い。その隙をかいくぐって卵を産みつけるためには、周到な準備が必要である。準備といっても、卵を温めている親鳥が食事のために巣を離れる様子を観察するのだ。郭公の卵は、巣にある卵より何日か早く孵る。生まれた雛は、背のくぼみに巣にある卵をのせて外に放り出してしまう。巣は郭公の雛が独占し、自分の雛であることを疑わないモズやホオジロは、餌の虫をせっせと運んで与える。もう体も大きくなった郭公の雛に、小さなホオジロが餌を与える図は滑稽でもある。

郭公の声のしづくのいつまでも 草間 時彦

郭公の鳴き声を聞くと、その習性などは忘れてしまって、少年のころの懐かしい野遊びを思い出す。母に連れられて、蕗やワラビを採りに出かけた。そこで見た蛇の姿は、いまも眼前に生々しく残っているし、林のなかからは絶え間なく郭公の声が聞えていた。
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