農作業をしながら、隣の畑の人と言葉をかわす。話題は畑の乾燥だ。「きのうぐらいの雨では、土の中カラカラだよ」。「やっぱり2日ぐらい続いて雨が欲しいね」「如雨露で水かけしても、1時間ももたないよ」
先週末に恵みの雨があった。今日になっても、土に湿気があり、水かけの必要はない。植えた苗や移植したミツバも大体順調な生育を見せている。チャペックの『園芸家12カ月』に慈雨の記述がある。
「30分たつと、長い、こまかい、糸のような雨がまた降りはじめる。ほんとうの、おだやかな、いい雨だ。ひろい範囲にむらなく、しずかに降る、みのりゆたかな雨。はねを飛ばし、とうとうとみなぎり流れる豪雨ではなく、しとしとと降る、やさしい、気持ちのいい、しずかな霧さめだ。やさしい露よ、おまえのしずくは一滴だってむだに流れはしない」
先週末の慈雨は、こんなにやさしい雨ではなかったが、豪雨ではなく、野菜たちににはそこそこやさしかった。園芸家には、雨にこんなにも情をこめた、祈りに似た思いがある。それは、植物の生命ととも生きていることによっている。人間もまた地球上に生命を持つ生き物だ。慈雨はひとしくあらゆる生命を潤す。