静岡の親戚から鰹のたたきと新茶をいただいた。茶摘みや藤の花は初鰹が出回る季節を示している。芭蕉の門人である其角の句にも
藤咲いて鰹食ふ日を数えけり
とあるように、初夏の訪れのころ、鰹は伊豆の海の沿岸に回遊してくる。当時は無論船で鰹をとるが、船に揚げた鰹を江戸の街に届けるのは、まるで戦闘であった。初漁ともなれば、漁も少なく75本積みの八挺櫓の快速艇に17本だけ積んで、港をめざすのも珍しいことではない。
初鰹むかでのような船に乗り 柳樽
夜明け頃に日本橋の河岸に着くと、鰹売りが籠を担いで待機していた。思い思いの値で取引を終えると、それぞれの得意先へと駆け出して行った。気風はまるで侠客のようで、「カツウ、カツウ」と呼びかけながら走るのは、活きよさが売りものであった。客がまけろなどというものなら、「売ってやりたいが、鰹がいやだと言ってるよ」と雑言を吐いた。
例年のことにたまげる初鰹 柳樽
荷揚げが17本のときなどは鰹の値も高く、一本3両という声も聞いた。鰹売りも人を見て、とくに金持ち、上方者、臍繰り女房には近づかなかった。こんな人種は法外に高い初鰹には手を出さなかったからだ。
初鰹そろばんの無ひうちで買ひ 柳樽
親戚はありがたい。新鮮な鰹をたたきにしたものを氷詰めにして送ってくれる。海岸の味がそのまま500キロも離れた地に翌日に着く。トラックによる宅配便の配送網が普及したおかげでもある。しっかりその味を堪能した後の新茶もまた格別だ。