山登りも、野菜作りも天気予報は大きな役割を果たす。冬山などは、登山家の生命さえ左右すほどである。わが山の会のリーダーは、予報をもとに山行の是非を決め、天気予報が外れることも多いためいつも気象庁に批判的な言葉を吐いているが、気象衛星を駆使した近年の予報の精度は、相当高まってきているように思える。
そもそも天気予報が始まったのはいつか。調べてみると、イギリスで1692年の5月14日のことであったらしい。ある農業週刊誌がグラシャム大学から借り出した記録によって前年度の天気状況を一週間分づつ記載した。その年によって変動するのが気象であるから、どれだけ有用であったか定かではないが、農業者は前年の状況を参考に農作業のあたったのではないか。日本の農家が判断の材料にした、山の残雪による代掻き爺さんとか種まき桜などと比べて見ても面白い。
本格的な天気予報、つまり現在の予報の原型のようなものを始めたのは、イギリスの著名な小説家C.ディケンズが主宰したディリー・ニュースである。1848年8月のことである。この新聞社は、毎日9時にイギリス全土の測候所から電送してくる気象状況を集め、グリニッチ観測所がそれをもとに予報をたて、新聞に掲載するという方式であった。最初の農業週刊誌についてもいえるが、情報収集こそが西洋メディアの原点であった。ジャーナリストでもあったディケンズの優れた着眼であったといえよう。このような記事を載せる新聞に読者が集まったことは容易に想像できる。
種蒔いて暖かき雨を聴く夜かな 村上 鬼城
日本の農村では、近くにある山にある桜を種まき桜と決め、それが咲けば種を蒔くときであった。気温や雪解けの情報も勘案したであろう。経験豊富な村の古老が、複雑な気象現象を経験に照らして説明することもあったであろう。西洋のような情報収集はないが、日本的なよさもそこにあったような気もする。