常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

スーパームーン

2013年06月24日 | 日記


妻が満月の大きさに驚いて、見て、見てという。早速カメラを持ってベランダに行く。なるほど、普段見られぬ大きさの月だ。山の端から登ってきたときは、もっと大きく見えたのだという。一団の群雲がやってきて月を隠した。だが、雲は早い速度で北へ動いている。10分ほどで、群雲のあいだから大きな月が顔を見せた。

調べて見ると、昨夜はスーパームーン現象であったという。月が地球を廻る軌道は楕円である。そのため、地球に近づいたり遠ざかったりしながら、地球の廻っている。月と地球の距離は遠いときで41万キロ、最も近いときで36万キロだという。最も近い距離にある月が満月のときをスーパームーンという。妻が偶然に山の端から登ってきた月の大きさに驚いたのは、実はこのスーパームーン現象であったのだ。

この現象が起きると地震が来る、という説もあるらしいが、地震とはまったく関係はないらしい。月が大きく見える分、明るさもまた際立っている。

月の出に盛り上りゆく浅茅原  林  翔
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富士山

2013年06月23日 | 登山


早朝、畑の隣人から声をかけられた。「今度、一緒に富士山にのぼりませんか」突然のことに「でも、人ばかりで登山どころではないでしょう」「ああ、今度世界遺産に登録されたからね」こんな会話だった、実は富士山に登る気ははなからない。山の会でも富士山への山行は何度も計画し、いつも敬遠していた。登ってきた人から、「人が多くて、砂ぼこりで顔が真っ黒になった」という話を聞いていたからだ。

落石事故で人が亡くなった事故もあった。ぞろぞろと、蟻の行列のように登るのは、ちょっと気が進まない。富士山は登る山ではなく、眺めて楽しむ山だ、自分のなかではそんな風に決め込んでいる。もう1週間もすれば、山開きになって人が殺到する。年間30万人が登る山であるが、世界遺産の登録で40万を越えるのでは、という予測が出ている。

静岡の沼津に兄がいて、会いに行ったとき沼津から眺めた富士山の大きさには圧倒された。妻の妹が藤枝に住むようになって新幹線ででかけて、車窓から眺めた富士山もきれいだった。万葉集にもこの山の眺めを詠んだ歌が収められている。山部赤人の名歌だ。

天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を
天の原 振り放けみれば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず
白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り告げ 言ひ継ぎ行かむ
富士の高嶺は

反歌
田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける

田子の浦は沼津を海岸沿いに南下して、富士市のあたり、富士川の北側の海岸である。私が見た沼津からの眺めとはそんなに違わないかも知れない。山辺赤人は長屋王の庇護のもと宮廷歌人として宮廷に仕えた。雪に輝く孤高の富士の姿を、歌人は浜に沿って歩きながら富士を見ている。それはどこからでも見えるというものではない。低山に遮られているところから、全貌が見えるひらけた地点、つまり田子の浦でこの絶唱は得られた。いわば富士讃歌であるが、田子の浦で得られたこの歌は、宮廷に帰って長屋王や天皇の前で意気揚々と披露されたことであろう。

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栗の花

2013年06月23日 | 日記


栗の花が咲いた。昔、沼で鮒釣をしていたころ、栗の花が咲くと鮒は浅瀬を去り、あたりが一服するので、この花を嫌った。この花の匂いも、どこか生臭く好きになれない。だが、花が終わって、実をつけ、秋の風で実を落とすころになると栗ひろいに夢中になる。栗は囲炉裏の灰の中に入れて、焼けるのまった。ぼん、と音がして栗がはじけると、兄弟で焼けた栗を奪い合って食べた。

北海道の実家には、栗の木が3本あった。栗の木の向こうは崖のようになって、その先に石狩川が流れていた。北海道は夏に暑いのは、当時7月の1週間ほどであった。栗の木の下に筵を敷き、そこに転がって涼風に吹かれるのが好きであった。手に文庫本を持って、あまり理解できないような文字を目で追った。

イガがまだ青いうちに落として、中から熟さない実を出して食べるのが好きだった。近くの薮にスグリの実が生り、熟するの待ちきれずに採って食べた。思い返すと、そのころの子どもたちは皆空腹であった。あたりを見回し、なにか食べられるものがないか、いつも探していた。木苺が生ると、熟すのを待って食べた。このときは、ひとりで薮に入り、誰はばかることなく腹いっぱい木苺を食べた。

トウキビができると、実が入るのを待ちかねて、莢の皮をむいて実を確かめた。2、3本のトウキビを採ってくると、きれいに皮をむき、七輪に炭をおこして焼いた。くるくるまわしながら、遠火がまんべんなく日があたるようにして、焼きあがるの目を凝らした。やがて焼けたトウキビの香ばしい匂いが鼻をつく。

こんがりと焼き上がったトウキビにかぶりつくようなことはしない。一粒、一粒をいとおしむように芯から採り、皿にためて、一本を採りきるまで食べるのを我慢した。一皿になったところで兄弟が一緒に食べた。あのころの香ばしいトウキビの想い出は今も忘れられない。その後、帰郷して昔のトウキビの話をすると、昔のトウキビを作っている農家はなくなっていた。ハニーバンダムなど甘く、柔らかい実が主流で、昔のは作っても売れないとの話であった。それにしても、あのころ、貧しく腹をすかせながらも、食べものがおいしかった。
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ラタトウユ

2013年06月22日 | グルメ


畑から収穫したナスとズッキーニにピーマンとパプリカを買い足してラタトウユを作る。トマトの甘みが全体にまわって美味しくできた。ちなみにバジルは去年収穫した葉を塩をしたものを、塩ごと利用してみた。塩に香りがついていてバジルの香りが利いている。きょうの昼食はフランスパンにラタトウユと決めた。部屋中にラタトウユのおいしそうな香りが漂っている。

これは有名なフランス料理でニース地方が発祥の地だ。そのためにフランスではニース風ラタトウユと呼ばれる。使う油はオリーブオイルでなければならない。そうすることで冷えたものをオードブルして食べても非常においしい。畑にはまだ収穫には間があるピーマンとパプリカがあるので、これが収穫できるようになると、すべて自家製野菜でラタトウユができる。野菜作りから料理まで、目標にしてきたた老後の生活がもう少しで実現する。この年になると、料理を手作りすることが大変になる。

しかし、生きるということは食べものを作りそれを食べられる形にしていくことが原点である。94歳になった義母は、食べる楽しみだけをたよりに毎日を送っている。少しづつ食べる量が減っていって自然と死に至ることこそが人間の死に方であるべきだ。妻にだけ料理を作らせて食べていてはならない。野菜を作り、収穫をし、自分でそれを料理して食べてみる。食べるものを買ってくるのではなく、種を蒔いて雑草をとり、葉や実を収穫する単純な作業のなかに、実は生きる意味が秘められている。



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スベリヒユ

2013年06月21日 | 農作業


梅雨は畑にたっぷりと降りそそぎ、野菜たちを元気にしている。ズッキーニは受粉前の実が花を終わらせた。小さな実がついているが、受粉していないのは、このまま成長せずに生りながら腐れていく。腐れる前のものを収穫する。今年始めてのラタトウユを作る。

写真をよく見ると、脇の方に出ているのがスベリヒユだ。茎が赤く、梅雨の雨でその茎を大きく伸ばしている。オメガ3脂肪酸をふんだんに含んでいるので食用にされる。先日、テレビの「秘密の県民ショー」でこれを食べると、山形県民は雑草も食べていると、笑いをとっていた。スベリヒユはこの地方では「ヒョー」と呼ばれ、茹でてカラシ醤油で食べる。あるいは茹でたものを干しておくと保存食にもなる。日なたの匂いのするヒョーは山菜の仲間として昔から山形の人々に愛されてきた。

きょうは畑から、このヒョーと山東菜、ズッキーニ、茄子、キュウリ、シュンギクを収穫した。ルッコラが大きくなっているが、こちらはどうやって食べるか、これから研究する。
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