常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

枇杷の実

2015年06月19日 | 日記


近所の家に植えてある枇杷の実が黄色の熟している。この実は、梅雨時に熟する。産毛に覆われた皮をむくと、果肉から甘い果汁が滴る。昔、戸建てに住んでいたころ、食べた枇杷の種を鉢に埋めておいたら、木の芽が出てきた。いわゆる実生である。娘が世話係になって、水をやって育てた。だんだんと大きくなったので、庭に移すと、土に根を張って大きくなった。2年ほど経って、花が咲き、三粒ほど実がなり、梅雨時に黄色く熟した。子どもたちは、その枇杷を食べて歓声を上げたことを今も覚えている。

枇杷黄なり空はあやめの花曇り 素堂

子どもたちが家を出てから、30年以上になる。もう家に帰ることもめったにないが、畑で作った野菜を送っている。ズッキーニが好きで、取れたての野菜は、やはり故郷の味。子どもや孫の喜ぶのを想像しながら畑の作業に精を出す。
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集中豪雨

2015年06月18日 | 日記


テレビの天気予報で、最近は各局とも、個性的な気象予報士を登場させて、番組の人気の争奪戦が激しい。天気図を工夫したり、手作りの雲や前線などを使うなど、どう見てもやり過ぎのような気がしないではない。昭和59年にNHKのニュース番組で登場した倉島さんは、お天気博士と呼ばれて人気を博した。さしずめ、今日の気象予報士の先駆けと言ってもいいのではないか。

倉島さんの解説によると、集中豪雨という言葉が初めて使われたのは、昭和33年の梅雨期の山陰地方の大雨を報道した新聞記事だったという。同じ山陰でスサノウノミコトがヤマタノオロチを退治したが、この大蛇は、大雨で猛り狂って流れる川に例えるという、面白い説を紹介している。大蛇退治と治水工事が結びついて、なるほどと聞く人を納得させる力があった。

気象衛星ひまわり8号がいよいよこの夏から作動する。予報の確度は格段に向上すると言われているが、地球温暖化が異常気象に大きな影響がある以上、人類の取り組みで集中豪雨や、竜巻の被害を減らしていく以外に方法はない。
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2015年06月17日 | 日記


東日本の上空に寒気が入り、地上で気温が高いため、各地で雷や突風、竜巻、豪雨といった現象が起きている。すぐ上の空に稲妻が縦に走り、ほどなく大きな雷鳴になると、幾度となく経験していても恐怖を覚える。

伊香保嶺に雷な鳴りそねわが上には故はなけども子らによりてぞ 万葉集3421

男にとっても雷は気持ちのよいものではないが、女性やこどもたちにとっては、大きな恐怖の対象になる。この歌は相聞歌で、気象に寄せて男の心を述べている。雷鳴ぐらいでは、俺は妨げられはしない。いくらでもあの子に会いに行くのだが、先方の子が怖れて出てこないかも知れないから、鳴らないでくれ、というほどの意味である。

この歌で雷と書いて神と読む。虎、狼など猛獣も同じく神と呼ばれた。この時代、人間の力の及ばないもの、威力のあるもの、恐ろしいものさして神と呼ばれていた。

古代の人々は、この恐ろしいものにどのように対処したのであろうか。それは、神を喜ばせるために祀ることを一番に考えた。山海の珍味を捧げ、酒を差し出した。祭りには、豊作の祈願と感謝をあらわすために神社を建て、祭りが行われた。
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羅生門カズラ

2015年06月15日 | 


村山市の山の内の林道から入った沢筋に、羅生門カズラの花に出合った。淡い薄紫の花の色がユニークだ。もちろん、その花の名も珍しい。羅生門といえば、平安京の中央大通りである朱雀大路に南端にある門のことである。飢饉で荒廃した京の都で、羅生門は朽ちて顧みる人もなく、死体を捨てる気味の悪い場所としてのイメージが強い。

芥川龍之介の短編小説『羅生門』は、荒廃し死体を捨てる場所となった羅生門が、物語の舞台である。働いていた家から暇を出された下人が、折からの雨を避けて、羅生門の屋根の下で途方にくれていた。明日からの食うべき手段もなく、盗人にでもならねば餓死してしまうと、考えていた下人が見たものは、死人の頭の毛を抜いて集める老婆の姿であった。

謡曲にも『羅生門』という演題がある。こちらは、羅生門に住む鬼の腕を豪傑の渡辺綱が切り取る話である。鬼は手を返して欲しいので、変化となって報復する。そのとき切り取った鬼の腕が
羅生門カズラの名の由来であるらしい。芥川の小説では、鬼は死体から髪の毛を抜き取る老婆である。逃げようとする老婆が下人と揉み合う場面がある。老婆の腕の描写がある。

「二人は死骸の中で、しばらく、無言のままつかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへ扭じ倒した。丁度、鶏の脚のような骨と皮ばかりの腕である。」
物語の結末は、下人が死体の髪を抜いていた老婆の着ていた衣類をそっくり剥ぎ取り、冷たい雨のなかへ、裸になった老婆を置き去りにする。

なぜ、こんな澄み切った薄紫の花が、老婆の、いや鬼の手になぞらえられたのか、道考えてもその理由が分からない。確かに花は細長い形ではあるが、鶏の脚のような、骨と皮ばかりの代物とは似ても似つかない。

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ズッキーニ初採り

2015年06月14日 | 農作業


ズッキーニの種をポットに蒔いたのが5月1日、芽が出て定植したのが10日後、さらに38日後に花が咲いた。この時の花がすべて雌花。そのため、受粉ができず実は成長しないままであった。小さいまま収穫して、食べている。それから14日後、初取りができた。収量は12本。毎朝花を咲かせているので、今後は2日おきか、最盛時には毎日収穫することになる。

ズッキーニは元々イタリアの野菜で、トマトとの相性が抜群だ。その黄金比率は、ズッキーニ1にトマト2だ。ズキーニの使用量の倍量が両者の美味しさを最大に引き出してくれる。ズッキーニとトマトのスパゲッティソースを作るには、ニンニクをオリーブオイルで炒め、香が出てきたら輪切りにしたズッキーニを加える。火が通ったら、トマトを加え、トマトが煮崩れたところで塩とコショウで味をつける。

大きくなりすぎたズキーニは皮が固くなるので皮をむくが、その場合全部むかず縞にむく。ズッキーニの風味は皮にあるのでそれを大切にしたい。




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