尾花沢の雪のようなツツジが咲いた。純白の花嫁のウェデング・ドレスをも連想させる。あまりの美しさに、思わずカメラに収めてしまった。今日は、尾花沢の親戚の農家に行く。毎年ヤーコンを植えてもらっている。自分の畑では、狭くネズミの被害で収穫がうまくいかない。昨秋に収穫したヤーコンはまだ食べきれずにいる。茎の部分につく種がをビニールの袋に入れてしまっておいたので、湿気があって、種からはモヤシのような白い芽が伸びている。去年の種は、紙袋に入れておいたので、芽だしが十分でなく、植え付けてからの生育に影響があったように思う。苗で買えば一本300円以上もするので、自家製の苗は貴重だ。
尾花沢の雪のようなツツジが咲いた。純白の花嫁のウェデング・ドレスをも連想させる。あまりの美しさに、思わずカメラに収めてしまった。今日は、尾花沢の親戚の農家に行く。毎年ヤーコンを植えてもらっている。自分の畑では、狭くネズミの被害で収穫がうまくいかない。昨秋に収穫したヤーコンはまだ食べきれずにいる。茎の部分につく種がをビニールの袋に入れてしまっておいたので、湿気があって、種からはモヤシのような白い芽が伸びている。去年の種は、紙袋に入れておいたので、芽だしが十分でなく、植え付けてからの生育に影響があったように思う。苗で買えば一本300円以上もするので、自家製の苗は貴重だ。
鉄線
2017年05月17日 | 花
鉄線は中国から渡来した花だが、江戸の町にすっかり定着した。どの家のでも、鉄線の蔓が垣根を覆い隠すように伸びて花を咲かせいた。その様子を屏風絵に描いて、室内で楽しむのも江戸の趣味であった。正岡子規も病床に臥して、鉢植えの鉄線の花を眺めながら、気を癒す毎日であった。
照りはゆる牡丹の花のかたはらにあはれに見ゆる鉄線の花 子規
妻の母の介護を担当していたケアマネは、スマホで庭の写真を撮るのを趣味としていた。老人のいる家の庭には、初夏にツツジやシャクヤク、そして鉄線が咲いている。その写真の見ながら、やさしい心を保とうする、ひとつの工夫であったかも知れない。
この花は観賞用として栽培されたらしいが、川原や山の草地に野草のように根付いている。散歩しながら、季節の花々を探索するのもまた楽しい。我が家の畑ではいまエンドウ豆が花盛り。よくみると、下の方で早く咲いたところには、もう収穫できるようにサヤが太ってきた。二日間の雨で、定植した野菜苗もしっかりと根を下ろした様子だ。それにしても、一歩戸外に出ると、実に多くの植物に囲まれて生活している。畑では、野菜のために、雑草を取るが、これとてスギナなどほんの少しの名を知るだけだ。
花の季節には、美しい花を見るにつけて、その名を覚えたいと努力はするものの、季節が過ぎれば、花の名など忘却のかなたである。そんな生活ではあるが、植物学を生涯にわたって研究を続けられた結城嘉美氏の著書に親しむことで、植物に興味が増している。スマホで読める青空文庫には、牧野富太郎博士の植物に関する本がある。『植物一日一題』は、植物の親しむための格好の読み物だ。できれば、この電子書籍を、一日に一題づつ読みたいものだ。
散歩道で黄色い藤の花が咲いているのを見つけた。しかしよく見ると、幹は蔓ではなく、普通の立ち木である。花はあの紫の藤と、色は違うが酷似している。ネットで調べてみると、ヨーロッパ原産の金グサリという植物らしい。先週、知人が足利フラワーパークで藤の花を見に行ったので聞いてみると、黄色い藤の花もあったという話だった。写真で見るとこの花も立ち木で、金グサリらしく思われる。紫の藤よりもの一足遅れて咲くので、藤ロスの季節を補う花としても貴重な存在であるらしい。何よりもこんなに珍しいキバナフジを近くの散歩道で見つけたことを喜びたい。
将棋界に14歳の天才棋士が現れた。藤井聡太4段だ。中学生でプロ棋士の狭き門の入り、デビュウ以来破竹の17連勝を記録した。この記録がどこまで伸びるか、メディアの注目のまとになっている。将棋界だけでなく、スポーツの卓球やスケート、水泳などでも10代の若い選手たちが、才能の花を咲かせている。この天才棋士の藤井4段しかり、天才アスリートしかり、そのすごさの中身は知るべくもないが、共通しているすごさがある。マスコミのインタビューにもの怖じすることのない対話力である。その時代の自分自身を振り返ってみると、そのすごさに驚く。それだけ、しっかりした自分を持ち、何をするべきかを知っている。
志賀直哉の短編に『清兵衛と瓢箪』がある。この小説に登場する清兵衛は12歳でまだ小学生である。そんな少年が瓢箪作りに熱中する。自分の気に入った形の瓢を選んで、口を切り、種を抜き、中に父の飲み残した酒を入れて、茶渋で表面を磨きながら乾かしていく。他の少年とも遊ぶこともせずに瓢箪作りに熱中する変った少年であった。ある日、父と知り合いが、清兵衛の瓢箪作りの話から、品評会に出た滝沢馬琴の出品作の話に及んだ。父も知人も、その作品をすばらしい、褒めた。黙って聞いていた清兵衛が、話に口を挟んだ。
「あの瓢はわしには面白うなかった。かさ張っとるだけじゃ」この少年の意見に、父は面子をつぶされたと感じて、怒声をあげた。「何じゃ、わかりもせん癖して。黙っとれ!」清兵衛は黙るほかなかった。
しかし清兵衛が気に入った形の瓢箪を見つけて、さらに熱が入った。家でいじっていた瓢箪を学校へ持っていき、授業中に机の下でいじっているのを、先生に見つかってしまう。先生は瓢箪を取り上げ、清兵衛の家に行って、注意する事態になってしまった。父は怒り、清兵衛の作った瓢箪を金づち壊してしまう。
清兵衛が作るのに熱中していた瓢箪は、店で10銭で買ったものであった。小使いさんが、捨てるように言われたが、いくらかでも金になるのではと思い骨董屋へ持っていく。5円が最初に言い出した値であったが、50円という大金で売れた。さらに骨董屋が、金持ちの趣味人に600円で売れたことは、清兵衛はもちろん誰も知らない。因みにこの小説が書かれた大正年代は、総理大臣の月給が1000円、銀座の土地は一坪1000円という時代であった。